「まあ、仁王って、ハマる人はハマるんだろうなとは思ってたけど。柳生とか、丸井とかそういうのは違うよ?あれはハマってるわけじゃないと思う。俺?うーん、そうだなあ、仁王のことは大好きだけど、っていうか部員皆愛してるけど、それだけかな」

 珍しく一緒に帰ろうと言い出した幸村くんを待つこと10分。テニス部と陸上部の練習が終わる時間は大体同じようなもので、だからそんなに待たなかった。冬がすぐそこまで忍び寄ってきていて、木枯らしが吹きそうな気配がする晩秋、私は首を縮こまらせて幸村くんの隣に並んでいた。会って開口一番、幸村くんはぺらぺらとそんなことを話して、そして私が答えるより先に話題を変えてしまう。

「昨日何してたの?」

 今日は月曜日、つまり昨日の休日はどう過ごしていたのか聞かれたのである。

「うーん、家にいたからなあ・・・・10時くらいに起きて本読んで・・・・あ、夜はヒロの家で晩御飯ご馳走になった。両親出かけてたから」
「ヒロ?ああ柳生か。そういえば幼馴染なんだっけ」
「そう。腐れ縁みたいなとこ、あるけど。幼馴染って言っても所詮男女だからね、最近では学校以外で会う機会もめっきり減りましたが」
「少女漫画みたいなドキドキの展開は?」
「あたしもそれをちょっと期待してた!でも、落ち着いて考えてみ?ヒロだよ?」
「ないな」
「ね、ないでしょ」
「いや、一般論としては柳生はかなり高得点だと思うけど。と柳生はないな」
「・・・・ねえ、それ、ヒロを貶してるの?あたしを貶してるの?」
「両方」

 どういう意味!と私が食ってかかると、幸村くんはあははと楽しそうに笑った。
 裏門から出て人通りの少ない方へと向かう。私も幸村くんも電車通学だけれど、この時間の駅への大通りは立海生で溢れ返っている。だからわざと遠回りをして、一つ先の駅へ向かうのが、一緒に帰る時の恒例行事だった。立海大付属中は、ちょうど二つの駅の中間地点辺りにある。片方に寄ってはいるけれど、10分くらいしか違わない。同じ路線だから基本的に皆近い方を使うから、もう一方への道はほとんど立海生を見かけない。
 冬が来るね、と私が幸村くんに言うと、彼はすっかり暗くなった空を見上げてそうだねと呟く。

「冬って、恋人たちに優しい季節だって、そう思わない?」

 意味深な微笑みを貼り付けて幸村くんは私を振り返った。

「なんで?イベントが多いから?」

 クリスマス、お正月、バレンタイン。
 幸村くんは可笑しそうに笑って、違うよと言った。



「距離が近づくから」



 ふいに握られた右手に、私は思わずびくりと反応してしまった。
 なるほど、寒いっていうのも考えようによってはなかなか便利なものらしい。
 握った手から伝わる幸村くんの体温は、想像していたよりもずっと温かかった。

「ふふ、仁王にも、やってみたら」

 そう微笑む幸村くんに、ちくりと胸が痛んだ気がしたのは、気のせいだと思い込んだ。










 終わりにしようか、という幸村くんの声は、他にほとんど物音のしない病室に、不気味なほどによく響いた。自分の心臓がどくどくと波打っているのがわかるのに、全身の血液が下方に流れていくような感じもする。見つめる先の幸村くんは、ただじっと私を見るだけで、何を考えているのか読み取れない、だけど私の勝手な思い過ごしかもしれないけれど、雨が降る一歩手前の曇り空みたいに、崩れそうだと思った。
 幸村くん、と紡ごうとした声が上手く出なくて、喉がかさかさと鳴った。幸村くんは、にこりと微笑んで、もう一度「終わりにしようか」と言う。

 泣きたかった。

「・・・・なんで」

 結局やっと出てきた言葉はこんなにも無様なもので、自分で自分に驚いてしまう。私の言葉を受けた幸村くんはちょっとだけびっくりしたようにきょとんとした表情をして、それからまた綺麗に笑う。

「なんで・・・・って、が一番わかってるんじゃないの」
「わかんないよ」
「嘘ばっかり。お前、そんなに馬鹿じゃなかったろ」
「全然わかんない」

 幸村くんから笑みが消えた。

 真剣な表情。突然仮面が剥がれ落ちたみたいだった。それでも、その初めて向けられた表情も、綺麗だと思う。

 奇妙な関係だった。
 だけど、少なくともこの関係が始められる時は、私と幸村くんの利害はぴたりとはまっていて、まさにベストな選択だったはずなのだ。
 それが、いつの間にか食い違うようになっていた。
 多分、幸村くんは自分のせいだと思っているだろうけど、実際のところはどう考えてみても私がその引き金を引いていたんだと思う。
 ゆっくりと、少しずつ、少しずつ。





