重なる。






Side 柳生比呂士





 放課後になったと同時に伝わってきた携帯電話の振動は、予想通りの差出人からの予想通りのメールの来訪を告げたものだった。途中ですれ違った丸井くんは、「またか」と眉を顰めてどこか荒々しい足取りで下駄箱へと向かって行く。彼とは逆方向へ向かって歩いていると、再び携帯電話が振動した。どうせメールだろうと放っておくが、一向に鳴り止む気配はなく、制服のポケットから取り出してみると、電話の着信だった。
 差出人は柳蓮二。
 屋上への階段に足をかけながら通話ボタンを押す。

「もしもし」

 別に携帯電話の使用が禁止されているわけではないけれど、なんとなく学校の廊下の真ん中で堂々と使用する気にはならなくて声を潜めた。やや間があってから、『柳生か。今どこだ?』という、静かだけれど不思議とよく通る声が聞えてくる。

「屋上へ向かう階段です」
『そうか。多分中庭だ』
「中庭?何故またそんなところに」
『さあな。ただ、が見かけたそうだ』

 早口でお礼を言うと携帯電話を折りたたむ。くるりと向きを180度変えて階段を下ると、丁度教室から出てきた同級生にぶつかりそうになり、慌てて止まった。



 中庭へと続く道を急ぐ。押し寄せる生徒の波に流されながら昇降口を出て右に折れる。中庭の方には部室も体育館も校庭もないため、放課後にこちらへ向かう生徒は少ない。近いはずなのに遠く聞える吹奏楽部の音あわせの何ともいえない不協和音を聞きながら中庭への最後の角を曲がる。冷たい色のベンチに横たわる銀。
 仁王くんはゆっくりと右手だけを持ち上げた。

「今日はまた随分と早かったの」
「柳くんが、教えてくれたんです」
「参謀が?ふうん」

 行きますよ、と彼を急かすと、一瞬だけ目を細めて、それからすぐに立ち上がった。

 ここ最近、仁王くんの機嫌はすこぶる悪い。
 おかげさまで、副部長の機嫌も悪い。
 どうにかしろと無茶なことを真田くんから受けたけれど、そんなことを言われても、彼がどうして機嫌が悪いのかなんてわからなかった。
 わからないけれど、一応想像はできる。



さんですか?」



 想像はできるので、その想像を本人に、真正面からぶつけてみる。
 伏線を張ってから彼の本音を聞き出すことは難しい。騙し合いが続くだけで、何も得られないことの方が多いくらいだ。中学の頃からダブルスのパートナーをやってきて、入れ替わりなんてものまで本気でやった。だから、ある程度彼の思考を読むことはできる。
 理解は、できないことが多いけれど。

 直球で放った質問に、さすがの仁王くんも驚いた表情を見せた。そしてポーカーフェイスを取り繕うとしたけれど、「今更何を隠すつもりです?」と言ってやれば、それもそうかとひどく自虐的に笑って、すぐにその薄っぺらな笑顔を引っ込める。

「大当たり」
「何故?」
「なぜ?うーん、さあ、何でなのか、ようわからん」
「嫌いなのですか?珍しい」
「嫌い、ではない、けど、好かん」
「・・・・珍しい」

 思わず、くいと眼鏡を押し上げた。レンズの奥でガラにもなく目を見開くようにして驚いてしまったことを、見抜かれまいと足掻いたのだ。きっと仁王くんはそんなことなど御見通しだろう、ちらりとこちらに視線を投げ、そして口角をあげた。

 彼は、基本的には、他人に興味が無い。
 興味が無いから、好きも嫌いも何もない。愛情の反対は無関心とはよく言ったもので、それはとても残酷なことだと思う。それでも、それが彼なのだと諦めている。この数年間ずっと。
 だから、驚いた。
 好きではない、とはっきり述べたことに。

 部活動開始の時間まであと数分しかないというのに、一向に歩く速度を速めようとしない彼に、結局流されるように自分のペースも落としてしまった。二人揃って、静かな校舎をノロノロと歩く。

「あのロッカー」
「・・・・は?ロッカー?」

 唐突に彼の口から紡ぎだされた単語の意味するところを理解できず、そのまま反芻する。そう、と仁王くんは気だるそうに頷いた。

の、使ってるロッカー。誰のロッカーかわかっとる?」
「誰の、って、ああ、幸村くんでしょう?」
「そう、幸村のロッカーじゃ」
「何か問題でも?彼は残念ながら当分の間帰って来られないことは確実でしょうし、彼女が使用することに何ら問題は無いと思うのですが」
「あれは、あそこは幸村の、場所じゃけん」

 まるで子どものようだと思った。拗ねるように廊下のタイルに視線を落としたまま、頑なに同じことを繰り返す。

 さんが幸村くんのロッカーを拝借しているのが気に食わない?

