―これから先、―











「今日久々にあのカップル見ちゃった!」

 廊下を慌ただしく駆けて行く下級生の声に、田中優菜は思わず足を止めた。え?ほんとに!?復活したんだーかっこいいよね!甲高い声で数人、女子が集まって話をしているのが見える。それなりに朝早い時間帯だったこともあって、その声は田中の耳によく届いた。それは、彼女を隣を歩いていた生徒会長も同じだったようで、「やっと機嫌の悪いから解放される時が来たな」とため息交じりに言う。それでも、その横顔は、どこか嬉しそうだった。

「やっぱあの二人って下級生の間でも人気あるんですねー」

 あのカップル、すなわちと三上亮。自分もその二人から見れば下級生であるにも関わらず、まるで他人事のように田中は呟いた。

「まあ、先生たちまで認めるくらいのカップルだからね、やっぱり目につく機会も他のカップルより多いし、何よりがあんなだからね。そりゃあ、かっこよく映るんじゃない?私だったら全然憧れないけどね」
「え、何でですか?」
「だって考えてみ?見てる分にはいいけど、あのなんていうかクールな感じがさあ、楽しいの?え?ほんとに楽しいの?って思わない!?恋人同士ってもっと花とか飛んでるもんでしょ!?」
「会長、少女マンガの読みすぎです」

 頼まれていた書類を届けようと職員室に顔を出す。しかしながらどんなに見渡してもお目当ての人物、生徒会顧問は見当たらない。彼の机の隣で何やら作業している音楽教師に問えば、まだ来てないけど、と返された。ありえねえ!と思わずその場で蹲った田中に、一瞬職員室は静まり返り、それから笑い声が起こる。

「笑いごとじゃないですよ!今日必要だからって言うからせっかく早く来て刷ったのに何この仕打ち!」
「まあ、置いとけばいいんじゃない?」

 するとそのタイミングで職員室の扉が開き、そこに現れたのはまさしく生徒会の顧問教師だった。二人の姿を確認すると、「あ、わり、そっか今日だ」などと反省の色を見せずにのたまう。

「先生!もう!せっかく朝早く来て刷ったのに!」
「あー悪い悪い、でもいいじゃねえか、来たんだし。そういや今日、久々にたち見かけたぞ」

 こうして職員室でも実に自然に話題に上がるほど、つまりと三上亮はここ最近二人でいる姿を確認されていなかったということになる。あーはいそうですか、田中は投げ遣りに応え、手にしていた書類を力任せに机に置く。苦笑しながらそれに続いた生徒会長に、顧問は「だから悪かったって」と相変わらずあまり反省の色を見せずに言う。
 今後のスケジュールだけを軽く打ち合わせ、嫌がらせに「失礼しました!」と叫んで職員室を出た。そんな田中の様子に対して会長の方はとくに苛立った様子はない。さすがですね先輩、と嫌味っぽく拗ねた子供のような声で言う田中に、彼女は答えなかった。

「田中、何そんなイライラしてんの?」
「だから!あの顧問が!」
「そんなのいつものことじゃん。なんかイライラっていうか拗ねてるみたいだからさー。田中の大好きなたちも仲直りしたみたいだし、てっきり上機嫌になるものだと思ってたんだけど」

 その言葉に、田中は思わず言葉を詰まらせた。概ね、間違いではない。しかしながら、あえて細かいところを訂正するならば、田中自身が尊敬してやまないのはの方であって、別段三上を憧れているということはない。
 は、田中にとって特別だった。それはおそらく、彼女だけではなくて、この学園にはそういう生徒が何人もいるだろう。には、そういうカリスマ性が備わっている。絶対的な存在感を持ちながら、部活で部長を務めるわけでもなく、生徒会長に立候補するわけでもなく、生徒会書記という立場で控えめに佇むその姿勢が、隅に凛と咲く花のようで、格好良いのだ。

