―崩れ出す。―











「うわ、また懐かしいのが来たわね」

 半年ぶりにあった伯母の変わらないそんな様子に苦笑しつつも「ご無沙汰してます」とは頭を下げた。
 久々に訪れた水野家はいつにもまして賑やかで、は少しだけ首を傾げる、「誰か来てるんですか?」。

「たっちゃんの部活仲間。百合子とかそりゃもう楽しそうよォ」

 からからと伯母――水野孝子は笑った。伯母と言ってもそう呼ぶに値する関係がと彼女にあるわけではないのだけれど、他に表しようがないのだから仕方ない。

「何?たっちゃんに用?あいつなら今ホームズの散歩に行っちゃっていないわよ。部屋で待ってる?」
「・・・・いえ、なら大丈夫です。近くまで来たので寄っただけですから」

 なら真理ちゃんには挨拶して行けば?伯母のその言葉を丁重に断ると、少しだけ悲しそうな顔をされた。「あんたにとっちゃ用もないのに立ち寄るような場所でもないでしょうに」、そう言う伯母に、察しが良いのも困りものだなとは目を逸らした。

 時刻は夜10時過ぎ。

 中学生が出歩くには少し遅い時間帯で、ましてや電車に乗らなければ来れないようなところに住んでいるがこんなところにいるのだから、孝子でなくても気付いたとは思うのだけれど。
 リビングからお邪魔しましたという声がいくつも聞こえてきて、は早急にその場を去ろうとした。皆さんによろしく伝えてください、そう言って一歩踏み出したところで伯母に肩を捕まれる。びくりとして振り返ったの視線の先で伯母は真剣な眼差しを向けていた。



「一度、ちゃんと竜也と話なさい」



 あの子だってもう子供じゃないんだから、放たれた言葉に返事は告げずにはその場を後にした。










 真っ暗な夜道を頼りなさげに街灯が照らしている。ぽつん、ぽつんと一定の距離を保ちながら不気味に光るそれをなんとなく見上げながらはゆっくりと進んでいた。
 懐かしいな、そう純粋に思える自分に驚く。既に自分中でこの光景が過去のものとして処理されているからなのだろう。
 何個目かの角を右にまがってまっすぐと突き進む。住宅街を抜けてあぜ道を進むと公園が顔を出した。大きすぎず小さすぎず、幼稚園の園庭に隣接するその公園の端にひっそりと佇む小さなベンチ。
 が視線を向けると案の定そこには先客がいた。



「竜也」



 そこに居たのは水野竜也だった。
  振り返った水野は心底驚いたような顔をしていた。するりとホームズをつないでいるリードが彼の手から滑り落ち、待ってましたとばかりにホームズがへと駆け寄ってくる。「久しぶりね」、が頭を撫でてやると嬉しそうに尻尾を振った。

「竜也、」

水野が何か言おうと口を開いたのを制するようには再び呼び掛ける。視線は変わらずホームズに向けたままでも凛と響く声に、水野が身構えたのがわかった。

「あんた、武蔵森に来るの?」

 想像していたよりも冷たい声が全身を突き抜けて、はゆっくりと目を閉じた。どうやら自分は怒りを感じているらしいことに気付く。それが誰に対してなのかはわからなかったが、三上が10番を外されそうになっているという件の噂話に関係していることだけは確かだった。

「・・・・なんで、あんたが、それ知ってんだよ」
「藤代くんに聞いたからよ。それより質問に答えてよ。来るの、来ないの」

 行くわけないだろ、水野の声は少しだけ震えていた。彼も同じように怒りを感じているらしい。その対象はきっと異なっているだろうけれど怒りのパロメーターが差す位置は同じなようだ。

「桐原さんに何言われたのか知らないけど、はっきり言ったらどうなの?武蔵森に影響してる」
「言ったよ!大体、に何がわかるんだよ」
「わかんないわよ、あんたの考えてることなんか」
「・・・・何しに来たんだ」
「真実を確かめに」

 こんなもんなんだ、とは少しだけ安堵した。
 会わなくなって会いたいという気持ちは募るばかりで。三上亮という恋人がいながらこれはルール違反だと思いながらも人から人への思いはどうすることもできないのだということを思い知った。かつての弟であり想い人である水野竜也を目の前にして、もっと感情的になってしまうかもしれないと思ったけれど、そんなことはなかった。むしろひどく冷静な自分がそこにはいた。

「桐原さんは何て言ってたの?」
「・・・別に、武蔵森に来いって。あの人、俺じゃなくて俺のサッカーの才能が欲しいだけなんだ」
「まだ、そんなこと言ってるの?そんなんじゃないって、いつも言ってるのに」
「うるさいな、には関係ないだろ」

 いつにも増して水野の物言いは投げ遣りだった。
 幼いころからサッカーをして育った水野にはサッカー以外の道はなかったように思われたし、それは実際間違いではないのだろう。決してそれは楽しいだけの道ではなかったし、そんなのは万人に共通していることなのだと思う。ただ、親という存在が水野にとっては大きすぎた。父親も不器用な人で上手く水野とコミュニケーションを計れずにいるようだったので、水野の母親やが仲介することもしばしばあった。だから今回のようなことも何度かあったのだけれど、いつもとは違う水野の様子に違和感を覚える。

「他にも、誰かに何か、言われたの?」

 には思い当たる人物が、1人いた。そうでなければいいと思いつつも、ほとんどそれは当たりなのだと確信する。





「・・・武蔵森の、10番の人が来た」





 ああやっぱり。

 急激に、体温が下がっていくような感覚に襲われた。
 ブーッ、ポケットの中の携帯電話が着信を告げる。





 差出人は渋沢克朗だった。





 
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08年12月25日


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