だから気づかない。 ![]() Side 柳蓮二 数日前のことだった。 精市がいない今、部長代理を務めるのは弦一郎で、そうなると必然的に副部長の役割を担うのは俺だった。他に適任者がいないわけではなかったけれど、彼は既に色々な意味で苦労人であるのでこれ以上荷を増やすわけにはいかない。そういうわけで事実上現テニス部の二番目に位置する俺は、弦一郎が委員会の仕事などがあるときに、顧問から言伝を受けることが少なくない。 その日もやはり弦一郎が都合が悪いとやらで、昼休みに職員室に呼び出された。 バタバタと昼練に向かうのであろうバスケ部とサッカー部の並に逆らうようにしてたどり着いた顧問の机には先客がいた。 「あ、柳先輩!」 こんちはー、と間延びした言い方でそう言ったのは一つ下の後輩、切原赤也だった。 テニス部顧問は一年生のクラスを受け持つ教師だ。顧問と言っても部長と相談して練習メニューを組み立てるだけで指揮はほとんど幸村が取っていたので、あまり顔を出すことはなかった。実力は確かにあるようで、だからこそ全国を2連覇できたのだろう。あまりに出てこないせいで、新入生は新人戦の辺りまで顧問の存在を知らなかったりもする。 それでもやはり中学校の部活動である以上何をするにしても顧問の承諾というのが必要で、そんな顧問と接触することが多くなるのが部長や副部長だった。だから必然的に今現在自分もそういう立場にあるのだが、さて何故赤也がここにいるのやら、少し眉をひそめた。「柳、悪かったな。真田が生徒会らしくてつかまらないもんだから」顧問は困ったように笑った。 座るよう指示されて、一礼してから腰掛ける。顧問の机の隣は今不在らしい。座った椅子は少し低かった。 「実は、マネージャーをお願いしようかと思ってね」 顧問は決して頭の悪い人間ではない。体育会の熱血タイプではないけれど、そういうところが評価されて、幸村絶対主義の我がテニス部でもそれなりに信頼されている。それはもちろん俺も例外ではなくて、だからこそ顧問の言葉にはさすがに絶句した。 「柳ー?」 不思議そうに問い掛けてくる顧問に質問したいのはこっちだと思いつつ、そういえば赤也はどう思っているのだろうと伺えば特に驚いた様子でもなく呑気に近くを通った女子生徒に話し掛けていた。 「あの・・・・・なんでまた急にマネージャーを?必要性は感じませんが」 「うん、そうだね。必要だからというよりも必要とされてるみたいだから許可しちゃおうかなって感じなんだけど」 「話がよく見えないのですが」 がたんと音をたてて足を組む。後ろで赤也が驚いたように肩をびくりとさせたようだが無視した。 「そうカリカリするなよ。先方の希望でね」 「・・・・・その方が、我がテニス部への入部を希望していると?」 「入部、ではないかな。期限付きだ。関東大会までだから」 「なおさら必要性を感じませんね」 ぴしゃりと言うと、顧問は困ったように曖昧に微笑んだ。 「柳、気分を悪くするかもしれないけれど、とりあえず今から言うことを聞いてくれるかな」 切原も、とそこで顧問は赤也に目を向ける。赤也は肩を竦めて勝手にその辺にあった椅子を手繰り寄せると隣に腰を降ろした。赤也が座ったのを確認して話し出す。 はっ、と。 思わず。 失笑した。 顔には出さないつもりだったのに、しっかりと押し出されていたらしい。隣で赤也がまた肩を揺らす、「柳先輩、その顔まずいから」顧問もまた苦笑している。 これが、笑わずにいられるだろうか。 無理だ。 仁王も柳生も丸井も間違いなく鼻で笑う。 弦一郎あたりなら怒鳴り散らすかもしれない。 どちらにせよ不愉快だということだ。「君らの気持ちもわかるけどね」と続ける顧問に、わかるはずがないと思う。 「精市の代わりなんて、そんなものは要りませんよ」 あいつは他人が代われるような奴ではない。 絶対に。 「代わりというわけではないよ。それはいくらなんでも無理だと思っているし、何よりだって可哀相だ。でもやっぱり事実上、あいつが抜けた分は大きいだろ?事務手続きが滞るのは、学校の部活動である以上、問題がある。幸村は自分でやることが多かったからお前らだってあまりわかってないんじゃないか?」 確かに、あいつは横暴に見せかけて自分の仕事を他人に押し付けるようなことはしない。 練習については無茶苦茶な要求を突き付けてくるところがあるどころか、毎日がそうだが。 「確かにそれは認めますがだからと言ってそれはに出来るような事だとも思いませんが」 「うん、だから、真田と柳だけじゃ難しい部分を、に補ってもらえばいいんじゃないか」 それは、つまり俺達二人ではあいつ一人分を補えないと言いたいのだろうか。 