―交錯する。―











 時刻は夜9時を回っていた。
 普段ならばこの時間、しんと静まり返っているはずの校舎の一室は、今も煌々と明かりがついている。

 生徒会室だ。

 新入生に関する行事が一通り終われば、すぐに球技大会。さらにその後には、生徒総会が待っていた。ほとんどの生徒からしてみれば、かったるいことこの上ないその行事も、生徒会役員からしてみれば、なかなか大きな行事だった。半年間の総決算をして、さらに今年度の各委員会やら部活動やらの予算も決めなければならない。生徒たちの関心が薄い行事であるが故に、皆適当なのだ。各団体の会計係りが会議を忘れることなんてしょっちゅうあることだし、そうなれば、必然的に、生徒会が動く羽目になるというのも当然のこと。

 そしてもちろん、この行事において一番準備が面倒なのは、生徒会会計である。

「朱美!それとって、違う黒いファイルの方!あ、憂菜ちょうどいいところにきた!悪いんだけどバレー部の会計報告書今すぐ作ってくれる?」

 そんなわけで、も、めずらしく声を張り上げながら動き回っている。

「先輩、これ一回目通しました?通したんなら、明日男子の方に返しますけど」
「ん?あぁ、お願い」

 大方の学校において、めんどくさいことこの上ないのが、この生徒総会なわけであるが、しかし実はこの武蔵森学園ではそうではない。

 何故かというと、数少ない、男女合同企画であるからだ。

 どの生徒もどこかしら気合が入るのは間違いないのだが、この場合、気合の入る箇所に問題がある。別に生徒こぞって決算を真面目に聞いたりするわけもなく。つまりは普段滅多に会うことのできない異性に遭遇できるまたとないチャンスに、皆気合を入れるというわけだ。言ってしまえば、総会などには興味がない。違うものに興味の対象が移ってしまうあたり、他の学校よりもタチが悪いと言えるかもしれない。

「っていうか聞いてくださいよ先輩―!昨日テニス部の会計に予算案出してくださいって言いに言ったら、『あ、すみません忘れてました。そんなことより今年はどういう並び順なんですか?』って聞かれたんですけど!そんなことよりってなんだー!」
「あぁ、あの会計、だっていつもそんなんじゃない。っていうかむしろこのために会計になったみたいなこと聞いた気がする」

 わぁわぁとわめきたてる後輩を尻目に、は興味なさそうにそう言った。

 生徒総会にて各団体の会計が報告する際の並び順は、団体ごとに、男女交互に座る。それはその前のリハーサル(というかただの確認)や、会議でも同じことで、若干の交流が見られる場なのだ。というわけで、そういうこと目当てで会計という職に就くものも多い。金銭を扱うのだからもう少し考えて人選して欲しいと、生徒会は思うのだが、そんなのはお構いなしだ。

「・・・・・まぁ、気持ちはわからなくもないですけどっ。学校行事以外で男女で交流がある部活なんて陸上くらいですもんね。ね、先輩?」
「まぁ陸上は大会が男女一緒だし、総合争いとかあるから、ね」
「でもその陸部には、あんまりミーハーっぽい人いないですよね?なんでですか?」
「練習がきつくてそういう人はついていけなくなってやめるから」

 なるほど。

 やたらと関心した様子で後輩たちは頷いた。ほらちゃっちゃとやる!が手をぱんぱんと叩くと、文句を言いながらも彼女たちは自分の仕事へと戻っていった。
 積み重ねられた分厚い紙の束に目を向ける。全校生徒分(女子)の印刷物は、たったの3ページだけで、このありさまだ。17ページにも及ぶ資料を、今日明日で印刷しなければならないことを考えると、うんざりした。
 もう帰りたいー寝たいー、そんな風に皆が騒ぎ出したころ。

