夢の中へ。










薇が愛した花嫁











「アレンだ!」

甲高い声が廊下に響く。
自室の扉を開けようとドアノブに手をかけたところでアレンは動きを止めた。ぱたぱたと何かが近づいてくる音がする。暗闇に続く廊下の先からだんだんと姿を現したのは思ったとおりだった。
時刻はあと一時間ほどで夜明けを迎える時間帯。さすがに驚いたらしいアレンは、ぽかんとした表情のまま完全にフリーズしている。

「アレーン」

目の前で小さな手を何度か振られてそこでようやくアレンは我に返った。叫ぼうと息を思い切り吸い込んだところでに制される。
まだ、夜明け前だ。

、どうしたんです?こんな時間に」
「ん、報告書かいてた!」

ほら見て!差し出された紙束には、アレンが初めての書いた報告書を見た時と同じように、模範のような現地図が書かれている。今回の任務はロンドンの外れだったらしい。

「アレンは、これから任務?」
「そうです。リナリーと共に」

アレンは嬉しそうに笑った。
夜の闇と完全に同化してしまったかのような濃い暗闇の中でもとアレンの髪は異彩を放っている。そこに、ぽっと明かりがついたかような華やかさだった。二言三言他愛もない会話をして、アレンは急がなくてはならないことを思い出し、にそれを伝えて去ろうとすると、探索部隊の部屋は地下水脈までの道と近いからとは階段を下ろうとするアレンの後をついてきた。並んで数階降りたところで、アレンは突然奇妙な違和感に襲われる。





でもそれが何なのかわからない。





もともとアレンは、少しだけが苦手だった。あんな風に正面きって好意を示されたのが養父以来だったことと、他の人にはその好意を向けていないというその事実と。他にも様々な要因が複雑に絡み合った結果の感情で、好きだよと笑顔を向けるに同じ言葉を返すことはどうしてもできなかった。

「ねえ、どうして君は僕に向かって好きだよって言うのかな。リナリーや神田のことだって好きなんでしょう?」
「好きだよ!でもアレンが一番なの」

この間、同じ質問をリナリーにした。はどうして僕に好きだよって繰り返すんですかね、リナリーからの過去話を聞き終えて、なんとなくの話を今しなくてはいけないような気にアレンはなっていた。リナリーがの話をするとあまり良い顔をしないのはわかっているから、彼女本人から話題を振られたその時が、どういうわけか絶好のタイミングに思われたのだ。
アレンは待った。
じっとテーブルの真ん中あたりを見つめたまま動かないリナリーが口を開くのを、ただひたすら待っていた。少なくとも時計の長針が一周するのを待って、おそるおそるリナリーが顔を上げた時は、なんだか奇跡でも起こったんじゃないかと思えてしまった。



――アレンくん。



迷いのない、透き通る声だった。



――あの子は、おそらく愛されたことなんてないと思うわ。



言葉にするとありがちな物語みたいでなんだか陳腐に聞こえるわね。リナリーはにこりともせずにそう述べた。もうとてもじゃないが暖かいなんて言うことが出来ない季節が到来していたので、まだそれほど夜だという意識はないのに既に太陽が完全に地上から姿を消していて、代わりに頼りないのに存在感だけはある半月が遠い山の端から姿を表していた。



――そんな子が、愛し方を知っているなんて思えないの。



何かを訴えるような声だった。



――私は、がアレンくんをどこか知らないところに連れていってしまうんじゃないかって、それだけがずっと心配なんだよ。





アレンは隣をうきうきとした足取りで階段を下る少女に、のろのろとした動きで目を向ける。に出会ってからもう随分と経つような気もするけれど、まだほんの数か月しか時が進んでいないことがどうしても信じられなかった。

?」

呼び掛けると嬉しそうに少女は顔を上げる。

「なに?」
「・・・いえ、帰ってきたらまた、遊びましょう」

やったー!もちろんそういう反応が返ってくるものだとばかり思っていたアレンは、何か考えるように、ふ、と下を向いたに、さすがに訝しんで前に回ってしゃがみこみ、の顔を覗き込んだ。

「どうしました?」
「ねえ、アレンはあたしのこと、すき?」

そう言っていつかのリナリーのように真っすぐな目で見てきたに、アレンは少しだけ恐怖のようなものを覚え、慌ててそれを振り払った。
アレンには目の前の小さな少女が何を考えているのかわからなかった。何も考えていないのかもしれない。

「もちろんですよ?」
「本当?えへへっあたしは一番アレンが好きだよ」

だから、アレンに好いてもらえるためなら何でもするの。

無邪気であることを罪だと感じたのは生まれて初めてだった。同時に所謂片思いというやつはなんて身勝手なんだろうと嫌悪感に似たどす黒い感情も渦巻いてくる。まだこんなに幼い子なのにどうしてこんなことを思わなくちゃいけないんだ、そんな自分に対する可笑しな感情まで沸いて出てきて、気分は最悪だった。

「・・・僕、任務に行かないと」

ふらり、アレンが立ち上がるとはまたすぐ後ろに付いてきたが、5歩ほど進んですぐにぴたりと止まった。
?アレンが振り返るとは階段の一番上で笑っていた。綺麗な色だ、と改めて思った。燃えるような橙色は神田の部屋で見たあの花を思い出し、「ああ、もしかしてあの花、?」、と気が付けば口に出していた。一瞬きょとんと目を開いたは、そうだよ、ととても幸せな顔で笑った。

「あたし、部屋ここだから。リー姉によろしくね」



さよなら。



くるりと踵を返して、小さな少女は闇のなかに消えていった。アレンはそこから動かない。





――アレン!





次にリナリーがアレンの名前を呼ぶまで、ずっと少女の声が頭に響いていた。



 
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08年06月07日


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