父親は神様を憎む人だった。
母親は神様を奪われた人だった。
私は、神様なんて、大嫌いだ。










人形劇











人が流れるように留まることなく目の前を過ぎていく。煉瓦を敷き詰めた道の上を歩いていく人々は、家族連れが目立つように感じられた。
母国とは大分雰囲気の異なる風景と雰囲気に、と樹は圧倒されていた。
吐く息は白い。頬を桃色に染めたこどもたちがどこか興奮した様子で通り過ぎていく。

「クリスマス、って言うらしいよ」

はポケットから飴玉を一つ取り出して口のなかへ放り込んだ。「くりすます?」樹が不思議そうに聞き返す。ほら、と言ってが指差した方向には、Merry Christmasとかかれた大きな看板が掲げられていた。

「ああ、聖夜のこと?」

樹が言うと、はこくりと一つ頷いた。

と樹が生まれ育った江戸はキリスト教が普及していたとはお世辞にも言えなかった。そもそも外国人を見かけることすら少ない。
彼らの母親は英国人だった。江戸にやってきたのは20歳前後のことで、つまりそれまでは英国で暮らしていた。郷に入っては郷に従えとはよく言ったもので、彼らの母親も、江戸の中で、英国人として生きることは禁じられた。や樹には、ベールを外している母親を寝室以外で見た記憶がない。金の稲穂のような髪の毛を、外国人を忌み嫌う外の連中に曝すわけにはいかなかったのだろう。幼かったでさえ、離れ以外でベールを外すことを禁じられていた。だけはかろうじて、離れベールを外すことを許可されていたのは、主人たるの父親のわずかな愛情から来たものなのかもしれない。
と樹は六つになるまで母親と同じ寝室で寝起きをしていた。寝室では自由にすることを許されていた母親は、それでも部屋の模様替えをしたりだとか、そんなことはしなかった。「あの人の元に嫁ぐと決めた時、祖国を捨てるって決めたのよ」、そう哀しげに笑った顔を二人は今も覚えている。江戸には無いもので、彼女がそこに持ち込んでいたものは、復活祭と聖夜というその2つの祭日だけだった。それが一体どういった行事なのか、そもそも行事なのかでさえも樹もわからなかったけれど、それでも一年に2回、母親と一日中過ごす日があった。聖夜にはケーキを作ってお話を聞いて、「贈り物よ」と母親からプレゼントを受け取った。復活祭には鶏小屋から卵をとってきて、3人でそれを飾り付けた。

「キリスト教の、儀式みたいなものだったんだね。キリストが生まれた日と、復活した日」
「母さん、俺たちには一切説明しなかったからな」

父親の国が許さなかったもの。

今、自分達はその頂点に君臨する人物の直属機関に所属しているのだと考えると、運命なんでどうなるのかほんとにわからないと思う。



「いっちゃんは、AKUMAを倒すことに、抵抗はないの?」



こつんこつん、ブーツの先では足元に無造作に転がる小石を蹴る。

「うーん、始めはそりゃ戸惑ってたけど、でも別に今は特にそういうのはないよ」
「でも――、」



が何か言おうと樹に詰め寄った時だった。





ドォン、と。





何かの爆発音ねようなものがすぐ近くから響いてきた。
ズン、と地鳴りがしたかと思うとすぐに建物が音を立てて崩れだす。

「―っ、!人間に紛れてAKUMAがいる!ラビたちと合流するぞ!」

地面を蹴りあげて樹は颯爽と走っていく。遅れまいともすぐに駆け出した。混乱に陥る人々の波をなんとか掻き分けて前へと進んでいく。
AKUMAと戦うラビとアレンを視界に捉え、その距離あと200mだった。

樹の右手側にひっそりと佇む品のよさそうな婦人を、は見た。


次の瞬間、叫ぶ。



「樹!右!」



が叫んだのとほぼ同時だった。
ぐにゃりと上半身を変形させ、婦人は樹に向かって飛び出していく。
AKUMAだ。
間一髪のところでなんとかそのAKUMAの攻撃を逃れた樹は十分に距離を取ってから、を振り返って叫んだ。

「どこか安全なところに逃げるんだ!くれぐれも俺を見失う位置には行くなよ!」

まかせたから!と叫んで近くの階段を駆け上がる樹に、は手を合わせて祈りのポーズを取って目を瞑った。

「神様なんて、大嫌い」










AKUMAとの戦いを一通り終えたラビとアレンは瓦礫に身を投げだしていた。

「何体壊った?」
「30・・・くらい」
「あ、オレ勝った、37体だもん」
「・・・・・そんなの数えませんよ」
「オレ何でも記録するのがクセなんさ〜」

ブックマンという職種を頭に浮かべてアレンはなるほどと頷いた。それにしても都会で遭遇するには多すぎる数のAKUMAに戸惑いが無いわけではない。

「合わせて70か・・・単純にオレらだけに向けられた襲撃だな。お前とリナリーが負傷してるのを狙ってか、はたまた何か別の目的か・・・」

別の目的、と聞いてアレンは動かない頭を少しだけ右側に向けた。自分達が戦った範囲外の街の外れからも煙のようなものが立ちこめている。ラビがあんなに向こうまでAKUMAを飛ばしたのだろうかと考えてそれはありえないなと首を振る。

それならば。

「ラビ、あの姉弟は、大丈夫なんですか?」
「ん?と樹?どうだろな。でもあの2人はAKUMAを見分けられるし、それにもう十分戦力になるってコムイが言ってたから大丈夫っしょ」

あっちの方のドンパチはあいつらなんじゃねぇの?そう言ってラビはアレンが先程まで目を向けていた方角を投げ遣りな様子で指差した。アレンよりは戦い慣れているとはいえ、ラビも疲労したらしい。

ラビは教団から出発するとき、コムイから少しだけあの変わった双子の新人エクソシストについて聞いた。彼らも共に行ってもらう、とコムイに告げられ、ラビは怪訝そうに眉をひそめた。「全面戦争なんだろ、エクソシストになったばっかの奴らなんて足手纏いになるんじゃねぇの?」ラビのはっきりした物言いにコムイが苦笑したのを覚えている。「大丈夫、あの2人は即戦力になるはずだから」、その後詳しいことを尋ねてもコムイは曖昧に笑うだけだった。
だからラビとてまったく心配をしているわけではないのだけれど。

「大丈夫かな病院・・・痛っ!」
「ダイジョブか?まだ完治してねんだろその左」

起き上がったアレンの悲鳴のような声にラビも重い体を持ち上げた。見れば左肩を押さえたアレンが低姿勢になりながらラビに近づいてくる。

「まぁね。僕もラビ達みたいに装備型の武器がよかったな」

ぱたぱたと頭上を飛ぶティムキャンピーを見上げながらアレンは愚痴のように呟いた、「寄生型なんてフベンなだけだよ」、続いて大きなため息を漏らす。そういえばたちはどちらなのだろうとラビに尋ねようとしたところでラビが先に口を開いた。

「・・・病院てあっちの方だよな」
「え・・・うん多分」
「ここ握って」

ん、と差し出されたラビのイノセンスをアレンは言われた通りにぎゅっと掴んだ。「何?」と尋ねてもラビは答えない。

「大槌小槌・・・伸っ!」

ラビの掛け声と共に嘘みたいな勢いでそのアレンが掴んだ槌の柄は空に向かって伸びていく。





アレンの悲鳴がこだました、その空の下。





と樹は寄り添うようにして倒れていた。





 
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09年02月22日



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