せんぱーい、携帯むーむー言ってますよー?」

 の携帯電話が、光りだした。
 バイブレーダーの音を「むーむー」と表すのはいかがなものかと思ったが、とりあえずは後輩に礼を言って、鳴り止まない携帯電話を手に取る。

「・・・・藤代くん。サッカー部は携帯禁止だったはずだけど」
『それ言ったら先輩もでしょー?そもそも携帯電話の校内使用は禁止ですよ!』

 けらけらと笑いながら、相変わらずのテンションで電話口から流れてくる声は、が聞きなれた、自分の恋人の後輩の声だった。禁止も何も、この時間になってしまえば、ぶっちゃけそんな規則はどうでもいい気がしたが、この男に理屈は基本的に通用しないので、はため息をつく。

「・・・・っていうか生徒会役員が生徒会室のみで使用可能なのを知っててかけてきてるでしょ」
『そんでもってその相手は先生又は各部活の部長及び会計、でしょ?』
「わかってるのならなんでかけてくるかな君は・・・・」
『安心してよ、俺未来の部長だから!』

 未来の部長は条件に含まれていません、とつっこむのも面倒で、は諦めたように、携帯を握りなおした。
 誰ですかー?あ、わかった三上さんだ!、先ほどの低いテンションとは打って変わって、きゃっきゃと嬉しそうに騒ぎ立てる後輩やら友人やらをテキトーにあしらいながら、は携帯の向こう側に向かって話していく。こんなのはもう日常茶飯事で、だからこそ会長も、見逃しているのだけれど。
 三上亮という人間は意外にも律儀で、携帯電話を持っていなから、大抵は持っている人から借りて電話をかけてきたりするのだけれど、今回は彼ではなかった。しかし説明すると色々と面倒そうだったので、はそのまま電話の主は三上であることにして話し続ける。

「で、何の用?」

 は、肩で携帯を支えつつ、たったいま会計の後輩、田中憂菜が大量に持ってきた書類にサインをするべくボールペンを滑らせていく。本日はこれさえ終われば、終了だ。

『そんな怒んないでくださいよー。例のあの件についてなのにー』
「は?例のあの件?」
『え、先輩もしかして知らない?』

 心底驚いたように藤代は言う。こうして電話してくるくらいだから、きっと三上関係ではあるのだろうけれど、には、まるで見当がつかなかった。
 実はというと、は最近、あまり三上と連絡を取っていなかった。実際に会ったのは、春休み最後の日に2人で映画に出かけたときで、それから約2ヶ月、会っていない。夏の大会の予選も始まり、三上が忙しくなったことと、生徒会行事が立て続けにあって自身も忙しいことも重なり、あまり会う時間がなかったのだ。2人とも寮にいるのだから、会おうと思えばいつでも会えたのだが、しかしそれが逆に面倒だということは重々承知の上だ。男女別学の武蔵森学園の生徒が、頻繁にその学校の近くで会うというのはあまりよろしいことではないのだ。
 いくら三上とが先生も公認の仲だとしても。そこら辺の分別は、2人ともきちんとわけまえている。
 電話をするにしたって、三上が誰かの携帯を借りるか寮の公衆電話を使って電話をしてこない限り、も連絡のしようがないのだから、仕方がない。電話をしてきた時も、相手に気を使ったり、寮の電話だと警備員の目が面倒だったりで、大抵5分も話さない。
 だから今のが知っている三上亮の情勢など、せいぜいサッカー部が地区予選を順調に勝ち進んでいることくらいだった。

「なに?何かあったの?」
『あー・・・先輩さぁ、最後に三上先輩と電話したの、いつ?』
「・・・いつだろう・・・球技大会前だから・・・あ、あれだ、中間テストが終わった日」
『そんなに前!?じゃぁ絶対知らないじゃん!』
「え、何、ほんと何なの?あいつなんかしたの?」

 その後藤代は要領を得ないことをもごもごと何か言った。とりあえず、いつものように笑って終わる話ではなさそうだと判断したは、きちんと携帯電話を持ち直して、ペンを置いた。

