それはまるで始めから決められていたことのように、ごく自然でごく当然のような顔をして、そこにいた。他のものがそこに来ることなど、あり得ないとでも言うように、堂々たる風格である。溶け込んでいるのだけれど、その存在感はにとって、とても重い。ずしり、と圧し掛かってくるようだった。 「なんだろうな・・・・もうそろそろどうでも良いっちゃあ良い気がしてきたよね・・・・この子は私のために生まれてきてくれて、そして存在しているのだと思うの・・・・」 「お前さあ、頼むから順位表覗き込んでぶつぶつ呟くのやめてくんない?怖いから」 「この丸みを帯びたてっぺんがいっそ憎らしい・・・・!」 怒りや悔しさを通り越して菩薩のような優しい笑みで見つめる先にあるのは、もう随分と見慣れてしまった「2」という数字で、目を何度も瞬いても、裏返してみても、その数字が姿を変えることはなかった。薄っぺらな紙が告げるたかだか中学校のテスト順位など、気にすることはないと言われればそれまでだけれど、勉強しても勉強しても追いつかないもどかしさと悔しさが、どこから来るものなのか、最早私にもよくわからなかった。負けず嫌いな性格であることは確かだけれど、自分がこんなにも一番に固執していることに、何より私自身が一番驚いている。 「聞くまでもないでしょうけど、今度は何位だったわけ?」 「2位ですけど何か問題でも?」 「おめでとう」 「ありがとう嫌味か」 「こっちの台詞だっつの!」 無意識のうちに力を込め過ぎていて、指の先が色を変えて白くなっていた。 「じゃーもう俺部活行くわ。今日吹部休みなんだっけ?」 「会議らしいからね」 「途中まで行こうぜ」 「と、見せかけて図書館寄るから無理」 ほんと勉強好きだなー、と呆れ声で笑いながら、クラスメイトは教室を出て行った。 復習はすぐにしなければ意味ないのよ。 なんてしたり顔で言ってきた母の言葉を信じているわけではないけれど、それでもやはり記憶に新しいうちに復習するに越したことはない。きちんと理解できるし、何より忘れにくい。テスト返却後、なるべく早く復習するように心がけている。最後に返された社会の復習を終え、出されている宿題をまとめて終わらせたところで、下校時刻10分前を告げるチャイムが鳴った。外を見ればいつの間にか太陽の光が姿を消していて、替わりに空のてっぺんから濃紺の夜が押し寄せてきていた。人気のない廊下を足早に抜け、玄関で戸締りをしようとしていた警備員のおじさんに挨拶をする。3月とは言っても朝夕はまだ冷え込みが厳しい。マフラーに顔を埋めると、校門を目指す。 と、そこに人影があった。歩く速度に合わせて揺れるエナメルバックから、運動部の生徒であることがわかる。ギリギリまで一人で残って練習でもしていたのか、他に生徒は見当たらなかった。 「あ、」 追い抜こうとしたところで顔をなんとなく覗ったことを、私は後悔した。後悔したのだけれど、もう遅い。私の声に反応して、その生徒は顔をあげた。怪訝そうに眉を顰め、それから、「なんだっけ、ええっと、ああさん」と、どうにか私の名前を引っ張り出してきた。 「部活?」 「・・・・ううん」 「委員会?」 「いや・・・・勉強、してたから」 「ふーん」 椎名くんだった。一方的にライバル視している、学年一位に君臨する男。転校してきてからこの方、一度も同じクラスになったことがなければ、委員会でも一緒になったことなどなく、だから彼が自分の名前を把握していたこと、もっと言うなれば存在を認識していて顔と名前が一致していたことに驚いた。 「好きなの?」 「何が?」 「勉強」 何故こんなことを聞くのだろう。予想外の遭遇に混乱する頭を何とか冷静にさせて分析を試みた。しかし結局そんなことわかるはずもなく、「嫌いじゃない、けど」と、素直に答える他なかった。 いつの間にやら二人並んで下校している。椎名くんは電車だっただろうか、と考えてみるけれど、情報は出てこなかった。 「何で?」 「何で・・・・って、知らないこと、わかるようになると楽しいし。わからない問題を考えて考えて、答えが出ると、面白いし」 「へえ。てっきり、別に好きなわけでもないけど受験に必要だから、とか言うのかと思ってた」 私の記憶が正しければ、椎名くんとの接触はこれが二回目だったはずだ。一方的にライバル視してはいるけれど、直接の関わりはなかった。それを、どうしていきなりこんなことを言われなければならないのか、噂で聞いた通りのはっきりとした物言いに、少なからず苛立ちを覚えてしまう。 「そういう椎名くんこそ、そう思ってるんじゃないの?」 「ああ、ごめん、気を悪くしたなら謝る」 その甘いマスク故に女子から絶大な人気を誇る椎名くんに、アタックしては言い負かされたり、黄色い声援を送っては一蹴される女子を見てきている。反撃に出てみたはいいものの、もちろん口論で勝てるとは思ってもいなかったし、噂のマシンガントークが出てきたらさっさと諦める気でいたのだけれど、予想に反してするりと椎名くんが謝罪の言葉を口にしたので、すぐに反応することができなかった。 「別にそう思ってたっていいんじゃない?ひけらかしたりしてるわけじゃなさそうだし。これから先、高校受験のみならず大学受験だってあるわけだからしておくに越したことはないし、受験のために内申の点数あげておきたいって思うのも普通じゃん」 「・・・・椎名くんは、本当にそのために勉強しているの?」 「それもあるかな。まあ、あとはさんと一緒。僕、勉強割と好きだからさ」 単純に、一位になりたいわけじゃなかった。この男、椎名翼に勝ちたいのだった。さっきまで、その理由が思い当らなくてもやもやしていたけれど、唐突にそれを思い出した。 話ながら既に一つ目の曲がり角に来ている。私の家は、ここを右に曲がってすぐだ。私が足を止めると、椎名くんはちらりと振り返り、少し進んで、足を止めた。 「椎名くんは、何で麻城を辞めたの?」 年が明ける前、似たようなこと――――もったいない、などという言葉――――を言って顰蹙を買ったばかりなのに、聞かずにはいられなかった。果たして椎名くんが勉強に励む理由の一番大きな部分は話してくれてはいないだろうけれど、それでも先ほどの発言を聞けば、質問したくもなる。じ、と椎名くんを見つめると、彼は口の端を上げて不敵な笑みを見せた。 強い光が、目に宿る。 「もっと欲しいものがあったから」 それって何?と聞けるほど、私は椎名くんと親しくなかったし、踏み込む勇気も覚悟もなかった。そう、とたった一言返事をすると、まるで逃げ出すように背を向けて歩き出した。 |