―再生。―











「自己嫌悪の塊って感じやな」

 日曜の午後3時、昼食の時間を過ぎて少しばかり空いてきたファミリーレストラン店内。
 食事を終えて、ドリンクを惰性で少しずつ吸い込みながらぼんやりと考え事をしていた田中に、ふいに声がかけられた。一拍あけて彼女が振り返るとそこにいたのは最近頻繁に会うようになった人物、佐藤成樹。

「・・・・なにしてんの」
「そらこっちの台詞やっちゅーに。くっらーい顔しよって、なしたん?」
「ちょっと先輩に色々言っちゃったっていうかなんていうかあああああもう亮なにやってんの早く仲直りしてよバカー!」
「ははは」
「笑うな!」

 反論した田中を見て、もう一度佐藤は「ははは」と気のない笑い声を発すると、通りかかったウエイトレスを呼び止める。中華そばとお冷二つーと注文する。かしこまりました、と静かに去ったウエイトレスを目で追ったまま、「憂菜はほんまに涼ちゃんのこと好きやなー」と呟く。

「好きです」
「ごめん、俺君とは付き合えへん」
「こっちだって願い下げだよ」

 呼び出しておいて散々やん!と佐藤は嘆くふりをして、それから携帯電話を取り出すと、もしもし、とそれに応える。どうやら電話の相手は学校の友人のようで「今?無理やねん、デート中」などと受け答えをしている。そんな彼の様子を見遣りながら、田中は力強く残りのカルピスを一気に吸い込む。何杯も飲んでいるはずなのに、一向に喉の渇きは消えなくて、もどかしい。佐藤が電話を続けていることを確認して、田中は再びドリンクバーへと向かう。
 不自然な緑色だと思っていても、何度も飲んでしまうメロンソーダを今度は注ぎながら、田中は自分のポケットから携帯電話を取り出した。昨日の夜、先日の自分の行動を反省して、涼に謝罪のメールを送ったのだけれど、それに対する返信はまだ来ない。受信メールを告げるランプが光る度に期待をするけれど、毎回落胆させられている。

「涼ちゃんて、その三上?ってやつのこと、ほんまに好きなん?」

 田中がテーブルに戻ると、佐藤は既に通話を終えていて、彼女が席に着く前にそんなこと聞いてきた。なにが言いたいのだろう、と思いながら、それでもはっきりと「好きです」と言ってやる。ふうん、とどこか不満げに佐藤は言った。

「何か文句でもありますか」
「別に。タツボンはどうなったんかなー、とね」
「どうもなにも、だってあの二人は姉弟でしょ」
「けど、どう考えたって、昔の涼ちゃんはタツボンのことが好きやったと思うで」
「なんでそんなことシゲがわかるの」
「勘」

 勘だけでそんな重大なこと言わないでよ、と思うけれど、佐藤の勘はなかなか鋭く、その的中率は目を見張るほど。きっと人をよく観察しているんだろうなと思う、田中には決して真似できない芸当だった。
 突然、水音のような音がした。驚いて田中が辺りを見回したとほぼ同時に、「お、噂をすればタツボンやん」と目の前の男が言った。「…今の、着信音?」「おお、ええやろ?小川のせせらぎ。内蔵されとったから設定してみたんやけど、なかなかええ音やー」得意げに佐藤はにかりと笑うと、ずいと携帯電話を差し出してきた。なに?と受け取って画面を見れば、短く簡潔に、『今日は涼が来るから無理』とだけ記されていた。差出人は水野竜也。

「…これ、」
「涼ちゃん、決心ついたんやなー。となれば、後は若いもんにまかせて、と」

 とりあえず食ってから考えよ、と丁度ウエイトレスから届けられた中華そばを啜る。何がとりあえずなの、とか、1人だけわかったような顔してなんなの、とか、田中は言いたいことが喉元まで出かけたけれど、あまりにもいつも通りの佐藤にため息をついて、「ばーか」と笑った。










 今すぐ国道沿いのファミレスに来いやコラア、というヤンキーのようなメールに、あくまでいつも通り素っ気なく返事を返すと、水野竜也は階下のリビングへと向かう。扉の向こう側から聞こえてくる笑い声は、伯母と、それから義姉。女っていうのはどうしてこうもおしゃべり好きなんだろうと首をかしげつつ、長年の経験からそこに答えなど見いだせないとわかっている水野は、一瞬だけ躊躇って、しかし結局勢いよくリビングの扉をあけた。
 大きな音を立てて入っていくと、驚いたような顔で三人が一斉に扉を見る。「扉は静かに開け閉めしなさいっていつもまりちゃん言ってるでしょー!」「相変わらず愛想がないぞ少年!」など好き勝手文句を言う伯母の声を背に、水野はまっすぐキッチンへと向かう。「あら、丁度良いところに来てくれた、これ持っていって」と母親に綺麗に盛り付けされた大皿をわたされ、それを受け取りダイニングテーブルへと向かう。どうぞ、と乱暴に置くと、わあ、と歓声が聞こえた。

「真理ちゃんの手料理なんて、久しぶり!私これ好き」
「あーそうだそうだ、涼がいるといつもこれ争奪戦になるのよねー」
「ま、仕方ないわね、まりちゃんのキッシュはそんじょそこらのお店なんかよりずっとおいしいから!」