『先輩、春の都大会決勝は来てましたよね?』
「行ったけど」
『三上先輩と、話しました?』
「いや?生徒会抜け出して行ったの、会長にバレて戻らされたから最後まで見なかったし」

 そっか、と呟いたっきり黙ってしまった藤代に、はどうすればいいのかわからず。かと言って切るわけにもいかず。帰るわ、と生徒会面々に言うと、当然一斉にブーイングが聞こえてきたので、プリントの束を持って、これをやってくる意を込めて指差すと、しぶしぶ皆引いてくれた。なんだかんだで皆には甘い。会長が、おまけ、と言って渡してきた去年の総会のフロッピーデータを受け取ると、は生徒会室の扉をぱたりと閉めた。

「っていうかそもそもこんな時間にどうしたの?もう9時だけど」
『ん?やだなー先輩、俺だってそれくらいはちゃんと考えますよ。真昼間に携帯なんて使えるわけないでしょー』
「そういう問題じゃないわよ。で、何?今もう生徒会室出たから、何でも来いって感じなんだけど」

 そう言っても藤代は、あー、とか、うー、とか、意味のない言葉を発するばかり。察するに、彼はどうやら事の話をが三上本人から聞いてないことに、戸惑いを感じているようだった。ふぅ、とため息をついては説得するようにゆっくりと言葉を選ぶ。

「何を迷ってるのか知らないけど、気になることがあるんならさっさと言えば?私と亮がもともとお互い何でも知ってるような関係じゃないことくらい、君だってよく知ってるでしょう?」
『そりゃそうなんですけど・・・うーん、でもこれはなぁ・・・えー・・なんで三上先輩言わなかったんだろう。まぁ、俺が三上先輩の立場でも言わなかったかもだけど・・・っていうかキャプテンとかは?そこら辺からも何も聞いてないんスか?』

 亮と連絡取ってないんだから、渋沢くんとなんて連絡取るわけがないでしょう、があきれたように言うと、藤代はまたも唸ってしまった。

「亮が私に言ってないってことは、私に話す気はないってことなんだろうね。でも藤代くんは私に言うべきことがあって電話してきた。はい、君は今何を話すべきなのかな?」
『・・・・・三上先輩が先輩に言わなかったこと?』
「と、君が言いたいこと両方。じゃないと私がわからないから」

 基本的に、三上はあまり自分のことをには話さない。大抵が三上のことについて知るのは、その周りからということが多い。本人からは聞いていないけれど、でも知っている、ということが多かった。例えば三上が10番をもらったことだって、本人からではなく、今現在電話をしている藤代誠二から聞いた。
 いつも、そんな感じなのだ。その逆もまた、同じように。三上が誰からの情報を仕入れているのかはわからないけれど、しかしそれはどうでも良いことだった。

「今更でしょう、亮が私に言わないなんて」
『うー・・それはそうなんですけどー。あー電話しなけりゃよかった!』

 いくらなんでもそれはあんまりな台詞だと思ったが、ここで引き下がるわけにもいかない。

「ほら!ここまで来たら話しちゃいなさい!」

 それでも藤代は、しばらく黙っていた。はそれ以上何か言うこともできずに、あとは相手が話すまで待つしかなかった。多分、彼にしては珍しく1分間くらい沈黙していたと思う。それくらい、時間が経過してから、彼はやっと口を開いた。





『三上先輩、今、10番外されるかも、って話になってんすよ』





 まさかそんな話になるとは思ってもみなかったは、瞬間思考回路がショートした。はい?間抜けにもほどがあるような声のトーンでそう聞き返してしまう。

「え・・は?亮が、10番外される?え、何、何で、え?」

 さすがのも混乱した。
 サッカーなんて大したことはわからないけれど、それでも三上亮に司令塔としての実力が、十分に備わっているのだというくらいはわかる。渋沢や藤代同様、彼なくしては9月の新人戦以降の武蔵森はなかったわけだし、そんなことが、あるはずもないと思っていた。

