suddenly it all starts to make sense


   



「隆兄、なにしてんの?」

ふいに落ちてきたそんな声に、阿部はノートの上に滑らせていたシャープペンシルをぴたりと止めた。仄かな甘い香がして振り返ると、お風呂から上がったばかりらしいが、バスタオルを被るようにして部屋に入ってきたところだった。どうやら先程鼻をくすぐった匂いはシャンプーの香だったらしい。

「べんきょー」
「なんで?え、まさか宿題出てんの?」

は思わず素っ頓狂な声を出した。

「まさかってなんだよ。普通、大体の高校が入学前に宿題くらい出すよ」
「いやいやいや何言ってんの西浦はちっとも普通じゃないよ」

は、信じられない、と兄の隆也を上から下までまじまじと凝視した。ほんとに西浦のこと調べたの?は言う。「近いから」兄はそんな、志望動機にしては緩すぎる答えを述べた。
の兄、隆也が今年の春――というか一週間後から通う県立西浦高校は、埼玉県内でも、自由さで有名だった。新歓では飴の嵐が起こり、文化祭はカオス、卒業式に至っては仮装パーティーとの噂だ。入学から卒業までの間、偏差値が保てるのは二割だとかなんとか。
正直、兄の選択には驚きが隠せない。

「っつか野球部あったっけ?」
「あるよ。去年、ってか今年か?出来たらしい」

無きゃ行かない、阿部ははっきりとそう述べた。
ふぅん、小さく呟いてはベッドに腰を降ろす。綺麗に整頓されていた掛け布団は、に向かって皺を寄せた。不快そうな顔をしたベッドの所有権の持ち主は軽く無視の方向だ。

「榛名サンとこ、行けば良かったのに」
「あ?絶対行かない。そもそもあいつの高校なんて知らねーよ」
「嘘ばっかり」

は食器棚の上に並べられた写真盾に目を向ける。

シニアの写真だ。

途中から、一人加わっている。





それが、榛名元希。





いつだったか突然現れて突然エースになって突然阿部隆也のバッテリーの相手となった人。


絶対的存在感。



良い意味でも悪い意味でも、周りに大きな影響を与えた。まだ中学生だった阿部隆也にとっても、それは例外ではなかったし、兄を見にシニアによく顔を出していたにとってもまた、強烈な人だった。
あんなに楽しそうだったのにな、の呟きは、どうやら阿部には届かなかったらしい。何も知らない彼は、テレビ画面に意識を向けていた。
その背中をはじっと見つめている。

「そういやお前、サッカーはどうだった?」

に背を向けて画面に夢中になっていると思っていた兄がくるりと振り返ってそう言う。特に悪いことをしているわけでもないのに少しだけドキリとした。

「いや別に。まだ始まったわけじゃないし、ちょっと計画立てただけだよ」
「へえ。まあ、これから少なからずサッカーと関わるってことだろ?また見に行けば?」
「浦和戦?やだよ知り合い多そうだもん」

阿部兄弟の住む街は、サッカーがとても盛んなのである。さらに地元のサッカーチームは全国でも有名なほどサポーターが熱い。夫婦揃ってサポーターであることだって珍しくなく、小学校の同級生は、圧倒的に野球よりもサッカー派が多かった。
は女の子では特殊な例なのであまり参考にはならないが、彼女の兄や弟は、この地域では珍しくサッカーではなく野球を選んだ。かといってサッカーを毛嫌いしているわけではなく、周りの影響もあって地元のチームの勝敗や選手名はざっと把握している。
野球に関しては兄や弟に劣るものの、サッカーに関しては兄弟の中で一番詳しいのはだった。

「あ、でも心配しないで。隆兄の試合とかぶったらそっち優先するから」
「しなくていい」
「するから」

自身に、サッカーと野球どちらかに対するこだわりはなかったが、『兄のする野球』に関しては、絶対優先だったりする。
とにかく野球を続けて欲しいと思っているし、楽しければなお言うことはない。
先程は榛名と同じ高校に行けばよかったのに、と言ってみたものの、実際はどちらでもよかった。





それが、彼の選んだ答えなら、何でも。





「春休み、西浦行ってたよね?どうだったの?」
「どうもなにも上がいないから活動してるわけじゃないし。顧問とコーチには会えたけど」

阿部は手を伸ばしてリモコンに手をかけると何気なしにチャンネルを変える。その顔が万更でもなさそうなのを、は見逃さなかった。1から築いていくのもまた、楽しみなのかもしれない。
お兄ちゃーん!とが後ろから首に抱きつこうとすると、リモコンで殴られた。「何してんの・・・・」夕飯だと呼びにきた弟に軽蔑の目を向けられた。

「シュン!てめっ、なんだその目は!」
「いた、痛い痛い痛い!ギブ!」

兄が弟に何か技をかけながら階段を降りていくのを、はスキップのような足取りで追っていく。自分以外で本気で幸せを願うのはこの2人だけかもしれないな、なんて思ってが1人、とても嬉しそうに笑っていたことなど、彼女の兄弟は知る由もなかった。

 
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阿部って春休みモモカンに会えたのかどうか。

08年04月17日


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