 そういう存在だった。
 何かに苛立つ彼女など、見たくなかった。
 だから、おせっかいだとはわかっていても、思わず口を挟んでしまった。

 口を挟んだけれど、別に決してそれで動いて欲しかったわけではなかったのだ、と田中は今になって思う。喧嘩をしているらしい二人を見るに堪えかねての行動だったけれど、今更後悔した。当時はそんなことこれっぽっちも思っていなかったが、とにかく今現在、激しい後悔と、苛立ちに襲われている。絶対的な存在だったから、自分の言葉なんかで動いて欲しくなかった。例え、苛立つ彼女など見たくなかったとは言え、それが自身が決めた何か事情があるならば、仕方がないと思っていた。
 間違っても、田中が口を挟んだことが100%の原動力になったわけではないことくらいわかっている。それでも、先ほど幼馴染から届いたメールに、衝撃を受けた。ありがとう、だなんて言われる筋合いはない。

「まー、何でイライラしてんのかわかんないけどさ、とりあえず本人に向けてくんないかな、その感情」
「できるわけないじゃないですかー・・・私の先輩への信者っぷりは会長が一番よく知ってるじゃないですか」
「あ、やっぱにイライラしてんだ?」

 何でもないです!強くそう答え、生徒会室に向かって廊下を足早に行く。

 嬉しい、とも思う。あの、絶対的存在が戻って来るのだ、と思えば素直に嬉しい。やんわりと人を入り込ませないようにする、あの笑顔が懐かしい。
 ああもう!
 大声で叫ぶと、田中は全速力で駆け出した。










 女友達と久しぶりに顔を合わせても、話題が尽きることなどないというのに、それが恋人にすり替わっただけで、こうも沈黙するものなのか、とは隣で目を合わせない男の横顔を、じい、と見る。ならば話しかけよう、とも思うのだけれど、如何せん今までの会話が思い出せず、どのように切り出せばいいのかわからなかった。そもそも自分たちは喧嘩をしていたのか、していたのだとすれば何が原因だったのか、その辺りが曖昧すぎて、今話すべきことがわからない。ただ、かれこれ数か月、まともに会話した記憶がない。最後に話したのは春大の地区予選が終わった直後だったことを考え、さすがのも驚いた。

「・・・私たちってまだ付き合ってるのかしら」

 驚いた結果、口をついて出てきたのは、そんな言葉だった。

「・・・付き合ってると、思ってるけど」

 不機嫌、というよりは驚きの方が大きい声で三上が答えた。

「そういや、今の時期生徒会忙しいんじゃねえの」
「ご心配なく。自分の仕事ならきちんと終えてあるから」
「はっ、さすが皆の様だな」
「何それ」

 特別棟の屋上は、太陽が近いせいか、心なしか地上よりも暑いような気がした。すっかり夏仕様に変わった日差しは、日蔭にいてもその威力が届くほどだ。
 立ち入り禁止の札が屋上へ続く階段にかけられている。加えて当たり前だが鍵がかかっているため、普段はだれも立ち入れない。では何故そこに二人がいるのかといえば、文化祭の前準備が本日より始まるため、屋上の鍵をは顧問から預かっているのだった。もちろんバレれば大目玉をくらうことになるのだけれど、そこは気にしていない。優等生に見せかけて割とそうでもない、ということに三上が気が付いたのは、付き合い始めてまもなくして、だ。

「HRサボってもいいかしらね」
「よくねえだろ」
「亮って真面目だよね」
「お前は意外とテキトーだよな」

 カリスマ的存在、だなんて言われている割に、意外と本人は大して他の生徒とは変わらないようなことを考えている。
 ただ、それを表に出さない。
 その立ち位置に、居続けることを、自分で選んだのである。





「ごめんね」





 あんなに会話に困る、と思っていたはずなのに、案外するりと言わなければならない言葉は喉の奥から現れた。三上もバツが悪そうな顔をして、そうして、同じ言葉を口にする。

「亮は、私といるの、しんどいの?」

 付き合う前の前提条件に、干渉しない、を挙げたのはだった。それは、ある程度の距離を保ってさえいれば、面倒事もなく、楽に過ごしていけるだろうと思っていたからだ。加えて、自分の本当の気持ちを知ることに当時怯えていたは、他人が入り込むのを是としなかった。

 今、一番大切な人は誰ですか?

