意味がないんじゃないだろうかと思わせる任務に、思わぬきっかけが舞い込んできていた。

「ぜーったい、誰が見たってはなんか隠してんだろ」

前から怪しいなとは思ってたんさ、ラビは面倒くさそうに大袈裟にため息をつきながらそう言う。アレンはなんだかひどく不愉快そうに顔を歪め、神田はぴくりとも動かない。
リナリーは窓の外のフィルターがかかったかのようにぼやけた空を見上げた。

が、何かを隠していることは間違いないわ。

でも。と、その思考はすぐに打ち消される。何の確証もないし、と昨夜から考え続けている禅問答が頭の中で再び繰り広げられ始めた。
リナリーからに対する信頼感は絶対だ。こちらにだって根拠はない。しかし、リナリーのエクソシストとしての長年の勘が、はほとんど関係ないと告げている。否、関係ないとは言いきれないかもしれないが、少なくとも自身がリナリーたちに危害を加える気はまったくないように思われた。

「でもラビ、例えばが何かを隠しているとして、彼女が素直に話してくれると思う?」

リナリーの問い掛けに、ラビは一瞬氷のように冷たい視線をちらつかせたが、すぐにいつもの通り、へらりと笑う。
リナリーはこの変化には気付かない。

「・・・言わないだろうな」
「でしょう?」

だったら考えていたって始まらないじゃない、こくりと水を飲み込んだ。

「じゃあ、について他の人たちに聞いてみるっていうのはどうですか?」

そこで初めてアレンが口を開いた。アレンの提案に、リナリーは思わず顔をしかめた。ラビは愉快そうに口を歪める。神田は相変わらず眉間に皺を寄せたまま動かない。

「それは・・・どうかと思うわ」
「どうしてですか?周りの人に聞いて見れば、が関係ないんだってことが証明されるかもしれませんよ」

その逆も然りですけど、アレンは立ち上がってスタスタと戸棚へ向かう。木製の扉をギィ、と音を鳴らして左右同時に開けると、砂糖の小瓶を取り出した。紅茶に入れるつもりらしい。

「確かに、そういう捉え方もできるな。リナリー、いいんじゃねぇの?少なくとも俺はそう思うけどな」

リナリーはしばらく両の手にしっかりと収められたコップの中の水をじっと眺めていたが、最後には、それもそうね、と顔を上げた。
神田もそれでいい?ちらりと見上げるようにそう尋ねると、勝手にしろ、と短い返事だけが返ってきた。




















久しぶりだわ、リナリーは完全に闇と化した部屋のベッドの上でむくりとその身を起こした。
あと一時間は眠れなさそう。
どうやら今日の寝付きは最悪らしい。とりあえずからからに乾いてしまっている喉を潤すために、台所へ移動しようとベッドからそろりと出ていく。
かちゃりと扉を開けると、静かな廊下に驚くほど響いた。手に持つ蝋燭がゆらゆらと揺れて、リナリーの周りをうっすらとした淡いオレンジ色に染める。その脆く幻想的な光だけを頼りにリナリーは階下へと降りた。
台所内でコップを探すと今日自分が使ったものが干されているのがすぐに見つかった。冷たい水をギリギリまで注いで、後ろを振り返ろうとした。

「リナリー?」

びくり。
突然響いた澄んだ声にリナリーは肩を震わせた。

「二日前くらいにもこんなことなかった?」

笑いながら近づいてくるのは当然のことながら宿屋の主人で。
リナリーは安堵の息を漏らした。

「そうね。泥棒かと思われたんだったわね」
「今回もそうなんだけどね?ふふ、秘密の逢引きみたいね」
「それは・・・ちょっと違うんじゃないかしら・・・」

リナリーが苦笑すると、はいつものように綺麗に笑った。
で?今回は何してるのかしら?はリナリーにそう尋ねる。はっとしたように慌ててリナリーは口を開いた。

「別に怪しいことしてるわけじゃないわ、ただ眠れないから水を飲もうと思って・・・」
「誰もリナリーが怪しいことしてるなんて思ってないよ。眠れないなら、またこの間みたいにお話しましょ」

そう言って挙げた右手には、既にマグカップが二つ握られていた。始めからそういうつもりだったのかもしれない。くすりと思わず笑ってしまう。不思議そうに首を傾げるに、リナリーは、何でもないわ、と笑いかけた。

