8月7日

さよならの準備 4

   


 仕事で関西にいる畑兄が帰省するらしいということで、どういうわけか私もその飲み会にお呼ばれした。と、いうよりも、連休でも何でもない平日に帰ってきた彼の予定に合わせられる者が、シーズンオフで帰ってきていた椎名以外いなかったらしい。二次会くらいから黒川も来ると言っていたけれど。
 せっかく帰省するのにこれじゃあ盛り上がらないよね、と椎名から私は呼び出されたわけだった。椎名と畑兄は中学の同級生だ。ちなみに兄というからには弟もいる。黒川も畑兄弟も、それから井上さんだか小林さんだかも、皆サッカー部だったということだ。もちろん私は椎名と同じ中学校だったわけではないので、彼らと同級でも何でもない。椎名とよく遊んでいるうちに、何人か知り合いになっただけだ。その中でもおそらく一番良く会っているのが畑兄ということもあって、私はその飲みに参加することにしたのだ。椎名、畑兄だけとなれば、気心も知れているし、遠慮することもない。

 遠慮する、というよりも気を遣うことがあるとすれば、椎名に対してだけれど、微妙な空気になったあの日以来、椎名はそういうことを言って来ない。諦めてくれたのか、はたまた気の迷いだったのか、どちらにせよありがたいことだ。

 連絡の来ていた個人居酒屋の暖簾をくぐると、威勢の良いアルバイトの青年が、にこやかにあいさつをしてくれる。予約していた椎名ですけど、と告げると、ぱっ、と顔を輝かせて、ご案内致します!と言った。初めて見る顔だけれど、もしかしたら椎名のことを知っているのかもしれない。大抵の男子大学生は、サッカー日本代表選手くらい知っているような気がする。最近はサッカー人気が上がっていて、片田舎に住む高校生の妹も椎名のことは認識している。もちろん、知り合いであることは話していない。

「うぃーす久しぶりー」
「5分遅刻だね」

 既に別のところで一杯ひっかけてきていたらしい二人は、上機嫌だ。酒が回っていても細かいところはさすが椎名と言うべきか。

「はいはいすみません。大体ここわかりにくいんだって」
「何回も来てるだろ。飲み物頼んだ?」
「生頼んできた。だっていつも椎名が車で連れてきてくれるじゃん、道なんて覚えてないよ」
「車で来んの?ここまで?そういう時って翼飲まねえの?」
「まさか。代行頼むことが多い。どっかに行った帰りにふらっと寄ること多いから、車で来ちゃうんだよね」

 コートを壁にかけたところで、すぐに飲み物が運ばれて来る。

「それじゃ、とりあえず、五助おかえりってことで。乾杯」

 椎名の言葉に、かんぱーい、と私と畑兄が続いた。カン、とジョッキがぶつかり合い小気味よい音が響く。

「畑兄って何してるんだっけ?休み平日なの?」
「っていうか、シフト制だからバラバラって感じだな。今いる部署がシステム管理してるところでさ、システムはカレンダーなんてお構いなしにフル稼働だから、交代で出たりしなきゃいけなくて」
「へえ、なんかよくわかんないけど大変そうだね」
、全っ然そんなこと思ってないだろ」
「思ってるよ失礼な!椎名なんて興味もないくせに!」
「無いね。だから思ってもいないようなコメントもしないよ」

 相変わらずだなあ、と畑兄は笑う。何が相変わらずなのかと問えば「翼の物言いだよ」と懐かしむような顔をした。なるほど、椎名の辛口コメントも、時が経って離れて見ればつい恋しくなるらしい。
 それからしばらく、彼らは同級生、主にサッカー部の共通の友人たちの近況で盛り上がっていた。私は適当な相槌を打ちながら、ご飯を食べることに集中する。別に蔑ろにされているわけではないことがわかっているので、私とは無関係の話題が続いても気にならない。この居酒屋は料理が美味しいので、たくさん食べたいものがある。逆にありがたいと言っても嘘ではない。



「この間は、先輩からお誘い受けて混乱してたくらいだからね」

 海藻の酢の物、チーズ盛り合わせ、ほっけの塩焼き、エイヒレ、オクラのバター炒めと好き勝手に頼んで酒を進めていたら、唐突に話を振られて、一瞬何の話かわからなかったが、すぐにピンとあの時の話題だと思いついて、私は眉根を寄せた。出来れば二度と出したくない話題だ、特に椎名の前では。私は慎重になりながら様子を覗いつつ言葉を選ぶ。

