これにて終了。










薇が愛した花嫁











最初に異変に気付いたのはリーバーだった。

黒の教団で生活している人間は大きく四つに別れている。科学班、探索部隊、エクソシスト、その他。その他に何が含まれるかというと門番だとか料理人だとか婦長だとか要するにそういう人たちだ。
基本的に馬鹿みたいに忙しい科学班は、他の人たちと接する機会も多い。エクソシストも探索部隊も彼ら無しでは仕事ができないのだから当然といえば当然なのだけれど。科学班員たちはエクソシストや探索部隊に仕事を振り分ける際、もちろん誰が一番適任なのか考えているわけであり、従ってその班長であるリーバーや、さらにその上に君臨するコムイなどはほとんどのメンバーを把握している。



だから、最初に気が付いたのがリーバーだったというこの事実に、何ら疑問点はない。



「なあラビ、知らないか?」

エクソシスト仲間がこぞって任務に出かけてしまってから早五日。本日の修業と読書タイムを終えたラビは暇を持て余していた。からりと晴れた快晴の空を見上げながら整然とした中庭を歩いていると、困惑顔のリーバーが、茂みの中から現れた。

「リーバーはんちょーじゃん。?見てないなぁ。っていうか、いくらがちっさくてもそんなとこにはいないと思うぞ?」
「いや、別に探してここにいたわけじゃなくて」

あっちにいたらその髪の色が見えたからもしかしてと思ったんだ、リーバーは奥にある解放された廊下を指差した。とラビの髪色は近い上に目立つ。なるほど、どうやらリーバーは廊下から中庭まで一直線にやってきたらしい。結果、障害物であるはずの茂みを突っ切る形になったようだ。

「なに?いないの?暇だからどっか遊びにいってんじゃん?」
「いや、それは絶対にありえない。あの子は生まれてからずっとここにいたせいなのかよくわかんねえけど、ここから出ようとは任務以外じゃ思わないはずだ。今までも外出なんてしたことないし」

もラビ珍しい髪の色をしているために、教団がいくら広いと言えども普通に生活していればどうしたって目立ってしまう。意図的に隠れようと思えば話は別だが、それだって多くの人間が生活しているこの建物の中では難しい。部屋に引き籠もって一歩も外に出なければ話は別だが、そういうわけにはいかないのだから、事実上隠れ通すのは無理だと言っていい。
アレン・ウォーカーにひっついていったんじゃね?ラビの意見は却下された。誰かが出ていけばわかるらしい。思ったよりも厳重に警戒されている。

「今までにこういうことはなかったんか?」
「なかった。呼べばすぐに来てたしな。ある程度の大きさがあれば教団内なら声が届く」

ラビは素早く脳内の引き出しから必要な情報を取り出した、そういやは人体改造されてんだっけ、口に出すと目の前の男が怒りそうなので黙っておいたけれど。
とにかく見かけたら連絡くれ、リーバーはそう言うと慌ただしく駆けていった。



ラビはゆっくりと目を閉じる。










「良い事、教えてあげようか。」

あの日、ラビはいつも以上に冷めた目で自分よりも幼い少女を見つめていた。
無邪気に見上げてくるをゆっくりと撫でると、さらに顔をほころばせた。
どうしてあんなことを言おうと思ったのか、実はラビ自身よくわかっていない。
魔が差したと言うよりも本当にただ口をついて出てきたのだ。

「いーことってなぁに?」

ラビはゆっくりとまるで見下すようにを見た。
一体アレン・ウォーカーの何がそんなに気に入ったのか、ラビにはわからなかった。リナリーとはよく似ている。そのリナリーもそれが恋愛だろうとなかろうと、少なからず彼に好意を抱いているのだから、彼はそういった種類の人間に好かれるタイプなのかもしれない。
「小さなころって不思議よね。好きな人に好意を向けることに何のためらいもないんだもの」いつかのリナリーの意見に反対するつもりはないが、果たして自分の子供時代がそうであったかと聞かれると答えは言うまでもなくノーだ。それはもちろん今の自分よりは純粋だったことは間違いないが、真っ白だったとは思えない。

