椎名が結婚するというので、お祝いに奢ってやる、と黒川がメールをすると、「じゃあ今日は?」とさっそく返ってきた。相手とも面識があるし、どうせならば彼女も、と誘ったのだが、あいにく都合が悪いらしく、結局さし飲みになった。 代表戦のスケジュールの関係で、椎名はここのところ、しばらく日本にいるのだそうだ。いつも決まったところで飲む二人だが、たまには新しいところを開拓しようと最寄から数駅離れた比較的大きな私鉄のターミナル駅で待ち合わせる。仕事帰りのスーツ姿で現れた黒川と違い、椎名はラフな格好だ。待ち合わせてどこに行くか決めようと話していたのだが、どうやら椎名には予め行きたい店があるらしく、すぐに迷いない足取りで歩き出す。翼は今日祝われる立場なんだけど、と黒川が零す。 「奢ってくれるんだろ?だったら自分の食べたいもん奢ってもらいたいじゃん」 「確かに」 納得した黒川は、その後は文句ひとつ言わずに椎名の後に続く。連れて来られたレストランは、外見も内装も洒落た和食の店だった。 「やっぱ和食が恋しくなるもん?」 「ものによるね。向こうじゃあんまり食べられないものが恋しくはなるかな」 「ふうん、ま、今日は好きなだけ食べてくださいよ」 「そうさせて貰うよ」 予約はしていなかったけれど、あまり待たずに入ることができた。比較的女性客が多いように見える。通された席は半個室の座席で、心をおきなく寛ぐことができる。乾杯にと頼んだビールのジョッキはすぐに運ばれてきて、「結婚おめでと」という黒川はあまりにもいつも通りのテンションで乾杯の音頭を取った。対する椎名も、どうも、と一言返すだけ。 「そういえばさ、」 他愛もない会話――大体が椎名の惚気話だった――をしていたら、椎名が思い出したように、と言うよりはそう言いだすことが自然の流れだったかのような当たり前さで、椎名が話題を変えた。 「柾輝はのこと好きなのかと思ってた」 「・・・・は?」 「あと五助?」 椎名が突拍子もないことを言うので、あまり表情を崩さない黒川といえど、開いた口が塞がらない。口を開けた間抜け面を晒していたら、いたたまれなくなったのか、椎名は弁解するように言った。 「も柾輝と五助には懐いてたしさ。普段サバサバしてるだけあって、距離詰められるとちょっと有りかなって思ってもおかしくないっていうか」 「・・・・」 「何さ」 「・・・・いや・・・・おめでたいなと思って」 呆れと馬鹿にしているちょっとの気持ちを隠さずに言う。そんな黒川を見た椎名が、「はいはいどうせ俺の勝手な嫉妬ですよ」と責めたわけではないのに勝手に拗ねて一気にビールを煽る。ダンッ、と乱暴に呼び鈴を鳴らすと、ピンポーン、と高い音が店内に響いた。 そんな椎名を見て、黒川は意外だなと思う。 何でもスマートにこなしてしい顔をすることを得意とする男が、こんな風に誰かの惚気話をしたり、誰かに嫉妬したりするとは、想像していなかったからだ。案外短気なところもあって、感情の起伏が激しい一面もあるけれど、少なくとも余裕ある姿を見せようとする姿勢はあったように思う。精一杯平静を装うような。 それがどういうわけかを好きになってからというもの、いっぱいいっぱいになっている姿を、何度か見かけている気がするのだ。恋は盲目とはよく言ったもので、彼女しか目に見えていないのかもしれない。 珍しいものを見るかのように、まじまじと椎名の顔を見つめていた。それに気付いた椎名の顔は、みるみるうちに不機嫌になっていく。ただでさえ機嫌は下降気味だったというのに失敗である。 「翼、変わったよな」 「何が!」 これ以上言えば火に油を注ぐように、より彼の怒りを助長させてしまうと判断した黒川は、何でもねえよ、と会話を区切る。誰も悪いとは言っていない。こうして誰かと関わりを持つことで変わるというのは、きっと恋愛において大きな意味を持つ。 「誤解されないように訂正しとくけど、俺は別に好きだなんて思ったことねえし、五助だってそうだと思う。大体そんな幸せそうな翼から俺らが奪えると思うか?思わないだろ。」 「恋ってそういうもんじゃないじゃん」 「・・・・わかってんならなおさら。いくら翼だって、遠慮はしねえよ」 「言ってること矛盾してんだけど」 椎名はまだ納得していないようだ。でもこれは黒川の本心だった。椎名が嫉妬する姿などなかなかお目にかかれなかったし、何より自分がその対象になるとは思ってもみなかった。中学からは想像がつかない。 なりふり構っていられない、とはまさにこのことだろう。 椎名の彼女に対する好きが伝わってきて、ほんの少しだけ感化されそうになる、というのはもちろん秘密だ。 「末永く、お幸せに」 |