許してください。










薇が愛した花嫁











リナリー・リーは特に何かをしているわけでもなく、談話室にてぼんやりと空を見つめていた。
冷え込んだ空気が少しだけ肌寒かったけれど、耐えられらないほどではない。
先ほど淹れたコーヒーは完全に冷え切っていて、とてもじゃないが口にする気にはなれなかった。
辺りに人は見当たらない。
無気力状態でだらりと下げられた両手の先はかじかんでうまく動かせなくなっていた。
祈るように手を合わせる。
胸元のクロスに視線を向けてもなんの慰めにもならなかった。










―1人でも、多くの人を救いたい―



そう、口にできなくなったのは、いつからだろう。



―目の前の1人すら満足に救えねえくせにそんなこと言うんじゃねぇよ―



わかっているつもりだった。
他人から言われることが、こんなにも自分にショックを与えるとは思わなくて。

―1人で全て抱え込むから、無理なんだ。お前にとって、ここの人たちはなんなんだよ―

じゃぁあなたにとっては、何なの?
反撃のつもりでそう言えば、彼は馬鹿にしたように一言。

―ただ、仕事が同じなだけだ―

俺にはやらなきゃならねぇことがあるからな、空を見上げて少年は言った。どう思うかなんて人それぞれだろ。
不思議と、嫌な感じはしなかった。つっけんどんな物言いなのに、何故かそれが温かく感じられて、不覚にも涙が出そうになった。彼にとっては些細な出来事だったのだろう、きっともうとっくに、自分とこんなやり取りがあったことなど忘れているに違いない。
じゃぁ私はこれからは神田のために戦うよ、そう笑って言うと、神田は迷惑そうな顔をした。
「だけど1番は兄さん」、この言葉には、少しだけ口の端を上げたように思えたけれど。



―『あいつ』は、仕方なかったんだ―



頷くことはできなかった。

仕方がなかったと言えばそうなのかもしれない。
幼かったリナリーにはどうすることもできなかったし、コムイが教団に来る前の話だった。
だけど。



―おねえちゃん、まって―



そう言う幼子の手を振り解いたのも事実だった。






―今度、赤ちゃんが生まれるのよ―

大きなお腹を自分に触らせてくれながら、科学班の女性が言った。元気に動き回るその生命に、リナリーは驚いた記憶がある。





―リナリー、僕らはね、母さんと父さんが互いに愛し合って、大切に思って、そして生まれたんだ。だから、僕らは幸せにならなくちゃいけないんだよ。だって2人は僕らのことが大好きなんだから―

そうだね!そう言って兄の腕にしがみついて笑った。





―リナリー、君はもう、には会ったのかな?―

「ううん、まだよ」、自分を慈しむように包み込んでくれるエクソシストはその返事に、そうか、と悲しそうにつぶやいた。





―あらリナリーこんにちは。もしかしなくとも、を見に来てくれたのかしら?―

産後間もないはずの女性は、少し前とまったく変わらない様子で、真っ白な白衣に身を包み、ファイルを抱えて立っていた。小走りに近寄れば、危ないわよと抱き上げてくれる。いらっしゃい、そう言って小さな部屋に通された。

入った部屋には、窓が一つ。



そこから空は見えなかった。



は?」、会えないのではないかと少しだけ不安になりながら、幼い日のリナリーは、自分を抱いている女性に聞いた。見上げた女性の顔はとても優しく、温かかった。ゆっくりと、口が開かれる。

―その中よ―

女性の指差す先には、窓のついた壁があるだけ。その窓も、どう見ても開閉できる仕組みになっているとは思えない。入れないの?目でそう訴えると女性はごめんねと眉を下げながら言う。窓から見ることしかできないの、そう言って、当時のリナリーでは覗くことのできない高さの窓へ、自分を抱き上げて連れて行ってくれた。
わぁ!目を輝かせて窓にぺたりと両手をつける。










ひやりと、体温が、下がった気がした。










その時リナリーは、窓が異様なまでに冷たいのだと、信じて疑わなかった。
「これ」が怖いとか、そういう理由ではないのだと、必死で言い聞かせる。

2人は僕らが大好きなんだから

兄の言葉が頭の中で反芻された。親は、子どもが、大好きなんだ。どくりと心臓が波を打つ。

何か、言わなくちゃ。

そう思うのに、喉の奥からは乾いた空気の音しか出てこない。

おめでとう、とか、可愛いね、とか、何か、何か何か何か。

けれど必死になって搾り出した小さな言葉は頭の中で考えていたこととはまったく別のものだった。





―「これ」、ほんとうに、にんげん?―





女性は、まさか、と微笑んだ。










ばたん!大きな音を立てて開かれた談話室の扉の音にリナリーはびくりと反応した。いつの間にかトリップしていたらしい意識をすばやく現実世界へと引き戻す。一度大きく深呼吸をして、扉の方を振り向いた。

ぴょこり、見慣れたオレンジが視界の端で揺れる。

「リー姉!」

は嬉しそうにそう言った。

どくり、先ほど夢の世界の自分が体験したように、心臓が大きく反応する。

しかしそれはほんの一瞬のことで、すぐに落ち着きを取り戻した。
走り寄ってくる少女に手を差し出す。

「どうしたの?」

ぽす、と少女はリナリーの横に腰掛けた。ここに来るまでに、走ってきたのだろうか、髪が少し乱れている。

「逃げてきたの」
「誰から?」

リナリーが不思議そうに首を傾げると、は、驚いたように目を見開いた。

「リー姉知らないの?今教団、ちょっとした騒ぎになってるのに」

え?今度はリナリーが目を見開く番だった。
確かに長い間この談話室にこもっていたとは言え、それは半日くらいのことだ。アレンと別れて一旦部屋に戻り、それからすぐにここへ来た。アレンと会う前は科学室で本を読んでいたり、ラビと神田の部屋にいたり。そこまで記憶を撒き戻して、自分が彼ら以外の人とコンタクトを取ったのは、軽く3日以上前だと言うことに気づく。

「何かあったの?」

迫るようにに顔を近づける。
んー、人指し指をこめかみに当てながら少女は少しだけ考えるような仕草をした。



「アレンの噂が、教団を騒がせてるっていうか」



ざわ。
空気が変わった。

「それ、どういう、」

混乱する頭でなんとか紡ぎ出した言葉は最後まで意味のある文章を作ることはできなかった。

「ん?アレンは呪われているって話。教団来た当初もそういうの、あったんでしょ?でもそれよりもなんだかひどいみたい」

くすくすとおかしそうには笑った。
ぞっとするような感覚が背中を走る。リナリーはを睨みつけた。

「なんで、笑うの。笑い事じゃ、ないでしょう?それに、どうしてそれでが逃げなくちゃならないの」

一層、少女は笑みを深くする。










「だって、」










歪むその口が耳まで裂けるのではないかと思った。



 
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ありがちネタ割と好きでごめんなさい。

07年11月10日


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