「あまり良く状況がつかめないんですが、僕がここにいるのはの役に立ってるんですよね?」

アレンが聞くと、本を読んでいた華奢な少年はこっくりと頷いた。



アレンは今、普段使われている教室と何ら変わらない構造の部屋の中にいた。机と椅子が綺麗に四十個並び、前には教壇が一つ。壁には濃い緑色をした黒板がかけられており、どうやら最近掃除をしたようだ、埃一つない。ただし後ろのボードとロッカーは使われている形跡はなく、他に物は見当たらない。整然と並ぶ机の中にも横にも荷物は何一つ存在していない。あるのはアレンの荷物だけ。
そして教室内にいる人間もまた、アレンと、アレンの知らない少年の2人だけだった。



少年はアレンが教室に入った当初から黙々と黄色いカバーの文庫本を読み続けている。
アレンに目を向けたのは、アレンが教室のドアを開けた時の一度だけ。アレンは少年の声すら聞いていない。ただ顔を上げたその一瞬で見せた顔立ちは、まるで人形か何かのように美しかった。

――神田みたい。

そう思ってから自己嫌悪に陥って頭を振る。それよりもどちらかと言えば先程アレンをこの教室に案内――というよりも強制連行――してくれた少女に良く似た面立ちだ。





その少女は前触れもなくアレンの教室にやってきた。
あなたがアレン・ウォーカー?、凛とした声で言う。はい、とアレンが肯定するよりも先に、「ちょっとついてきてくれる?」と有無を言わせぬ雰囲気を纏ったまま少女は言った。知らない人には付いて行ってはいけないと口を酸っぱくして養父に教えられていたアレンは、返事をせずに困っていたが、少女の口から、の名前が飛び出したので、まぁ付いていってもいいかな、なんて思ってしまったわけで。気が付いたら席を立ち上がっていた。アレンが出た後に、少女はアレンと話をしていたクラスメイトになにやらメモのようなものを渡していたけれど、それが何なのか結局少女は教えてくれなかった。目的地もわからないままアレンは少女の背を追っていった。昼休みにはあまり人の気配がない特別棟の、さらに奥へと進む。生徒会室と委員会室の間にある階段を少し下ると、すぐに教室のような空間が現れた。ここにいてくれる?、少女は扉の前で止まるとアレンに顔を背けたままそう言った。何故ですか、アレンは扉についた小さなガラス窓から中を覗き込む。机と椅子以外何も見えなかった。「のためになるから」、少女はそれだけ言うとさっさと階段を上り始めた。別に後を追い掛けることも、教室に戻ることもできたのだけれど、何故かそこから暫らく動くことができなくて、アレンはとっくに誰もいなくなった階段を見つめていた。

は不思議な人だ。
アレンたち留学生と案内人だけしか知らないはずのハウスの存在も知っているし、しかもどうやら合鍵も持っているらしい。
生徒会長を務め、その人柄の良さから周りの人間からも好かれているようだけれど、実際問題、アレンはの名前と学年しか知らないように思えた。
それでもお世話になっていることは紛れもない事実であるので、ここらで恩返しでもしておこうかなあ、と思ったのだけれど。





、の役に、立ってる気が、まるでしない、んですけど」

独り言のつもりで呟いてみる。



「最終的には先輩のためになるんですよ」



返ってくるとは思ってなかった返事が、聞こえてきた。一瞬少年が発したのだと理解することができなくて、アレンは三度ほど瞬きした。
まるで部屋の片隅にひっそりと置かれていたフランス人形が口を開いたような気分だ。驚きと若干の恐怖が一緒くたになって襲ってきて、上手く反応が返せない。アレンが口を閉じたり開いたりしていると、少年は文庫本から顔を上げた。人形が動いた!と思ったことは見逃していただきたい。

「すみません。こんなことに付き合わせて」

少年はアレンに頭を下げた。

「ぇ、あ、いえ、それは全然構わないんですけど、えっと、あなたの、名前は?」

あ、僕はアレン・ウォーカーです。

慌ててアレンが頭を下げると少年は笑った、「知ってますよあなたのことは」。それから少年はくるりとアレンの方を振り返ると、すっと背筋を伸ばしてにこりと微笑んだ。

「僕の名前は伊倉翔です。先輩には生徒会でお世話になっています。ちなみにさっきのは姉です」

ぺこりと伊倉翔と名乗った少年は今度は挨拶の意を込めて頭を下げる。長めの前髪がさらりと揺れて彼の表情を一瞬だけ奥に隠した。
姉だったのか、とアレンは納得した。2人ともすらりとしていていて、見るものをはっとさせるタイプの顔立ちだ。少年の方は痩せているというよりも余分なものを全て削ぎ取ったようなシルエットだ。何か運動をしていることは確かだな、とアレンは思った。
茶色に染めていた姉とは対照的な肩までかかる黒髪ストレートとその体格は、否応無しに神田ユウを連想させて、アレンの気分は急降下だ。彼には何の罪もないことくらいわかっているものの、こればかりはどうしようもない。
も何故神田なんかとつるんでいるんだろう、アレンの中の七不思議のうちの1つだ。のことは好きなので、なおさら許されないことだった。リナリーも神田を嫌っているようには見えないことを思い出して、さらに不快な気分になる。

「どうかしました?眉間に皺が拠ってますけど」
「いえ、何でもないです」



神田を追いやるようにアレンは頭を2〜3度振った。



先輩、仕事放置してるんです」

おもむろに翔は言う。

「どんなに言ってもやってくれないので、最終手段に出ることにしたんです。ごめんなさい、私事に巻き込んで」
「いや、僕は暇なのでそれはいいんですけど僕は一体どうしての役に立っているんですか?」
「役に立っているというより為になっている、なんですけど。説明すると長いんですが、聞きますか?」
「いいです」

アレンに迷いはなかった。

本当のことを言えば翔に聞きたいことがたくさんあるけれど、このタイプはきっと教えてくれない。アレンはラビを思い出してため息をつく。
窓から空を見上げるとどんよりと曇っていて、灰色をした厚い雲の層に空全体が覆われていた。雨が降る気配こそないけれど、光を臨むこともどうやら絶望的らしい。



――曇り空って好きなんだ。その後晴れるとものすごく嬉しくない?



昨日の夕飯時、がリナリーが作った生春巻を頬張りながらそう言っていたのを思い出す。
何事もプラスに捉えて笑う少女のためになっているのなら、何でも良いように思えてきて、アレンはゆっきりと目を閉じた。

今まさに昼休みが終わる頃で、アレンがここから出られるのはあと7時間も先のことなのだけれど、今の彼にはもちろんそんなことを想像できるはずもない。



 
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
08年06月07日


back

伊倉翔 designed by 葉瑚さま




生徒会編3