「「あ」」

 塾まで少し時間を潰そうと寄った喫茶店。ミユちゃんが教えてくれた、なかなかモダンな雰囲気で、店長を含め合わせて4人の従業員で成り立っている本当に小さなお店だ。
 カラン、と音を立てて重い扉を押して開けると、お馴染みのお姉さんが、いらっしゃいとひまわりみたいな笑顔で迎えてくれた。私が好んで窓際に座ることを覚えてくれているお姉さんは、頼むまでもなく端の通りに面していない窓際へ連れていってくれた。お礼を言って席に座り、ふと顔をあげて目に入ったのは、赤い髪。



 丸井くんだった。



 気づいたのはほぼ同時。ぺこりと頭を下げると「そっちに行っても良い?」と言われたので、どうぞと前の席を示す。丸井くんは、ちょうどパフェを持ってきた店員さんに指示して立ち上がると、ガタンと椅子に腰掛けた。

 パフェとか、食べるのか。

「なに、お前ここよく来んの?」
「塾の前に。大体木曜日はいつもいますね」
「あー、そっか陸部は木曜休みか。っていうか同い年だろぃ、敬語とかいらねえ」
「あ、うん。っていうかあたしこの間部活言ったっけ?」
「陸部の部室から出てきただろーが」

 丸井くんは豪快にパフェの上に乗ったソフトクリームを掬うと、一気にそれを飲み込んだ。そういえば仁王が、部活に異常なほど甘いもん好きがいて一緒に食事をしてると萎えるとか何とか言っていたのを思い出す。後輩が「丸井先輩は男前なんですよ!」と言っていたのでてっきり甘いものなんかは嫌いなのかと思っていた。そういうわけでもないらしい。それでも食べ方は確かに男前だった。あっという間にソフトクリームがなくなっていく。

「俺、ずっとと話してみたかったんだよな、実は」

 ザクザクと下の方に溜まったコーンフレークを砕きながら丸井くんは言う。
 私は運ばれてきたチーズケーキにフォークを入れる。とろりといちごジャムが溶け出した。

「あ、うまそう。チーズケーキにいちごジャム入ってんだ」
「そう。日替わりでジャムの味が変わるんだよ。で、何であたしと話してみたかったの?クラスも委員会も同じになったことないよね?」

 濃厚なチーズケーキを口に含むと、いつもの幸福感で満たされる。良いとこのお嬢様と言っても過言ではないミユちゃんが薦めるだけあって、ここのチーズケーキは最高においしい。

 一度だけ、昔仁王とも来た。あまり甘いものは好きではないと言っていた彼も、ここのケーキはおいしそうに食べていた。

「仁王からよく聞いてたから」
「何を?」
のこと」
「・・・・はい?」
「よく話してたぜ、お前のこと。まあ、離す相手は選んでたみたいだけど」

 驚いた。

 私は仁王からテニス部の話なんてほとんど聞いたことがなかったから、仁王にとって意外にもテニス部は別世界として確立された大事な場所なのかと思っていた。余計な話をその中に持ち込むタイプではないように見える。だから、私の話なんて、まったくしていないと思っていた。

「俺とか、あと幸村くんとか、ヒロシにもしてたかな」
「ヒロはともかく・・・・幸村くん?」
「確かね。確か話してたと思う。だから俺、てっきりは仁王の彼女なのかと思ってたんだけど」

 いつの話?と尋ねると、一年中、と返ってきてさらに驚いた。嘘か本当かはわからないけれど、少なくともそう答えるくらいの年月は経っているということだ。詳しく内容を教えてはくれなかったけれど、とにかく仁王が私の話を丸井くんにしてたことは確実で、その事実はどうしようもないほど私を動揺させる。さらに幸村くんにもしていた、とは仁王は一体どういうつもりなんだろう。



「お前、幸村くんのこと好きなのか?」



 ごちそうさまでした、とあっという間に平らげたパフェの容器を前に手を合わせて丸井くんは言う。私のチーズケーキはまだ半分も消費されていない。あふれ出したいちごジャムは広がっていくばかりで、ほとんどケーキには残っていないように見えた。
 じわり、私の中にも何かが広がっていく。

