「すみません、グラウンドってどっちですか?」 四月中旬、ほとんどの桜が散って緑が芽吹く、そんな季節。 阿部は、都内にある某中学校の前に立っていた。の通う私立氷帝学園から地下鉄を乗り継ぐこと約40分。住宅街の中にひっそりと立つ小さなその中学校に、わけありで向かう羽目になったのだが、如何せん目立ってしまう。他校の生徒がいれば注目を集めてしまうのは当たり前で、教師が出てくる前にどうにかしようと、は近くにいたおさげの女生徒に尋ねたのだった。 「グラウンドならそこの特別棟の裏にありますけど・・・他校の方ですよね?何か、用があるんでしたら職員室に行った方がいいと思いますけど・・・」 「ああ、気にしないでください、弟に忘れ物届けにきたんです」 今日提出のもの忘れちゃったみたいなんですよー馬鹿ですよね、はからからと笑って女生徒と別れた。 もちろん、嘘八百もいいところである。に弟がいることに嘘はないが、彼が通うのは埼玉県内にある地元の学校だ。 指差された特別棟の横を通り抜け、グラウンドへと向かう。舗装されたアスファルトに沿って前進していくと、視界が開け、グラウンドが顔を出した。沈み始めた夕日をバックに部活動が繰り広げられている。奥に見える見慣れた白い鉄筋と、深緑の編目。 サッカーゴール。 ゴールの手前の辺りで円になって何やらミーティングのようなものをしているのがサッカー部らしい。 がここに来たのにはわけがある。 つい数日前のこと。東京都選抜のBチームの選考を任せられたのいとこから、一本の電話が入った。 ――ちょっと悪いんだけど、見てきて欲しいのよ。 のいとこ、西園寺玲は特に悪いとも思っていなさそうな声色で告げた。 何を?が聞くと「Bチーム候補を」と返ってきた。本来、集めたデータを元にメンバーを決めることも可能なのだが、どうやら彼女は基本的に自分の目で確かめに行きたいらしい。が、時間の都合上、その人数は限られてしまうとのこと。残念ながら彼女の目で確かめることのできない候補者たちを代わりに見てきて欲しいとのことだった。「実力が足りなさそうだったら切ってくれて構わないから」、西園寺は言う。ただの女子中学生にそんな重要な役割を任せていいのかと問えば、ちゃんはただの女子中学生なんかじゃないわよ、とさらりと返された。「そうですか」「そうです」、そんなこんなで、は今、高縄中に来ているのである。 お目当ての少年はすぐに見つかった。色白で細めの体躯の少年はどこか浮いているのだけれど、データによればそのサッカーの技術は本物らしい。ピッ、と短い笛の音が響き、円を作っていた少年たちが散っていく。 紅白戦の開始だ。 「さぁ、お手並み拝見といきますかね」 ピーッ! 試合終了の笛が鳴る。試合結果は3対2。残念ながら少年のいるチームは負けてしまったけれどそんなことはどうでもよかった。 これは、すごい。 2得点とも少年が絡んでいた。1点目は彼自身のコーナーキック。綺麗に弧を描くようにして放たれたボールは、一旦ゴールから逸れたように見えたが、回転がかけられていたのだろう、途中からボールの軌道が変わり、つられて少し前に出ていたゴールキーパーの頭上を通り過ぎて見事にネットへと沈んだ。 2点目は花マルをあげたくなるような見事なアシストだった。ハーフラインから駆け上がって2人ほどテクニックでかわすとキーパーとDF2人を十分に引き付けてからニアポストにいたFWへセンタリングをあげた。意識が彼に集中していたキーパーは結局間に合わず、ヘディングによって追加点が挙げられた。センタリングの位置がまた絶妙で、綺麗にゴールが決まったのだ。 は長い息を一つ吐くと、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。少年のボールコントロールは並ではなかった。動きの一つ一つが美しく無駄がない。無駄のない動きというのがいかに難しいことであるか、は知っているつもりだ。だからこそ少年のプレーに引き付けられたわけであるし、その実力は本物だと思った。 西遠寺は、どんなに忙しくとも高縄中に行けと言った。にも都合があるだろうから3校くらい回れれば良い方だと思っているらしい。高縄中でチェックを入れている少年は一人しかいないから、彼を見てこいと言う意味だということくらい、にも理解できた。 気になったら、行動。はまず高縄中に足を運ぶことにしたのだった。 始まった紅白戦、自分で思っていたよりも引き込まれた。彼のプレーから、感じる全てが、 「うん、似てる」 驚くほど。 パスの読みも足先の動きも息をつくタイミングも、見据える先も、全部。 はフェンスに預けていた背をゆっくりと剥がした。カシャン、小さく音がなる。クールダウンを終えたらしいサッカー少年が、ジョギング程度の速度でに近づいてきた。少年は、後ろから3番目の右側。顔を上げた涼と、前を見据える少年と視線が交差する。 時が緩やかになったような気がした。 実際は、おそらく3秒前後。涼は満足気に微笑むと、くるりと少年に背を向けた。夕日が差して赤く染まったアスファルトを踏みしめる。 お互いに自己紹介することになるのは、まだ少し先のこと。 だけどそれは、確実に来る未来。 「杉原多紀ね。いいな、彼」 ← → +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 08年08月13日 |