そもそも自我を持った時点で人間は既に灰色だと思う。

思っていた。

それなのに目の前の少女ときたらおそろしく真っ白で、白すぎて嫌悪してしまいそうだった。





「消えればいいんさ」





そのラビの言葉を上手く理解することができなかったのだろう、はぼんやりとした表情で彼を見上げた。吹き抜けていく風は二人を嘲笑うかのように冷たい。

「消える・・・?」
「そ。話によればあいつの今んところの一番は養父だろ?つまり死者だ。もういないものに、勝てるわけない。死んだ人ってのは美化されるからな」

話というのはぶっちゃけてしまえばブックマン情報網により掴んだ内容で、要はプライバシーの問題にひっかかるような入手方法なのだけれど、黒の教団にプライバシーも何もあったものではないことくらいアレン・ウォーカーもわかっているだろうから、気にしないでおく。
にしては珍しく、少し曇ったような表情を見せた。

「でも、あたしが消えたら、アレンにもう会えないよ?」
「だな。でもアレン・ウォーカーの中に、が一生植え付けられることになる。」

あいつは、お前を忘れない。
ラビがゆっくりと言うと、はみるみるうちに顔を輝かせた。街で見かける子ども同様に無邪気な笑みだった。

「うん、それはとってもステキね!」

にとってステキかどうかはラビにはよくわからなかったが、少なくとも彼女意外にとってはステキでもなんでもない話だ。実年齢よりも幼く見える少女は、元気いっぱいに微笑んだ。一度も見たことがない、リナリーの幼い頃を見ているような気分だった。

「でも、どうすればいいの?消えるってどういうこと?」
「さぁ?そこまでは俺もわかんねぇけど。に任せるさー」

それ以上干渉すると、いくらなんでもルール違反だ、とラビは思った。誰が定めた何のルールなのかは知らないが、とにかくルール違反だとそう確信した。踏み込んではいけない領域とでも言えばいいのだろうか。





何せここでは神が見ている。











ラビはゆっくりと目を開けると、迷いのない足取りで廊下を進む。目指す先は一度だけ訪れたことのある空間。途中ですれ違った探索部隊の人間は、ラビを見るとバツが悪そうに顔を背けた。

――アレン・ウォーカーの一件だな。

直感で、そう思う。
によって教団中にバラ撒かれたアレン・ウォーカーに対する悪い噂は、勢いを失って急激に小さくなっていた。リナリーが涙を溜めて探索部隊に訴えたのと、それを知ったコムイ室長が何かをやらかしたのが原因らしい。任務に行く直前、神田の部屋にアレンの見舞いに行った直後の出来事だった。残念ながらラビはその現場を目撃できなかったのだけれど。

アレンくんは、ただのエクソシストよ。アレンくんが呪われてるっていうのなら、私だって呪われてるわ。

どうやらリナリーはこのようなことを言ったらしい。

なるほど、言ってくれるじゃないか。

ラビはやたらと関心した。探索部隊から見ればエクソシストは一歩間違えると化け物に近いということを彼女はよく知っている。



それは、にも言えること。



むしろイノセンスを持たないで、あれだけの戦闘能力を誇るの方が、畏怖の対象かもしれないくらいだ。
加えてあの完全に麻痺したまま止まってしまった精神状態であれば、探索部隊が恐れてしまうのも頷ける。インプットされた、一定量以外の感情は、出てこない。





だからこそ、いつまでも夢を見る。





リナリーが叶えられない夢を平気で口にする。加えて昔幼すぎた少女を守ることのできなかった自分の罪悪感もあって、どうやらリナリーはを受け止めることができないようだ。最もこれはブックマン後継者としてのラビが観察した結果の答えなので、合っているかどうかは定かではない。

しばらく廊下を突き進むと、開けた空間に出た。よく探さなければわからないような、棚の影に隠れるようにして存在している扉を開けると、錆ついた音がする。ラビはゆっくりとその中を進んだ。
「あいつにはどうやら、帰巣本能みたいなものがあるみたいだ」、この間、神田が面倒くさそうにそう言ったのを、ラビはつい数時間前に思い出した。帰巣本能?ラビが聞くと、神田は顎で先ほどラビが通ってきた扉をしゃくってその後は何も言わなかった。
教団内部には今現在は使われていない部屋が多く存在する。それらは基本的に、その昔実験室として使われていたものが多いようだ。ブックマンの話によると、コムイが室長になる前のものらしい。

