君と道標 1

中学二年 12月20日(木)

   


ちゃーん、五教科何点だった?」
「481点・・・・」
「うげっ、さすがとしか言い様がないんですけど!」

 冬休みに入る直前の、一大行事、二学期の期末テストを終えたばかりだった。三日間の戦いを終えて疲れ切った私たちに追い打ちをかけるように返却されてきたテストに、教室のあちこちから悲鳴があがる。主要五教科全て返却されて見れば、合計点数は481点。平均95点以上なのだから、悪くない。むしろ五教科合計では今までの中で一番良かった。母親だって褒めてくれるだろう。しかし。
 ぺらり、切れ端のような小さな四角い紙切れを捲ると、そこにはテスト順位が記されている。教科毎に順位は異なるものの、大体が2か3、そして、総合順位は、2位。十分すぎる結果なのはわかっているけれど、それでもやはり悔しかった。
 落胆して肩を落としていると、同じ学級委員を務める男子が歩み寄ってきたのが見える。嫌な予感しかしない。そして大体、こういう時、私の勘は当たる。

「おやおや?その落胆ぶりを見るともしかすると?2位の座を死守できなかったのかな?」
「うっさいどうせ私はいつも2位ですけど何か問題でも!?」
「また2位なのかよ!!相変わらずすげーなー
「私が1位目指して日夜勉強に励んでいることを知ってるくせに!」
「2位でショックとか嫌味でしかないんですけど!」
「いやお前ほんといい加減諦めろよ。天下の麻城中学からの転校生ですよ?勝てるわけないじゃん?」

 やり取りを聞いて隣の席の男子からもツッコミが入った。無視を決め込んでもう一度紙を覗き込む。何度見ても、無機質に並ぶ数字に変わりはなかった。
 ここのところ、連続して学年1位を欲しいままにしている男がいた。それは、件の麻城中学からの転校生、椎名翼だった。有名難関私立校として名高い麻城中学からの転校生ともなれば、言うまでもなく頭が良く、そしてどういうわけか彼は容姿にも恵まれていた。転校早々ダンスでも踊れと絡まれてしまうくらい、彼は芸能人顔負けの綺麗な顔の持ち主だったのだ。容姿端麗、頭脳明晰とくれば当然のことながら女子生徒が黙ってはいない。転校してきて早々ファンクラブなるものが結成されたという噂を聞く。部活仲間も皆彼に夢中だった。非の打ちどころがない、だとか。
 麻城中学は、東京都だけではなく、全国でもその名を馳せている、有名な難関私立校だ。入試の倍率も、全国でトップ5に入るほどで、麻城中学に入学したくて、まだランドセルを背負って登校している時から、勉強に励む子供がたくさんいるほどなのだ。私は中学受験はしていない。東京では中学から私立に通う子供も多いけれど、近くて通学に便利な公立校、飛葉中へと進んだ。けれど、中学受験の経験がない私にだって、麻城中学が難関だということくらいはわかる。受からなくて公立へ入学する人だっているほどなのだ。確か、飛葉中にもいたはずだ。そういう、羨望の的になる中学から、椎名くんはやって来た。皆、遠巻きに彼を見ている。一種の偶像崇拝のようなものだと思った。

「大体さ、だって椎名に勝てないことくらいわかってんだろ?」
「わかんないよ!」
「だってさー、お前だって知ってんだろ、中学のテストくらい勉強すればできるでしょ、だぞ!?俺たちとは頭の出来が違うんだー!」

 噂の真偽は定かではないけれど、椎名くんが言ってのけたと噂される言葉を真似て見せて、彼は自分で自分の言葉にショックを受けたらしい。机をガタガタと揺らして「許されない!」とか何とか、意味不明なことを叫び始めたので、適当にあしらった。と、その奥で、女子の集団が自分を見ていることには気づく。こそこそと何か目配せをしながら囁きあっている。

 大丈夫、私は変なことは言っていない。

 椎名くんの言葉に対しては、「それは私も思ってるけど」と同意しかけたのを、何とか飲み込んだのは、彼女たちが視界にいたからだった。私の性格も知っているし、きっと男子たちなら笑い飛ばしてくれるだろうけれど、女子の集団がそうはいかないことくらい、私にもちゃんとわかっている。面倒だ、と思うけれど、そういう類の言葉を飲み込むことで集団生活が円滑に営まれるのだ、口になんてできるわけがない。言えないことがストレスとなるようなものでもないし、特に吐き出すこともなく、私の内側にひっそりと溜まっていく。
 小学校から中学校にあがり、言ってはいけない言葉、の類がわかってきた。それは自分の立場だったり性格だったり、そういうものに左右される。それもきちんと、理解している。よっぽどのことがない限り、誰彼かまわず言葉に出したりはしない。

 だから、あれは本当にふいに出てきてしまった言葉なのだ。

 私は、椎名翼との出会いを思い返していた。チャリ、と制服のスカートのポケットの中で音が鳴る。





 椎名くんが転校してきて、一週間も経っていなかったように思う。まだ彼の話題で持ちきりだった頃のことだ。別に面識なんてなかった。放課後、部活動はとっくに開始の時間になっていて、校舎に残っている人はまばらだった。部活が休みだった私は、図書室に残って勉強していたのだ。二時間ほど復習を行い、切りの良いところで私は図書室を後にした。そして薄暗い照明の廊下を小走りで駆け抜け、職員室の前を通って玄関に出ようとしていたところで、転校関係のことで呼び出されていたのだろうか、椎名くんが職員室から出てきたのだった。
 話題の渦中の人物だ。私も知らないわけではなかったけれど、間近で見たのは初めてだった。確かに女子が騒ぐほどの美貌の持ち主ではあったけれど、あまり恋愛毎に興味の無い私は、それよりも気になることがあった。何故、自ら麻城の名を捨てたのか。純粋な疑問だった。麻城中学に入りたかったわけではないので、羨望の気持ちは無かった。せっかくの麻城中学という肩書を捨てたことに対して、憤りがあるわけでもなかった。ただ、将来武器になるかもしれないそれを、あっさり手放したことに、疑問を抱いただけ、それだけだった。

「――――、もったいない、」

 無意識のうちに、言葉になっていた。はっ、と気づいて口を噤んだところでもう遅い。その言葉はしっかりと椎名くんに届いていて、言葉の意味を正確に飲み込んだ椎名くんの顔はみるみるうちに不機嫌になっていった。綺麗な顔なのに、もったいない、また同じ言葉が頭をよぎる。

「欲しいなら、」

 アンタにくれてやるよ、と。椎名くんはぞんざいに物を投げて寄越した。咄嗟のことに反応出来ずに、放射状の弧を描いて飛んできた何かは、廊下の床を何度か跳ね、カンカン、と乾いた音を響かせた。慌てて拾い、顔を上げると、椎名くんの姿はもう無かった。拾い上げた小さな鉄の塊を見下げる。

 それは、麻城中学の名が刻まれている、校章だった。





「あーもう悔しい!絶対学年末テストは抜いてやるんだから!」

 思い返して腹が立ち、私はこぶしを突き上げて叫んだ。また2位に千円、そう言ったのは、テスト順位などから既に興味を失っている、男子たちだ。何よ!と、弾んで立ち上がった拍子に、スカートのポケットが、チャリ、と再び音を立てた気がした。









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