「2位じゃん」 「うるさいなわかってることわざわざ言わないでもらえますか何で言うんですか嫌味ですか?」 「まあ、始めから今回もダメかもって言ってたじゃん気にすんなよ」 まだ5月だというのに、もう随分と暑かった。年々夏日が増えているように思うのは、きっと勘違いなどではなく、地球温暖化のせいに違いない。HRを終えて、現在の時刻は午後3時40分。一日の中でも、アスファルトやコンクリートの建物が昼間の熱を吸収して気温が下がらずに最も暑くなる時間帯だ。6月にならなければクーラーはいれません!と断言されているので、教室は蒸し風呂のようだった。職員室を除いて唯一クーラーの効いている図書室に、一目散に駆け込む。テスト前には混む図書室も、テスト直後の今日はガラガラだ。 何となく定位置になりつつある一角に腰を下ろして理科のワークを広げる。今回のテスト範囲は大半が1分野で、私の苦手分野だった。復習をしておかなければきっと受験で痛い目をみることになる。好きか嫌いかと言われれば、嫌い、の部類に入ってしまう程度には苦手だった。なかなかやる気の波は湧き上がってこない。しばらくうだうだと無意味な時間を過ごしていたら、ふいに影が増えていることに気が付いた。 「・・・・椎名くん」 後ろを振り返れば、いつの間にやってきたのか椎名くんが立っていた。 3年に上がってからも結局クラスは同じにならなかった。そういえばクラス替えの際に、運動能力、学力、ピアノの才能など、そういうものが偏らないように気を付けていると聞いたことがある。もしもそれが本当ならば、転校してきてからずっと一位の椎名くんと、万年二位の私が、同じクラスになるわけはなかった。 クラスは同じにならなかったけれど、会えば挨拶する程度の仲にはなった。時には話をすることもある。勉強の話をすることが多い。私と椎名くんとの共通の話題などそれくらいだからだ。 「いると思った」 「話したことあったっけ?」 「学年末終わった後に、言ってたじゃん。場所は言ってなかったけど、教室は暑いし、となると図書室しかないだろ」 「あー、言ったかも。って、あれ、椎名くん今日部活は?」 「ないよ。地区大終わったばっかだから」 勝ったの?と勝敗を尋ねれば、当然、と大したことないかのようにさらりと返ってきた。サッカー部を一から作り上げたと噂には聞いているが、どういうわけかなかなか強いらしい。 「テストの復習だけじゃないんだ?」 私が机の上にワークやらノートやらを広げているのを見て、椎名くんが言った。 「・・・・椎名くんと違ってこっちは必死なんですー」 「まあ、頑張れば」 「うわむかついた!」 思わずクラスの男子に返すノリで反応すると、椎名くんは爽やかな笑顔で、声に出して笑った。「ははっ、いいじゃん」あまり褒められたわけではなさそうなのに、椎名くんの綺麗な笑顔ならば、なんだかそれを追及する気にもなれなかった。少しだけ、大騒ぎをする女子たちの気持ちがわかったような気がした。少しだけ。 ガタン、と音がした方を見れば、間を少しあけて、同じ長テーブルに椎名くんも腰を落ち着けている。てっきりすぐに帰ってしまうのだとばかり思っていた私は、ついつい「え」と声をあげてしまった。 「何?だめ?」 「いやいや、ダメとかじゃないけど。珍しいね」 「誰かさんに触発されたのかも」 「誰でしょうね」 「誰だろうね」 もっと差が開くように僕も理科にしよう、とさりげなくひどいことを言われたけれど、それは聞かなかったことにしてあげた。本当に理科の教材を机に並べ始めた椎名くんに、「ねえ」と声を投げかける。 「勉強よりも、したいことがあるんでしょう?欲しいものがあるんでしょう?それでも、勉強も頑張るの?」 「何の話?」 「前に言ってたじゃん」 椎名くんは本当に心当たりがないのか、不思議そうに首をかしげた。 中学二年の3月、椎名くんが言ってた言葉が、ずっと気にかかっている。彼にとって、勉強は、学力は、一番欲しいものではないのだ。 私は、それが欲しかった。 吹奏楽部に所属しているけれど、私には特別に秀でた音楽センスがあるわけじゃない。足りない分を補えるまで、踏み込んで頑張る勇気もない。運動神経が特別良いわけでも、化学の知識が豊富なわけでもない。 だから、私の一番の武器に成り得るものは、これしかなかった。 負けるわけにはいかない、のに、勝てない。 彼にとっては、一番ではないのに、だ。 「麻城ではできないことなんでしょう」 「ああ、その話」 思い出したのか、椎名くんは机の上にシャープペンシルを置くと、少し考えるような仕草をした。 「要らないわけじゃないからね、これは。優先順位があるだけで」 だから手は抜かないよ?と、椎名くんはまた、いつもの敵なんかどこにもいない!みたいに自信に満ちた顔で言った。ああ、本当にこんなにも眩しい人に、勝てる日が来る気がしない。 その後、下校時刻10分前のチャイムが鳴るまで、私たちは一言も言葉を交わすことはなかった。 |