彼が室長という地位に着任して以来、開かれなくなった扉は多い。

だからこそ、もしかして、とラビは思ったのだ。
がこの世に生を受けてから数年間過ごした「そこ」に、彼女は帰るのではないかと思った。今思えばあの時神田はがこうなることを、なんとなく予感していたのかもしれない。基本的に本能の赴くままに生きている彼のことだから複雑に考えた結果ではないことだけは確かだ。

思っていたよりもその部屋までの道は暗かった。その昔は点いていたであろう電灯は埃と蜘蛛の巣にまみれていて、最早ほとんどその原形はわからない。床を蹴る足の感触が心なしか柔らかい感じがするのは、積もり積もった埃のせいなのだろう。目の前に現れた扉を持っていた蝋燭で照らすと、それは真っ赤な色をしていた。年月を経てどこか黒ずんだ印象を受けるが、それは紛れもない赤だった。その重い扉を押して中へ入ると、意外にも整理された空間が現れた。ここまでの廊下同様埃まみれなのは変わらないが、この部屋の主が綺麗好きだったのだろう、家具や文房具がきちんと整理された状態のまま残っている。突然、この部屋は封鎖されたのであろうことが予測された。
ゆっくりと、部屋をぐるりと見渡す。



窓のようなものが1つ、ぼんやりと浮かび上がっていた。



ひび割れていて、あまり良い感じを受け取ることはできない。



そしてその中心には、真っ赤な薔薇が1つ、咲いていた。



しばらくその赤を見つめたあとに、時間をかけて窓の向こうに視線を移す。





ラビとよく似たオレンジが、静かに横たわっていた。





言うまでもなく、だった。





見た限り、外傷のようなものは見られない。その顔色も、いつもと同じように感じられた。部屋の中には、楕円形の台が1つ。その上にはごちゃごちゃと何本ものケーブルのようなものが互いに絡み合って置かれていた。部屋をぐるりと囲む機械に、それらは繋がっているようだ。
そしてその中心に、がいる。
眠っているとしか思えないような、綺麗な顔だった。



死んだ、というよりも。





機能が停止している、という方が正しいのかもしれない。





アンドロイド?ラビはそう思ったが、しかし確証はどこにもない。ただ、という少女がかつて教団に存在していて、そしてその幼い少女が、今はもう存在していないことだけが明らかな真実だった。










「ラビ兄、お願いがあるの」

あとは自分でどうにかしろとラビがに告げた直後のことだった。別に殊更真剣な顔というわけでもなく、いるもの笑顔では言った。

「アレンには、内緒にしてね」










その時は意味がわからなかった。
消えたらそのことを内緒にしろという意味にとったラビは、それじゃぁ意味がないだろう、と思ったからだ。しかしは笑うだけで、結局その後は何も聞けなかった。
今も、あの時のが告げた言葉の真意はわからない。わからない故に何を秘密にすればいいのか見当もつかなくて、結局のところ、ラビはに関する全てのことに口を閉ざすことに決めた。
この後アレン・ウォーカーと深く関わることになったとしても、に関する共通の記憶はラビとアレンの間には存在しないのだから、アレンが詳しくラビに追及してくるようなこともないだろう。たかが数ヶ月の記憶なのだ。曖昧になっていくかもしれない。



もう一度、ラビはじっくりと横たわる少女を見る。



握られた手の平に、見覚えのある花があり、それがキンレンカだと気づいたころには、ラビはもうから興味を失っていた。
元来た道を行きよりも足早に通過していく。

戻ったらまず始めに、リーバー班長に報告しよう。



は、どうやら還っちまったみたいだぜ。



それを彼らがどう取るのかわからない。それを任務に向かった神田やリナリーに報告するもしないも、彼らに委ねることにした。





――アレン・ウォーカーが、一番好きなんだろ?なんで?

――アレンは、最初からあたしのことになんて興味がなかったからだよ。





1番になることが無理なことくらい、もしかしたらは知っていたのかもしれない。
そんなにカミサマは、あの白い子どもが好きなんかね、ラビは小さく笑った。










カーテンコールはいらない。

役者たちはいつだって一度しか舞台には立てないから。





愛してくださいと、子どもは一度も言わなかった。

愛がよくわからないから、欲しいとすら思わなかったのだ。





 
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08年07月20日


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