君恋ひてのち


中学3年 春

   


 という少女のことを詳しく知っていたかと言われれば、自信を持ってイエスとは答えられないが、少なくとも色濃い沙汰には無頓着のように見えたので、日直のために居残っていた放課後の教室で、まさか告白を受けようとは思ってもみなかった。
 その日は教室から他の生徒の姿が消えるまであっという間で、日誌を書き記していく間に気が付けば二人だけになっていた。黒板掃除を終えたが、向かい側に座って郭の手元を眺めている。ペンを滑らせて記入していく内容は、大したものではないのだけれど、何となく人に見られているというのは落ち着かない。思い付く限りの日直の業務を終えたか確認してみるが、どれもいつの間にか終えられていた。

「見られてると気まずい?」

が可笑しそうに笑いをかみ殺している。

「嫌ではないけど、気にはなる」
「顔には出てないけど、質問がどう考えてもここを離れさせようとしてるもんね」

 トントン、と授業内容を指さして、「ここ逆になってる」と2時間目と3時間目の内容が入れ替わっていることを指摘すると、はカタンと控えめな音を立てて立ち上がった。少しだけ離れて窓枠に腰かける。
 今日の気温は平均よりも幾分か高い。長袖のシャツを捲りながら、は校庭を見下ろしている。彼女の動きに釣られるように、郭もまた視線を落とすと、丁度サッカー部がアップを始めるところだった。
 郭がと出会ったのは中学2年のことだ。どちらも積極的に異性と交流を図るタイプではなかったし、所謂ムードメーカー的なタイプでもない。けれども、例えば朝見かけたら話しかけるくらいには距離が縮んでいるのは、多分似た価値観を持っていたからだ。すり合わせたことがあるわけではないけれど、クラスでの立ち位置はよく似ている。
 だから、居心地は良い。別に、気まずさがあるわけではない。
 それがきちんと伝わっているのかどうかは、郭にはわからなかった。離れていったの表情は、いつもと変わらない。サッカー部の動きに合わせて揺れている視線は、意図的に郭の方へは向かないようになっていた。律儀だな、と思いつつまた視線を日誌へと戻し、空欄を埋めていく。簡単な感想と、明日の日直者の名前を記入すれば終わりだ。ペン先が紙を滑る音と、校庭の喧騒だけが響いている。クラスメイトの名前を記入し終えたタイミングで、ふと日誌に影が落ちた。郭が顔を上げると、知らぬ間に戻ってきたのか、向かいの机にが腰かけている。

「邪魔を、したいわけじゃないんだけど」

 落ちて来た言葉を、日誌記入に対するものだと受け止めて、郭は小さく笑いながら「もう終わったよ」と返してやった。すると、はゆるゆると首を横に振る。何か記入漏れでもあっただろうか、と郭は日誌へ視線を戻そうとする。あのね、と声がかかって、それは途中で遮られた。顔を上げた先の少女は、どういうわけか真剣な表情をしている。

「私は、あなたのことが好きなんだと思う」

 思うというその自信が無さそうな表現はどうなの、とか、今そういう流れだった?とか、言いたいことは色々とあったけれど、存外真剣な眼差しをしているを、誤魔化したり軽く流すことは難しそうで、郭は言われた言葉をもう一度脳内で確認した。なるほど、告白をされたらしい。
 居心地が良いとは思ったことがあるけれど、そういう風に意識をしてみたことはない。真剣な眼差しをする少女から、少しだけ視線を落として考える。
 自慢ではないけれど、中学2年間の間に告白をされた回数はそれなりにあって、きちんと伝えに来てくれた人には誠意をもって答えている。別に何もかも捨ててサッカーに向き合うべきだと思っているわけではなくて、必要なのであれば恋愛だってしてみたいと思うけれど、何度自分の中に問いかけてみても、今は恋愛をしたいという答えには辿り着かないので、基本的にはお断りをしている、のだが。

「急で驚いてはいるけど、ありがとう」

 礼を述べて視線を返す。じっと相手を見つめているのは、続きがあるのではないかという期待を込めていたからなのだが、見返された当の本人は、困惑したような表情を浮かべた。

「…それで、はどうしたいの」
「えっ」

 どうにも待っていたところで続きが聞けるわけではないと踏んで、郭の方から尋ねると、一瞬で固まってしまった。俺のこと、好きだと思うんでしょ?自分で問うのも変な気分だが、そう続けてやると、ゆっくりと頷く。

「付き合いたいの?」

 大体、3秒。それくらいの間を空けて、はまたゆっくりと、今度は首を横に振る。何だそれは、と言い返さなかったことは、この場に誰かがいたらきっと褒めてくれるはずだ。
 つまりどういう目的で告白をしてきたのだろう。知っておいてほしい、というのなら、卒業まで待てばいいものを。何様のつもりだと言われかねないことを考えて、さすがに口にはしなかった。

「邪魔をするつもりはないから」

 繰り返された言葉に、そういう意味だったのかと知る。別に邪魔だとは思わない、と咄嗟に言いそうになって、けれどそれは告白を受け入れることになるのだろうか、と郭は自分の内に留めてしまった。何と返すのが正解なんだろう、考えてみてもすぐに答えは出せそうにない。どうして、と理由を問おうとしたところで、パタパタと廊下を走る音が響いて、二人揃ってはっと扉に視線を遣る。足音はそのまま通り過ぎて行った。

「…やばっ、早く行かないと先生いなくなっちゃう」

 ほっとしたのも束の間、扉付近の壁高くに設置してある時計が、間もなくリミットだと告げていた。放課後の職員会議があるので、45分までには日誌を持ってくるように言われている。腰かけていた机からふわりと降りて、が隣の席にある自分の荷物をまとめ始めた。今日サッカーなんでしょ?私持って行くね、そう言って日誌へ伸びてきた手首を、さっと掴む。答えはまだ出ていないけれど、ここを逃したらきっとこの話題はもう封印される。そう直感的に感じて掴んだ手首は、緊張が走ったのかぎゅっと力が込められていた。

「―――、」

 名前を呼ぶと、あからさまに視線が揺れた。何て声をかけようか、郭の中にもまだ答えはない。不安、というよりも戸惑いの色が濃い。掴んだ手首から感染するように感情が入り混じる。肯定さえも要らないと言われているような気がして、適当な言葉が思い浮かばない。また明日、結局そんな当たり障りの無い、いつもの日常と変わらない一言だけが、つるりと口から転がり出る。
 ほっとした表情で、が頷いた。

 それから卒業まで、この話題に触れたことはなかった。







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