「いや、まああれは結局何でも無かったし・・・・」
「無かったんじゃなくて、無いことにしたんだろ」
「う、そうだけど・・・・いいじゃんこんな話したって畑兄はつまんないよ」
「いやここまで言っといて言わないのは無しだろ。気になるっての」

 僕から言ってもいいなら言うけど、と私の返事などわかりきっているだろうに、椎名がにやにやとしながら言う。珍しく少しお酒に酔っているようだった。私は観念して、ざっとこの間の一連の出来事を畑兄に話す。出来事と言っても、結局先輩とカフェに行っただけであって、特に進展があったわけでもなんでもない。楽しく飲みに来たはずが、とんだ誤算だった。

はそうやって壁を作るからなあ」

 一通り私の話を聞いた後、畑兄がぽつんと言った。「ほんとだよ」と椎名が同意する。

「はあ?壁?いやいや無いでしょ、こんなにオープンなのに」
「あー、なんつうかあれだな、オープン過ぎて、一周回ってとんでもない壁になってる」
「高すぎてほんと呆れ返るし途方に暮れるよ」
「いや二人とも何言ってんの?」
「そうやって友達だからって近づいて来るのに、絶対にそこから先へは踏み込ませないから性質悪いってことだろうな」

 畑兄が随分と知ったような口を利く。はあ?と私はもう一度言う。
 いや、二人が言いたいことがわからないわけではないのだ。多分、私が端から大学の友人やバイト先の仲間を恋愛対象とはカウントせずに、友達だなんだと言いながら距離を保っていることに対するコメントなのだろうけれど、そんなことは自分が一番わかっている。
 問題は、何故それを二人から言われなければならないのかということだ。
 椎名はこの間こそあんなことを言っていたけれど、大体今までそんな素振りを小指の甘皮ほどにだって見せてこなかったのに今更すぎる。畑兄については言わずもがなで、それはお互い様でしょう、とでも言ってやりたくなった。

「思うにさあ、まず察しろっていう時点でどんだけ傲慢だよ、って感じなんだよね。いや言えよ、はっきり、と思う」
「だから僕は前から言ってるじゃん」
「どれのこと言ってんの?そりゃ色々何か言ってたような気はするけどさー、全部茶番じゃん」

 まるで私が悪いとでも言うような言い方に、ついカチンと来て言い返す。私と椎名に向き合うように座っている畑兄が、困ったように肩を竦めた。

「まあ、茶化すのは良くないよな」
「でしょ!?畑兄だって思うでしょ!?」
「いや、の話」
「えっ」

 畑兄のそんな返答に満足したのか、椎名は何故か勝ち誇ったような顔をすると、お手洗いに立ち上がった。襖を開けて消えていく椎名を見届けて、私は納得が行かないまま畑兄に向き直る。いつもいつも、まるで茶番劇のように本気とは取れないような言い方をしてくるのは椎名だ。先日のイオンに向かう車の中での会話を思い返してみても、やはり私は何も悪くないように思う。あれに本気で向き合えというのならば、難解過ぎて私にはお手上げだ。

が絶対にありえない、みたいな態度崩さないからそうなるんだろ・・・・」
「あーもう何なの畑兄まで。だってありえないもん。畑兄だってありえないでしょ?私だよ?」
「だから、その考えがダメなんだって」
「じゃあ何。私も、ありなの?」
「答えてもいいけど、これ答えたら多分、お前質問したこと後悔するよ」

 引き下がるより他なかった。
 裏切られたような気分になる。私だけがいつまでも友達でいつまでもこうして気兼ねなしに飲んで笑って騒いでいられると思っていたというわけなのだろうか。いつだったか女友達が言っていた言葉が蘇る。「多分ね、そういうところ、根本的に違うんだと思うよ、男女って」本当に貴方の言う通りでしたすみません。

「そんな顔すんなよ、俺が傷つくわ・・・・」
「何でよっ、あーもう世の中面倒くさい!」
「お前、変に気遣ったりすんなよ、俺質問に結局答えなかったんだからさ。無かったことにしとけ」
「当たり前でしょっ」

 何の話?と椎名が戻ってきたので、話題を変えてお酒を注文する。こうなったら飲むより他なかった。

 どうして皆、そんなに恋愛をしたがるのだろう。
 恋愛しなくても、十分楽しいと思うのは、私だけなんだろうか。



 どうでも良い話で盛り上がって、三人で笑い転げた。けれど一度考えてしまった疑問はずっと頭にこびりついて離れず、楽しいのに何だか無性に泣きたくなった。





 




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