ほら、また。 貴方の声が。 聞こえなくなる。 雨、快晴。―第一章:5― ひとつ、ふたつと地面に出来る染みが自分の汗だと気付いたのはその染みが大分大きくなってからだった。 ぼんやりとその地面にしみ込んでいく様子を見ながら、はめずらしく、自分が一人であることを自覚していた。 いつもは人がいてもいなくても変わらないと思うのに。 先ほど、が近藤に外出の許可を取っているのが聞こえた。 きっとどこかの道場に行くのだろうな、と自分でも驚くほどの無関心さでそんなことを考えていた。 そういえばさっきが道場の外で素振りをしているのを自分は見た気がした。 この炎天下の中元気だな、とぼんやりした意識の片隅で考えていた。 傍へ行こうと足を出しかけて、沖田がいるのに気付き、やめた。 嫉妬に近い、吐き気をともなう嫌悪感。 ああ、また。 まただ。 ・・・。 視界が四隅から閉ざされていくのがわかった。 倒れる。 直感的にそう思った。 こうなってしまったら抗えない。暗い、闇の世界に落ちていく自分を客観的に見 つめながら、の意識は閉鎖された。 倒れる瞬間、見慣れた人が自分を支えてくれたような気がした。 「気が付いた?」 次にが見たものは、自分の部屋の天井によく似た、誰かの部屋の天井だった。 おそらくは自分に今声をかけた、隣にいる彼の。 「貧血だと思うよ。お前、ここ来てからあんま飯、食わなくなっただろ。」 永倉のその問いには口を閉ざす。 傍で看病してくれていたらしい彼に、申し訳ない、とは思った。 永倉に伝わったのだろうか。彼はの頭を一度、くしゃり、と撫でた。 伝わるぬくもり。 いつも彼には助けられている。 と、いつかきちんとした形でお礼がしたいね、と言い合っていた。 あの時もきっと。 彼がいなければ自分達は助かっていなかっただろう。 「やっぱここにお前たち連れてきたのは間違いだったかなぁ。」 そう言った永倉を見ては力いっぱい首を降った。 少し哀しげな表情を作った彼は、もう一度の頭を優しく撫でた。 たった一つの宝物に触れるように。 壊したいという願望のこもった掌で。 ゆっくり。 差し出されたお茶をはそっと受け取った。 聞き慣れた声がしているので、ふと視線を、四角く外界から切り離されたこの部屋の外へと向けると、藤堂とが門をくぐって入ってくるのが見えた。 門の前の大木のせいで彼らの姿が確認できなくなっても、 なお、は彼らの幻影に等しいその影を求めて、視線をそこから離さなかった。 「にも何かあったみたいだね。」 驚いて振り向けば絡み合う視線。 何もかも見透かされている様な気分になっては視線をまた外へ戻した。 原田が門をくぐって入ってきた。それを出迎えるために駆け寄る藤堂。 は、と思い視線をずらすと、彼女はこちらからようやく見える程度の位置に一人、立っていた。 次にが起こすであろう行動の予測がついたは、とまったく同じタイミングで自分の頬をぱんっと打った。 忘れろ。 頭に念じる。 彼女のためにも、自分のためにも。 忘れなければ。 振り返った時に飲み込まれないように。 「。」 呼ばれては閉ざしていた瞼をゆっくりと開けた。 入ってくると思っていた彼の顔は視界の片隅にもいなくて、彼を探して首をゆっくりと後ろへ回す。 先程と寸分も違わぬ様子で永倉は真っすぐを見つめていた。 躊躇しそうになるほどの。 今度は逃げずに、も真っすぐその視線を受けとめた。 「今日、近藤さんあたりから、話があると思うんだけど。」 紡ぎだされた言葉は何かを決心したように重く。 は少し緊張した。自然と、蒲団の中の拳を握る手に力が入る。 掌にじっとりとした感覚があるのは、緊張のせいか暑さのせいか。 「内容はその時まで言えないんだけど。」 一呼吸おいて、彼は言う。 「やは俺の付属品ではないから、俺の意見を考慮せずに自分の考えで行動して欲しい。 もし選んだ道が俺と同じならばその先は責任が持てないから。」 始めは何が言いたいのか、よく、わからなかった。 何度も何度も永倉の言った言葉を頭の中でリピートする。 意図は読み取れない。ただ、彼の言った言葉の意味だけは理解ができた。 小さく一度、こくんと頷く。 ありがとう、と永倉は笑いながらそう言った。 「たぶんが一番揺れると思うから、支えてあげて。」 今度はは頷かなかった。 俺たちは京へ行く。 その日近藤たちが、そう、告げた。 ← → ++++++++++++++++++++++++ 08年06月16日 修正 |