俺が何も答えずに沈黙を選んでいると察しが良い顧問は苦笑した。 「別にお前達が幸村に劣ってると思っているわけじゃないよ。柳の代わりだって他の二人でも無理だと思ってる」 深く考えるな、と続いて釘をさされる。本人が希望しているんだからそのままお前が好きに使えばいいだろ、と。 使うとか使わないとか、使えるとか使えないとか、そこは問題ではない。 もちろん、「俺達三人の間には何者も入れない」だとかそんな馬鹿げたことを言うつもりもない。 ただ。 ここにある、契約と制約と、俺達の、 「柳せんぱーい、いいじゃないですかー」 また空気を読まずに赤也が声をかけてきた。そういえば居たなと思いながらため息を付いたら文句を言われた。 そもそも何故お前がいる、と問えば、今更!と言いながらも、そのとやらの知り合いだと説明してくれた。 なるほど。 「それで?何故さんとやらは自ら希望を?」 「ああ、それはーー、」 「柳先輩!」 ざわついた放課後の廊下を部室に向かって歩いていると後ろから呼び止められる。後ろを振り返ると、声の主がすぐそばまで来ていた。 「、何か用か?」 そこにいたのはマネージャーとして最近我がテニス部に入部しただった。確か彼女は、今日委員会があるとかで遅れると言っていたはずだ。 「別に部活の時でも良かったんですけどね、見えたから声かけちゃいました」 あはは、と彼女が笑って、視線を足元へと落とす。 いつもジャージ姿ばかり見ているせいで制服姿というのはなんだか新鮮だ。手にはアルトリコーダーを持っている。 「音楽か?」 突然の言葉に驚いたようで、彼女は少し間を空けてから、そうですさっきテストだったんですよ、と言った。 廊下の端で立っているだけだというのに、そこかしこからだのだの声をかけられていて、そういえばジャッカルがは友人がかなり多いみたいだとか、そんなことを言っていたのを思い出す。 「あ、そうだ、それで、これ、ありがとうございました」 が差し出したものは、電子辞書だった。自身のノートを友人に貸したらその友人とやらが家にノートを忘れてきたらしく、部室で赤也や他の二年と話し込んでいたのをたまたま側で聞き、何かの役に立てばと思い貸したのだった。 赤也が、なんでちゅーがくせーでんなもん持ってんスか、とか何とか言っていたが、データ整理には欠かすことのできない必須アイテムだ。おそらく貞治だって持っていることだろう。それを堂々と皆の前で使っているかどうかは定かではないが。 「すごく助かりました。おかげさまで休み時間のうちに単語調べを終えることができたので、当てられてもなんとか答えることができたんですよ。今度何か御礼させてくださいね」 途中までご一緒してもいいですか?と聞かれ、短く肯定の返事を返すと、は教室へと駆けて行った。一分もしないうちに戻ってきて、準備は終えてあったからこそ声をかけたのだということが窺い知れた。そういうところが、あの細かい気配りにも繋がるのだろうなと思う。 数日前、顧問からマネージャーが付くと知らされた。 一応承諾はしたものの、特に彼女には期待していなかった。 マネージャーが入ってくるとは言えど、あの幸村に鍛えられた猛者たちの補佐など、到底無理だろうと見込んでいたからだ。 しかし実際の彼女の働きぶりには目を見張るものがある。マネージャー経験があるのかと問えばないですよと笑う。日々の生活で培われたものなのだろう。顧問と少し言い争ったことを、大人気ないことをしたなと反省する。 実に良い娘だ。 あの赤也と同じ歳には思えない。 「なんですか?何か顔についてます?・・・とかべたなこと言ってみたりー」 そう言って笑う彼女は年相応に見えるのだが。 「付いているぞ」 「えっ!嘘どこですか!?」 「嘘だ」 一瞬は目を見開いて、それから柳先輩でもそういうこと言うんですね、と呟いて笑った。 下駄箱が見えてきたところで、は挨拶をして曲がろうとした。ふと、そのまま部活へ向かうにしては荷物が少ないことに気がついて呼び止めると、ああ、となんでもないことのように返事が返ってきた。 「この間からロッカーを一つお借りしているんです」 それではとは足早に去っていく。 部室に空いているロッカーなどあっただろうかと首を捻りながら、俺は部活へと向かった。 ← → ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 良い娘って柳言いそうじゃないですかそうですか・・・。 10年02月18日 |