「移動するのも面倒だし、そこに椅子があるでしょ?それ出してもらえる?」
「はあい。この机も?」
「お願い」

ガタガタと少しうるさいとも取れる音を立ててセットする。無音で移動とかできないのかしら、とリナリーは自分がその音を立てている張本人だと言うことを棚に上げてそんなことを考えた。どさりと椅子に腰を降ろしたところでが湯気を立てたマグカップを両手に持ちながらやってくる。

「なんで眠れなかったの?」

はいどうぞ、赤いラインの入ったマグカップをリナリーに手渡す。
客人用のカップはどうやらラインの入ったものらしいと言うことをリナリーは最近台所に立つ機会が増えたために知った。ラビがのものを使おうとして注意をしたら、よく見てんな、と呆れ声で返された。それでもきっと記録者であるラビはそれをしっかりと頭に叩き込んでくれただろう。

「考え事してて」
「考え事?任務について?」
「まぁ、そんなところよ」

リナリーが少し視線を逸らすような仕草を見せると、はふぅん、と意味有り気に笑った。





「あれでしょう、私の発言について考えてたんでしょ」





ラビ辺りがやたら誇らしげに私は黒だとか言ってたんじゃないの、ココアを少しだけ口に含む。リナリーはやはりというかなんというか、には何も隠せないな、と腹を括った。

「そうよ、なんであんなこと言ったの?」

じ、とを見つめる。
はしばらくココアを飲んだりぼんやりと宙を見るように黙っていたが、3回目にマグカップを口に運んだ後に、ぽつりと呟いた。



「だってちっとも楽しそうじゃないから」



え?聞こえてきた言葉の意味を理解しそこねたリナリーは、もう一回お願い、とに言う。だから、楽しそうじゃないから。

「どういう意味?」
「そのまま。私の家で毎日面白くなさそうに話し合ってるから、ちょっと私が不愉快になってただけよ」

リナリーは少しだけ驚いた。
は自分たちのことなど少しも気に掛けていないと思っていたからだ。どちらかというと他人には無関心型だと思っていた。

「ごめんなさい」
「謝らないでよ。どっちかというとラビとアレンに謝って欲しいかな。神田はいつでもあんなんみたいだし。」
「ラビと、アレンくん?」
「そう。だってリナリーを困ったような顔にさせてばっかじゃない。女の子にそういう顔させるのは絶対にダメなの」

そう言ってはにこりと微笑んだ。
あぁやっぱり不思議な人だなぁ、とつくづく思う。ラビが警戒心を抱くのも頷けるし、神田が特につっかかっていかないのも頷ける。よく言えば何か神々しい感じを纏っていて、悪く言えば人ならざるもののように感じてしまう。
不思議、リナリーはそう小さく呟いて、ココアにやっと口をつけた。

「リナリーって、」

突然自分の名前を出されて驚き、咄嗟の反応が遅れてしまう。

「愛されなくちゃ、ダメなタイプの子よね」
「・・・・・・・・・え?」

自分じゃよくわからないわ、返事に困って、しどろもどろにリナリーがそう答えると、はくすくすと笑う。

「アレンもそんな感じがするけど、それとは違う感じ」

アレンが愛されなくてはならないタイプだ、というの意見には同意を示すことができた。あの子は神さまに愛されなくちゃ、ダメな子だもの。神の使徒でありながらも、きっとそこには差が生まれる。神田とは違った意味で、神を憎んでいそうな白い少年は、きっと愛情に飢えている。

「アレンくんは、わかるわ。あの子は神さまから愛されなくちゃ」
「そうだね、どちらかというとそんな感じ。だけどリナリーは、神さまよりも、人に、ね」

が自分に何を伝えようとしているのか、まったくわからなくて、リナリーは彼女を見つめ返すことしかできなかった。
ことり、マグカップを机上に置く。その動作を見たもまた、同じように無地の白いマグカップをほとんど無音で机に載せる。










「あなたを愛してくれる人は、あなたが思っている以上にいるってことよ」










愛を注ぐのには慣れていた。

愛を注がれるのには気づかないフリをしていた。



その分の愛を返せるかどうか、とてつもなく不安だったから。



 
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07年08月17日



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