「好きじゃなかったら付き合わないよ」
「ふうん、病院のあの態度は幸村くんより仁王向けって感じがしたけどな」
「仁王向け、って何が?」
「さあ」

 通りかかった店員さんに、丸井くんはお冷を頼む。その姿は、特に何も考えていないようにしか見えなくて、どういう意味でさっきから言葉を発しているんだろうと考えてしまう。テニス部は、本当に謎めいた人が多い。その中でもさすが部長だけあって、幸村くんの理解不能度は群を抜いている。
 自分の中に広がっていく染みの正体に気づきたくなくて、ケーキの皿から目を背けた。

「幸村くんを、大切にしろよ」
「・・・・はい?」



「幸村くんは、が思ってるよりずっと、のことを大切に思ってるよ」



 一瞬、全部が止まったみたいに頭の中が真っ白になって、気が付いたら「丸井くんに何がわかるっていうの」と強い口調でそう言っていた。冷静な自分がもう1人いて、そんな風に感情を露にして話す私に驚いている。

 私たちは、自分の一番を守るために、お互いを仮初めの一番に持ち上げた。

 そういう意味では確かに彼に大切にされているかもしれないけれど、一番とそれ以外には、どうしようもないほどの決定的な違いがあるのだ。

 私が発言してから丸井くんはしばらく何も言わなくて、息が詰まるような空間だった。実際に、詰めていたのかもしれない。私が思い出したように、小さく長く息を吐いて吸い込むと、それを合図にしたかのように、丸井くんはゆっくりと口を開いた。何かの映像のスローモーションを見ているような錯覚で、私はそれをじっと見つめる。

「俺は、お前のことは全然まったくこれっぽっちも知らねえけどな、幸村くんのことはお前よりずっと知ってるぞ」

 私を睨む彼の視線は、驚くほど攻撃的だった。

「幸村くんは、お前のことを、ちゃんと大切に思ってる」
「嘘」
「何で嘘とかつかなきゃいけねえんだよ。お前こそ幸村くんの何を知ってんの?幸村くんが何を目指してるのかとか幸村くんの好きなものとか、そういう些細なことだって知らねえくせに。知ろうともしねえくせによ!」



 ガン!



 と、丸井くんがテーブルを拳で叩く。グラスがカタカタと揺れた。少し離れたところで店員のお姉さんが怪訝そうにこちらの様子を窺っているのが見える。



 何が何だかわからない。

 私と丸井くんはこの間の病院が初対面で、マックで初めて口をきいて、今日を入れたって接触は3回目のはずだった。それなのに、彼はこんなにも怒っている。



 多分、幸村くんのために。



「・・・・丸井くんは、何であたしが幸村くんのこと何も知らないと断言するの」
「幸村くんが言ってたから。は俺のことになんか興味ないはずなんだけどな、って」

 そんなことを言ったのか、と目を見開く。それを言うならお互いさまなはず、と思うけれど、丸井くんの言い方からすればそういうわけでもないらしい。信じないけれど。



 幸村くんは、私のことなんてどうでも良いはずだ。

 そうじゃなきゃ困る。





 それが、交換条件のはずだった。





「幸村くんは、俺たちの先を行く、そういう存在で、だから俺たちは今の幸村くんをどうやって支えていけばいいのかなんてわかんねんだよ。できることは、テニスで勝つことだけだ。だから、」
「それ以外はあたしが、ってこと?無理だよ」
「・・・・お前、ほんとに幸村くんのこと好きなのかよ」
「好きだよ」

 丸井くんは何かを言おうとして、結局何も言わなかった。ただ、とてつもなく怒っていることだけは伝わってくる。仁王も、これくらいわかりやすければよかったのに、とこの期に及んであの男のことを考えている自分に、嘲笑してしまう。

 また、お冷を注ぎにやってきた店員さんに、丸井くんはお会計を頼むと、そのまま立ち上がった。どさくさに紛れて私の分の伝票も持っていることに気が付いて慌てて後を追う。払うと言うと、何故か、いい、と言われて、それでも丸井くんに払われる意味がまったくわからなかったので譲らないでいたら、今度奢れ、と言われた。今度っていつだ。
 カラン、ドアが鳴る。外に出たところで丸井くんが振り返った。





「お前さ、仁王のこと、好きなんじゃねえの?」





 好きじゃないよ、真顔でそう答えると、丸井くんは苦虫を噛み潰したような顔で「まじ性格悪いな」と言ってそのまま立ち去ってしまった。



 明日また、幸村くんのところに行こう、そう、決心した。





かない小鳥






 
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テニス部の皆さんはお互いを大切に思ってるよ、っていう話。

10年03月30日


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