 たったそれだけの理由で、機嫌を損ねるような男だっただろうか。そんなまさかと、思考を巡らせて、考えるけれど、他の理由などわかるはずもない。「まさかそれだけでここ数日機嫌が悪かったわけじゃないですよね?」段々と不愉快な気持ちになってきて、発した言葉にも、その色が滲み出てしまう。仁王くんが喧嘩を売るような目つきで見上げてきた。



「それだけ」



 そう言うと、途端に踵を返す。

「ちょ、仁王くん!部活は!?」

 返事は、無かった。










 仁王はどうした、と噴火寸前の火山のような面持ちで立ちはだかる副部長に、帰りましたとさらりと告げた。真田くんが叫ぶのとほぼ同時に、彼の横をすり抜けて部室へと滑り込む。急いで扉を閉めて顔をあげると、椅子に腰を落ち着かせた柳くんが、可笑しそうにこちらを見ていた。

「逃げられたのか?珍しい」
「ちょっと突いたら怒らせてしまったようで」
「ふうん」

 時間が押し迫っている。乱暴にロッカーの扉を開けて、ジャージを取り出したところで、ふと隣に目をやると、幸村の名前が書かれたプレートの下に、テプラで作られた、の文字が重なっている。

 ロッカーが全ての原因ではないことくらい、わかっている。

 けれど、何故そんなにも機嫌を損ねているのか、わからなかった。彼とて、何もさんにロッカーを貸したくらいで、幸村くんをここから排除しようとしているわけではないことくらい、わかっているはずだ。だからこそ、その執着はひどく異様なものに見える。

 かつて、幸村精市という男が立っていた場所に、見知らぬ女が立つことが、そんなにも許せないのだろうか。
 冷めたように見せかけて、実は立海大テニス部を、強いて言うなれば幸村くんが率いるこのテニス部を、彼が非常に大切にしていることは、知っている。その想い故に辿り着いた思考なのかどうか、想像することしかできない。

のロッカーに、何かついてるのか?」

 あまりにも無遠慮にじっと眺めていたせいだろう、柳くんがそう尋ねてきた。

「・・・・質問があります」
「なんだ、改まって」

 さんは、とそこまで言いかけたところで、部室の扉が開く音がした。びくりと反応して慌てて振り返れば、そこには本人が立っている。



「・・・・あれ?もしかして、取り込み中でした?」



 困惑気味の表情で、遠慮がちにそう言うさんに、いや、と返事を返したのは柳くんだ。走ってきたのか肩で息をする彼女は、まだ制服に身を包んでいた。委員会だろうか、と思考を巡らせていると、ばちりと視線が合った。「あ!」はっとした表情で彼女が反応する。

「仁王先輩、今日お休みって本当ですか?もしかして、中庭じゃなかったですか?」

 そういえばさんが仁王くんを見かけたと、柳くんが言っていたような気がする。

「あ、いえ、見つかったんですが、」

 さすがに機嫌が悪いようで帰りました、とは言うことができず、「すれ違いで、呼び止められなかったんです」と曖昧に笑ってみせた。

さんが見つけてくださったようで。通りかかったんですか?」
「あ、いえ、私も真田副部長からメールをいただいて、探しに行っていたんです。そうしたら、中庭に向かわれたとクラスメイトから聞いたものですから。仁王先輩は人気者ですから、どこにいても目立ってしまうんですかね」

 それじゃあ着替えてきます、と彼女はロッカーからジャージを取り出すと、足早に部室を出ていった。

 幸村くんの声が、ふいに蘇る。



 柳生はすごいよね、情報に頼らずに仁王を見つけてくるんだから。俺の方が早い?ああ、まあそれはそうだけど、だって俺は情報戦だから。お前みたいに仁王の思考を読むんじゃなくて、ただ単に目撃情報とか証言とかを辿るだけなんだよ。だから、見つけられない時だってあるだろう?



「柳くん、」と質問の続きを言葉にしかけたけれど、結局何でもないですと飲み込んだのは、仁王くんのせいだ。





 さんは、幸村くんの代わりなんですか?





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12年04月25日


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