例年通り、桜は三月の下旬に咲いた。 日本人が古来より愛でてきたその愛らしい花を見ていたら、ふと、思い立ったのだ。 『届いたよ』 相変わらず最初の挨拶を飛ばして椎名は本題に入ってきた。私もそれにすっかり慣れてしまっていて、「お、意外に早い」と返事をする。 『これは、僕が最初に送った花と同じ意味ってことでいいんだよね?』 椎名の声は楽しそうだ。突然、華が咲いたみたいだった。つられて私の声も自然と弾んでくる。 「ほら、飛葉中の近くに、桜並木あるでしょ?そこの桜が咲いた日にね、だめかなと思ったけど、ひとつだけ頂戴してきた。翼と見たかったな、って思って、」 『おすそ分け?』 「うん」 私が椎名に送ったものは、彼がくれたような立派なものではないけれど、一応丹精込めて作ったのだ。桜を一輪、押し花にして海を渡した。 去年の秋、椎名から大きなドライフラワーが届いた。理由が思い当らなかった私は直接スペインに電話したのだ。思えば、あれが椎名と私の定期国際電話の最初だったような気がする。それまでは電話などほとんどしたことも無かった。その電話で、椎名が言ったのだ、おすそ分け、と。一緒に見たいと思った景色を、私におすそ分けしてくれたのだと言った。あの時の私は、まだ椎名への恋心を認めるには早すぎて、共感は出来なかった。ただ、その椎名の行為によって、人が恋をするということをぼんやりと理解できた。何かを特定の誰かと見たい。誰かに自分が干渉したい。誰かと共有したいものがある。 あの日、近くの桜が開花したと聞いて、私はスーパーへの買い物ついでに、その桜並木道へ寄った。ちらほらと桜の花が綺麗に咲いていて、蕾のほとんどがほころんでいた。春が来た、と実感する。気温が上がって防寒着がトレンチコートで事足りるようになっても、やっぱりまだ春を実感できていなかった。桜を見なければ始まらない。春が来た、寒かった冬を耐え忍んだ甲斐あった、と喜びを噛み締めていて、ふと、「・・・・翼と見たかったなあ」とそれは自然に思ったのだ。 驚いた。椎名と付き合うことになって、自分の感情を認めてはいたけれど、世間の恋とはどうせズレていると思っていたからだ。それがどうだろう、少なくとも椎名が感じていたものと同じことを、私は心に宿していたのである。春の喜びなど消し飛ぶほどの歓喜を覚えた次の瞬間にはもう、桜の花をひとつだけ、頂戴していた。 『別に僕みたいに、近くの花屋とかで買ってもよかったんじゃない?』 私が桜を手折ったことに関して後ろめたい気持ちを少し吐露すると、椎名がフォローするように言った。そういえば椎名がくれたドライフラワーは、何も彼が見た景色の花を採ってきたわけではなかったはずだ。でも、と私は思わず呟く。 『でも?』 「日本には、桜がたくさん咲いてるじゃない。私が一緒に見たかったのは、この、ここに咲いてる桜だったから」 『・・・・』 「・・・・もしもし?」 『いや、うん、愛されてるなって思って』 「そ、ういう、ことを!突然言うの!やめてもらえます!?」 恥ずかしくなって、急に身体の温度が上がったような気がした。椎名が見ているわけじゃないのはわかっているが、思わず顔を覆うようにして隠してしまう。ドライフラワーが揺れているせいもあるかもしれない。いつもそうだった。この花はまるで椎名がそこにいるみたいに存在感を放っていて、ふいにどきりとすることがある。 この間までは、そうして花を見て椎名を思い出しては、私は普通の恋をしているんだろうか、とたまらず思ってしまうこともあったのだけれど、その桜の一件があってからは露ほどにも思わない。 私も、当たり前のように恋ができたのだ。 世紀の大発見であるかのように、私はこの事実を大事にする。そしてそう思えた椎名が、いつまでも私の特別であれば良い。 おやすみなさいと寝る前の挨拶をして、私は通話終了のボタンを押す。 海の向こう側にいる椎名を思って、無意識のうちにそっと携帯電話を撫でていた。 誰かに、会いたいと思う。触れたいと思う。 自分の見た景色を分けたいと思う。 ああ、今、恋をしている。 |