 食べたいなら手伝ってちょうだい!という声がキッチンから届く。はーい、と女性三人は気前良く返事をして立ち上がり、キッチンから次々と料理を運んでいく。水野は黙ってその様子を窺っていたが、2リットルペットボトルで頭を叩かれ、飲料水係りとなった。いつかの桜上水面子を呼んだときと同じような風景に、本当に自分と女性5人でこれを平らげるつもりだろうかと首をひねる。

「はいそれじゃー皆席に着いたわね。いっただきまーす!」

 伯母の孝子が先陣を切って大皿に手を伸ばす。甲高い声と、身を包み込むほどのおいしそうな香り、ただ一人増えただけなのに、随分と食卓が華やかになった印象だった。



 『明日のお昼にお邪魔するね』と涼から一言だけ電話がかかってきた昨日の夜。驚いて、「ああ」としか返事を返すことができず、その後すぐに電話は切られた。突然の出来事に、しばらく受話器を握りしめていると、何にでも首をつっこみたがる伯母の百合子が「なあに?涼ちゃん?」と聞いてきて、これにもまた「ああ」とだけ返した。ほんとに!?と百合子は喜ぶと、すぐさま夕飯の支度をしていた祖母と母のところへ駆け戻り、「明日涼ちゃん来るそうよ!」と嬉しそうに言う声が聞こえた。
 別々に暮らすようになってまともに話したことはない。多少の交流はあるものの、どうしても間に流れる微妙な空気がお互いを邪魔して、上手く会話ができなかった。
 今更一体何をしに来るのだろう、ぼんやりとした表情で、水野はただただ答えのない問いを考え続けることしかできなかった。



「竜也キッシュ食べないの?なら私がもらうわね」

 ひょいと目の前に現れた白い手に、自分の目の前にあるキッシュを持っていかれ、そこで水野は我に返った。ぼーっと考え事をしている間にも、食事はひたすら女性人の腹の中へと消えていったらしく、数分前まで綺麗に盛り付けられていた皿も、既に三分の一は空になっている。キッシュを取っていった犯人は、水野の隣に座っている涼で、既にキッシュは四つ目になる。言い返そうとしたところで、二人のやり取りを見ていた孝子が「なあにたっちゃん食欲ないの?じゃあこのローストビーフ、もらってあげる」と、一人一人切り分けられていたローストビーフを軽やかに奪っていく。

「…っ、誰も食べないなんて言ってないだろ!」
「え、なにそうなの?早く言いなさいよ、もうキッシュ食べちゃった」
「そうよそうよー大体こんなおいしい食事を目の前にあんた何考え事してんのよ。そんなのは食べ終わってからすればいいことでしょー」
「って、言いながらローストビーフ食うな!」
「あー!だからってたっちゃん私の取らないでよ!!!」

 百合子の悲鳴と手が届く前に、奪ったローストビーフにかじりつくと、一斉に皆が笑う。あまり声を出して笑わない祖母さえもたのしそうに笑っていた。



「いいなあ、やっぱり水野家はこうでなくっちゃ」



 孝子と百合子の争奪戦を見遣りながら、小さい声で涼が呟く。「え?」と水野が聞き返すと、「これが一番自然だと思わない?」と涼は嬉しそうに笑った。

「多分さ、ここに総一郎さんが入ったって、変わらないんだよ」
「…さすがに…それは変わるんじゃねえの」
「変わらないよ、誰も。私も、竜也も」

 何が言いたいのだろう、水野は上手く理解できないまま、ただ隣で微笑む涼の横顔を見つめている。孝子と百合子の戦いはどうやら百合子の勝利でひと段落着いたらしく、またそれぞれの箸が皿に向かって伸び始めた。

「好きな人できた?」
「…はあ?」

 くるりと振り返ったかと思えば、涼が発したのはそんな言葉で、思わず水野は素っ頓狂な声をあげる。「なになになに何の話!?」もちろんそんな楽しそうな話題を伯母たちが聞き逃すはずもなく、再びその場は騒然となった。

「誰よ!あ、わかったこの間来てた子ね!」
「小島さんね!?」
「小島さんって誰だれ?私にも教えなさいよー!」
「あら、そうなの?なら今度たっちゃんと涼ちゃんでダブルデートすればいいんじゃないかしら」
「あ、いいねそれ。亮にも言っておくわ」
「…っだから!いきなり何の話だ!!」

 デートするならここがいい、このレストランはおいしかった、あのレストランはダメ、既に水野のことなどそっちのけで進む会話にため息をついて、大人しく食事を再開する。今度は会話に加わりながら、楽しそうに話す涼を見て、ああそういうことか、と水野は妙に納得した。



 自分の義姉は、どうやらようやく前を向く気になったらしい。

 鍵をかけてしまえば忘れられるからと泣きそうな顔で言った彼女に、どうすることもできなかった過去の自分を悔いていたけれど。
 昔から自分一人で全て抱え込んでいた義姉は、やっと誰かの力を借りて立ち上がったようだ。



 ――結局俺は、約束を守れたのだろうか?



 その真偽は定かではないけれど、また再びこうして隣で彼女が屈託なく笑っていることを考えれば、きっと結果は良かったのだと思えた。



 小さな小さな恋が、今、ようやく終わりを告げる。





「竜也、」





 その後の言葉は、伯母の声によってかき消されたけれど、ごめんね、と言われた気がした。





 
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お久しぶりです。ラスト一話。ようやく三上登場。

11年07月21日

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