9月5日

さよならの準備 6

   


 花が届いた。

 遠い異国の地、スペインの椎名から。花なんてそんなものを海外へ届けることができるのかと感心しながら触ってみたら、それはドライフラワーだった。私は花に詳しくないので、これが何の花なのかはわからない。黄色いその花は、何も考えずにテーブルの上に置いただけでも、部屋を明るくしてくれる。1DKの所詮学生が住むような小さいアパートには不釣り合いかと思ったが、こうして見てみると、家庭的な暖かさを備えていえるようで、LED電球よりもずっと素敵に部屋に明るさを添えてくれている。

 さて、と私は考えた。

 何故これが届けられたのだろうか、と。
 誕生日だっただろうか、と思わず自分が生まれた日を確認してみるけれど、まずそもそも誕生日に花を送ってくるような男ではないような気がする。私が花を貰って両手を叩いて喜ぶタイプの女ではないことくらい、椎名はよく知っているはずだ。
 最近見たテレビでは、花男子なるものが特集されていて、例えば日頃の感謝を伝えたいだとか、そういう些細なことで女性に花を送る男性が増えて欲しい、と願う花屋の店主の特集だった。素敵ですよねそういうことができる男性って。花を貰ったら、女性なら誰だって嬉しいじゃないですか。その特集の中で、夫から花を受け取った女性が、柔らかな笑みでそう言っていた。なるほど、全然わからん。悪い気はしないけれど、喜びよりも疑問の方が遙かに上回っているというのが現在の私の心情なのである。ここで何の疑問も抱かずに、花を頂いたことの喜べる女性になりたいものだ。いや、別になりたくはないのだけれど。
 少なくとも、そういう女性の方が、椎名だって花を送る甲斐があるというものだ。





『あはははは、まあそう来るだろうなとは思ったよね』

 電話の向こうで椎名が笑った。
 結局私ではこの答えを出すことが出来なかった。けれど放っておくには存在感が大きすぎた。だから私は、留学先のホストマザー以外に初めて国際電話をした。固定電話はあった方が便利だから、と母親が購入して置いていったそれは、上京当初何の役にも立たないと思っていたけれど、こういう時や何かの契約を結ぶ時は確かに便利だった。スペインとの時差は、ホストファミリーへ連絡する時に計算をするので、慣れている。サッカー選手の一日のスケジュールが検討などつかなかったけれど、とりあえずコールを鳴らしてみたら、幸いなことに一度目で繋がったのだ。スペイン語での挨拶が聞こえてきて、すぐにそれが椎名だとわかった。「・・・・花が、届いたんだけど」と名乗りもせずに言った私に、『ああ、綺麗だろ』と間を空けずに順応したところはさすがと言うべきか。「なんで?」と続けると、椎名は軽快な口調で笑ったのだった。

『花なんて普段買わないんだけどさ、つい』
「何がついなのか・・・・。へえ、椎名ってさらっと花とか買って渡したりしても様になると思ってたけど」
『そりゃね。でも今まであんまやったことないね』

 謙遜しない辺りが、椎名らしい。

「・・・・で、ちょっと頑張って三日考えてみたけど理由に思い至らなくて電話した次第です」
『へえ、考えたんだ?』
「そりゃわざわざスペインから花届けば考えるでしょ!?」

 今日もこのドライフラワーは見事な存在感で、部屋の端に居座っている。窓辺に移してもこの存在感なのだから、本当に見事としか言い様がない。スペインから届けようと思えば生花ではなくドライフラワーという選択になってしまうことには納得しているけれど、それはつまり枯れていかないということで。まさか永遠に枯れないなんてことはないだろうと思っているけれど、しばらくはこのままに違いない。花に合わせて回りの小物の色合いを変えてみたりなんかもした。
 なんだか釈然としない。
 つん、と茎の部分をつついてやれば、ゆらゆらと楽しそうに花が揺れた。その花に呼応するように、受話器越しの椎名の声も、嬉しそうに揺れている。