 後輩の言葉が脳裏をよぎる。ベタな言葉だったけれど、それはずしりとの胸の内に響いた言葉だった。

 手放してしんどいのは。
 先輩の方でしょう。

 見透かしたようにそう言った、二人の目が忘れられない。

 人の理想に応えて生きてきた。それは多分、にとっての処世術のようなもので、今更変えることはできないし、自身も変えるつもりなど毛頭ない。理想を求められるのは嬉しいことだし、何より評価されるのは素直に嬉しかった。見栄っ張りと言われればそれまでかもしれないが、あいにくその「見栄」を見破ることができる人物は数えるほどしかいない。
 例え恋人だろうと何だろうと、三上にだってそれを見せるつもりはなかったのだが、が思っていたよりも、三上はのことを知っていた。知ろうと、してくれたのだろう。比べては、三上と少し近しい人なら誰でも知っているようなことしか知らない。

「・・・別に俺は、好きでやってっからしんどくはねえけど、逆にはそれでいいのかよ?」
「それ?」
「お前は、そうやって他人を拒絶したままで、一人でそこにいるのはしんどくねえの」

 ああ、ここが原因だったのか。
 は今更ながらに、自分の行いを思い返して後悔した。多分、自分と三上が上手くいかなくなった原因は、が一人で抱え込むにはつらくなって、けれど、それを三上に預けなかったから、亀裂が生まれたのだろう。多分それは、普通に恋愛をしていた女の子ならば、誤らない道だったはずだ。けれど、普通の女の子が夢見る恋愛とは少しばかり形の違う方法を取っていたには、選択することができなかったのである。



「亮」



 名前を呼ぶと、久々に愛しさが沸き起こる。そんな感情さえも忘れかけていたことに苦笑しつつ、暖かなその感情を噛みしめる。

「今、何をしていて、何を頑張っていて、何を考えてるの?」
「・・・お前それ、改めて聞くようなことか?」
「そうだね、普通のカップルなら聞かないかもね。でも私は知らないもの」

 だから教えて、と言えば、三上は困ったような顔をした。

「・・・なんか今更すぎて、」
「恥ずかしい?」
「うっせ。でも、そうだよなあ、これが普通なんだもんな、恋人って」

 下が騒がしくなった。登校時間になったようだ。練習試合の次の日ということで、サッカー部は朝練がない。学校一の大所帯であるサッカー部の朝練がないと、こんなにも校内は静かなのか、と学校に足を踏み入れた途端感じたことを思い出す。人がいる気配というのは、こんなにも安心させる。

「私ね、多分これからも、こういう生き方だと思うけど」
「おう」
「ついてきてくれるかしら。ついでに言うなら、隣に立ってくれるかな」

 我がままだ、とは思っている。だから、三上に拒否されれば、それを強要することはできない。それでも、そこに立つならば、彼と一緒が良いと思う。

「俺は、お前に惚れてるからな。嫌だって言われても、手放す気なんてないぜ」
「・・・惚れてるんだ?」
「ずっとな」

 知らなかっただろ?と三上は笑う。笑顔さえも、なんだか初めて見たような気がした。これからもよろしくお願いします、と頭を下げれば、まかせとけ、と頼もしい言葉が返って来る。





 君との物語は、長い長い序章を経て、ようやく今、始まりを告げた。






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一体何年かかって完結させたのか・・・考えたくもないですが。
果たして待っている方などいたのかどうなのか。
何はともあれ、唐紅アリエッタ、完結です。
何が書きたかったのか、と問われると困ってしまいますが、始まりは「三上ってプライド高い子好きそうだな!」ということでした。そしてすれ違いそうだ、と。すれ違って再生するにはどうしようかと考えた結果、水野をぶち込んだり最早でしゃばりすぎの後輩ちゃん、田中を出してみたりしました。
個人的には田中ちゃんと三上の話とか、もっと書きたかったんですが、夢じゃなくなってしまうので自分の胸の内に留めておきたいと思います。
長々とお付き合いくださり、ありがとうございました。

11年10月27日

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