「また、仁王のために、泣いたね」





 幸村くんは、目を合わせなかった。

 泣いてないよ、なんて否定ができるわけもなく。
 ただ、きっと幸村くんが思っているような感情で、私は泣いたわけではなかったから、そこだけは訂正をしなくてはいけないと思った。思うのに、泣いたことは事実で、だから上手く言い訳ができない。柳生がこの場にいたら何て言うだろう、と考えても仕方がないことが頭を巡る。
 私が俯いたままでいると、幸村くんが頭を撫でてくれた。それにさえ、また泣きそうになる。目の奥がじりじりと熱くなる、それでも涙は出なかった。
 ついさっき、自分のために泣いた時はあんなにも自然に出てきたというのに、幸村くんのためには泣けなかった。



「いい加減、解放してあげたら」



 その言葉に反射するように顔をあげたら、幸村くんはいつもと違うなんだか悲しそうな目で、怒っているような表情をしていた。



 いい加減、解放してあげたら。



 ガンガンとスピーカーで大音量の曲を聞いているかのように私の全身を駆け巡る。

 昔、幸村くんに言われた言葉だ。



 それで、私は、私たちは道を曲がることを決めた。



「・・・・別に、仁王はあたしに縛られてなんて、ないよ」
「は?仁王?」

 形の良い彼の眉は不可解だと言わんばかりに歪められて、私も同じように眉を顰めてしまう。



「違う、俺が言ってるのはだよ」



 す、と何かずっと引っかかっていたものが取れていくような感覚。

「え・・・・あたし?」
「そう。無理矢理仁王にしがみ付いてるみたいだったよ、あの時のは」

 それから幸村くんは、だからお前たちを死んだ双子みたいだって言ったんだ、と目を細めて言う。気のせいかもしれないけれど、入院して少し痩せたように見える手を目一杯伸ばして幸村くんは窓を少しだけ開けた。ひゅう、と冷たい冬の風が入り込んでくる。

「お互いに無条件で同調してるのに絶対に自分からは歩み寄ろうともしないから、イライラしてちょっといじめてやろうかなって思った。だから挑発してやったのに、仁王は完全にスルーするから、じゃあもきっと同じだろうなって思ってやってみたら、お前は俺を掴んだから」

 泣きたくなったよ、と幸村くんは言う。

「もともと、仁王からの話は聞いてたんだ、だからなんとなく教室でも目で追うようになって。そうしたら二人でなんか他の誰にも邪魔はさせません、みたいな、だけど決して強くはない細い細い糸でかろうじて繋がってる、そういう世界を作っていたから、嫉妬したんだろうな、今思えば」
「・・・・あたしに、嫉妬したの」
「そうだね、最初はね。仁王のあんな顔初めて見たから」
「・・・・」
「でも、今は仁王に嫉妬してるよ。が泣くのは、いつも仁王のためだ」

 そうだっただろうか。
 私はそんなに、仁王のために泣いた記憶はない。少なくとも、それは仁王のため、ではなくて、仁王のせい、だと思う。今思えばそういう風にしか思えなかったのだから、どう足掻いたって仁王との関係が全て良好というわけではなかった。むしろ、どちらかと言えば悪かったのかもしれない。

 泥沼にはまるように仁王と私はお互いから抜け出せなくなっていたけれど、それは信頼だとか愛だとかそんな綺麗なものではなくて、ただの自己防衛のためだった。始まりは些細なことで、だけどその些細なことは私たちが思っていた以上にお互いに深く刺さって抜け出せなくなったのだ。

 そうやって私たちはいつも逃げてばかりで、卑怯だった。二人揃って卑怯だった、同調はしていても共有したことはなかった、自己防衛だったからだ。道を誤ってタイミングを見逃したことに気づいたときには、もう遅かった。それを誰にも打ち明けることなく、ただただ自分の内側で、堕ちていくばかりだった。



 それを、拾い上げてくれたのが、幸村くんだった。




「・・・・うん」
「好きだよ」
「うん」
「あの時、俺たちはあんな約束をしたけど、あの時は確かに俺の中では一番ではなかったし、今でも正直一番なのかはわからないけど」
「うん」
「それでも、、」



 好きだよ、と。



 もう一度、幸村くんは強く凛とした声で言って。





「だから、終わりにしよう」





 迷いのない、言葉だった。



「約束を破ったのは俺だ。ごめんね、を、好きになって」

 随分とひどい神様がいるものだなと思った。好きになってくれたのに、それに対してごめんと言わせるなんて。それを強いたのは、私の愚行のせいだとわかっている。だから、彼を引きとめる術がわからない。

 目を瞑った先に見えるのは、空ろな目をした仁王と、心配そうな顔をする柳生と、怒った顔の丸井くんと。





 綺麗に微笑む幸村くん。





「・・・・幸村くん」
「うん」
「・・・・ごめん、なさい」



 全部、崩れ落ちていく。

 自業自得、今の私には、幸村くんの手を掴むことはできない。

 それでも。





かない小鳥






 
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次がラスト。

10年05月09日


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