「・・・・なに」
『いや、そのまま放置されるかなとも思ったから、そのサイズで送ったんだけど、してやったりと思ってね』
「だからなにが!?何なの!?何で送ってきたの!?」
『僕がスペインに帰ってに想いを馳せている日も、きっとは変わらず僕のことなんて忘れているんだろうなあと思ったら面白くなかったからさ。ちょっと何か送ろうと思って?』
「それはボールペンで十分なんですけど!?」
『ボールペンは筆箱の中に仕舞われて終わりだろ。どう?良い感じに、の日常に華を添えてる?』
「おかげ様でインテリアまで少し変わったんですけどこれで満足ですか椎名さん」

 可愛さなど欠片もない声と口調でふてぶてしく返す。

『大いに満足だね』

 ゆらゆら、華はまだ揺れている。窓から入る暑さの残る風が、いたずらにその揺れを大きくしていく。青空にもその花は随分とよく映えて、確かに心持ちは少しばかり向上する。花を貰ったら、女性なら誰だって嬉しいじゃないですか。テレビで聞いたフレーズがもう一度頭に浮かんだ。少しわかったような気もする。でも多分それは、人を選ぶとは思うのだ。花だけじゃない、誰がくれたのかも、きっと大事だ。そこまで考えて、あーなるほど、と半ば諦めに似た気持ちになった。

『でも、最初はもっと簡単なことだよ』

 私が、ぶつぶつと文句にもならないようなわけのわからない言い訳を呟いていたら、椎名の声がそれを遮った。「最初?」鸚鵡返しする私に、電話の向こうで椎名が改まって息をする。

『帰国してすぐ、練習で郊外に行ったら見事な花畑があってさ。あーこれと見たかったな、って思ったから、おすそ分け』

 ぱっと花畑をバックにいつもみたいに不敵に笑う椎名を見た気がした。浮かんですぐに消える。けれどそれは強烈だった。こんなにも花畑が似合う男というのもどうかと思う。

「おすそ分けついでにさっきみたいなこと考えたんですか」
『ただ送ってもはきっと何も考えないことくらいわかってたからね。むかつくことに』

 三日も考えてくれるとは思わなかったけど。そう言って、また椎名の声は嬉しそうに揺れるのだった。

 いつもベールの向こう側にいる感覚だった。
 椎名が、じゃない。私が、だ。そしてそれは椎名に限ったことではなくて。多分私は、他人と自分をとても客観的に見ている。だから人から好意、特に恋愛感情を向けられると、どうにも他人事のような気がして、それを躱してしまうのだった。私がそんな態度を取れば、当然相手も見込みなしと諦めてくれる。それが、常だった、のに。

 椎名は諦めるどころか直球を投げてくるから。

 はあ、とため息をつく。これは一筋縄ではいかなさそうだ。まだまだ私の気持ちに変わりはないけれど。

「・・・・でも結局疑問しか湧いてこない私に失望してくれたりはしないんですかね」
『しないね、諦めなよ』
「どっちが!?」

 私の言葉に、もう一度椎名は軽快に笑って、練習が始まるからと電話を切った。随分とご満悦な様子だった。

 受話器を置いて冷静になる。
 なるほど、あれが恋か、などと、まるで小学生のような感想を持つ。私がほだされてきたわけじゃない。ただ、椎名が私に寄越してくる、こういう形のないふわっとしたものが、きっと恋なんだろうな、と思った。
 何かを特定の誰かと見たいと思う。誰かに自分が干渉したい。誰かと共有したいものがある。
 私が椎名に恋をする日は、果たしてくるのだろうか。
 そんな日を想像するには、まだ気持ちが足りなくて、今日のところは考えるのを止めた。



 久しく、恋なんてしていない。

 いや、もしかしたら、私は恋など、したことがないのかもしれなかった。





 




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