『なんか、監督が、三上先輩の代わりに入れたいやつがいるとかなんとか』
「・・・何それ、その人、上手いの?」
『技術はすごいっすよ。俺もそいつと組んでやったら最高に気持ちいいだろうなーとは思うし。でも、』

 だからって三上先輩と代わって欲しいとは思わない、藤代ははっきりとそう言った。それを聞いて、少しだけは落ち着いた。あぁやっぱりこの後輩はすごいなぁ、そんなことを思う。

「なんかよくわからないけど、とりあえず大まかな事情だけはわかった。で、どうしたの?まさかその話だけのために、電話してきたんじゃないでしょ?」

 は廊下を突き進み、下駄箱へと到着した。がちゃりと昼間よりも大きく感じられる音を立てながら鉄の扉を開けて、ローファーを取り出す。乱暴にそれを床に叩きつけると、足を突っ込んでとんとんとつま先で床を蹴る。がん、と大きな音を立てて扉を閉めると、非常口から外に出た。真っ暗な空には、星が見える。今夜は晴れらしい。

『・・今、三上先輩、どっか行っちゃったみたいで』
「はぁ?」

 素っ頓狂な声をあげる。迷子かあいつは、は意味がわからなくて、思わずそんな言葉が口をついて出た。

『いや、話の流れから察してくださいよ。多分、その、三上先輩と入れ代わるって噂のやつんとこ行ったんだと思いますけど。』
「わかるわけないし。え、なんで今?」
『だって点呼終わったし、キャプテンはその真偽を確かめるべく、職員室行っちゃったし。まぁ行かせたのは俺らなんすけどでもとにかくキャプテンいないことには変わりないから、三上先輩ここぞとばかりに出てっちゃったんスよね』

 だけどもしかして先輩んとこかなーとか思って、藤代はそう言った。今生徒会が忙しいのは男子も同じなんだからそれくらいわかるでしょう、と言いたくなったが、生徒会役員と仲がよくない限り案外わからないのかもしれない。

 なんだかんだで、私ほんとに亮のこと知らないよなぁ。

 は大きく1つ、息を吐いた。この距離が心地良くて、あまり侵入してこない三上に惹かれたのだけれど。
 さすがに少しだけ寂しい気もした。

「誰なのよ?亮差し置いてでも監督が入れたいやつって。それはそれは素晴らしい人なんでしょうね?全国優勝校の司令塔とか、そんなのかしら?」
『いや、全然そんなんじゃないよ。俺個人としてはすっげー好きな学校なんだけど。春にうちと1回戦で当たったとこです』
「全国で?」
『いや、地区予選で』

 はますます顔をしかめた。なんだってそんなところから引っ張ってこようと思ったのだろう。仮にも武蔵森は全国レベルの実力なのだからそんな地区予選で消えてしまったようなところの司令塔に、三上が負けるとは思えない。
 の不満が藤代にも伝わったのか、彼は苦笑する。

『そんな怒らないでくださいってば。弱くなんかないですよ、良いチームだし、それにそこの10番は本当に上手い。俺もナショナルで会ってるし』
「・・・・・・・・・・・なんてとこよ?」
『えー先輩知らないと思いますよー?桜上水ってとこなんですけど―――ってキャプテン帰ってきた!すんません切りますね!また何かあったら連絡します』

 ブツリと電話は切られた。



 桜上水・・?



 呆然と、無機質な音が聞こえてくる自分の携帯電話を、は見つめた。
 言われなくたって知っている。

 あそこの10番が、どんなにサッカーが上手いか。





 水野竜也。





「・・・・んの馬鹿!」

 は携帯電話をカバンに突っ込むと、全速力で駆け出した。





 
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そんなわけで三上と水野のあの場面です。

08年02月12日


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