「あれ、カーテン変えたの」 泊まりに来ていた大学の友人が言った。うん、と肯定の返事をしながら、私は変えたばかりのカーテンに目を向ける。ベージュを基調とした淡い色のカーテンだ。シックな色合いの赤が綺麗で、あまり色のない私の部屋で、よく映える。 「この間イオンに行ったらこれ見つけてさ。ほんとは緑系にしようと思ってたんだけど、こっちの方が絶対良いって言われて買っちゃった」 「・・・・一応聞こう、椎名さんだね?」 「うん?そうだけど」 彼女は、私が椎名と知り合いであることを知る数少ない友人のうちの一人だ。スポーツに無頓着な私は、サッカーの貴公子とも呼ばれる椎名のことを知らなかったけれど、どうやら藤村という選手と並んで若い女性に絶大な人気を誇っていることは、ネットで彼を調べているうちに知った。 ネットで彼を検索してみようという気持ちになったのは、椎名が有名人だとは知らずに、こんな人と友達になってねーほらみて女顔負けの可愛さでしょー、と日本に帰国後彼女に写真を見せたことがきっかけだった。敏い彼女は一瞬で状況を理解したようで、そこに正座しなさい!と言うと椎名がいかに女性に人気があるか、そしてその一部のファンがいかに恐ろしいか教えてくれた。一通り捲し立てると、「あとはグーグル先生にでも聞きなさい!」と一喝。はい、と答えるより他はなかった。 「・・・・わざわざカーテン買いにイオンまで連れてってくれたの?」 「いやー、本来の目的は映画。映画見て、ご飯食べて、ニトリ行く予定だったんだけど、ついでだからイオンのインテリアショップ見てたら、カーテン変えたくなっちゃって」 「・・・・それで付き合ってないってどういうことなの・・・・」 「はあ。でも、ゆっちゃんともこの間同じことしたじゃん?」 「私は女!椎名さんは男!」 「別にそういうんじゃないんだってば」 このやり取りも何度目になるのかわからない。 彼女―――ゆっちゃんは絶対に椎名が私のことを好きだという。それをどんなに否定しても、彼女は首を横に振る。椎名と出会った頃は彼には恋人がいたし(今はいないけど)、私のことなどせいぜい年下の妹ができたくらいにしか思っていないはずなのだ。そして私も彼のことは気の良い友人兼兄ができたと思っている。あれだけモテる椎名が、私みたいなみょうちくりんに興味を持つなどとは、到底思えない。 先週旅行で訪れた金沢で購入したハーブティを煎れて差し出す。彼女はなんでもう夏だって言うのに熱い茶出すの?と信じられないような顔をした。理由なんて単純だ。ただ私が好きなだけ。ハーブ独特の香りが、ほのかに部屋に香る。苦手だという人が多いけれど、私はハーブの匂いが好きだった。非日常的なところが、新鮮だからだ。ふう、と息を吹きかけると、カップの中の水面がゆらゆらと揺れた。その僅かな波が収まるか収まらないかのタイミングで、目の前から大きなため息が聞こえてくる。 「椎名さん可哀想・・・・」 「まあ、私もそうは思った。せっかく日本に帰ってきたのに彼女でもなんでもない女を助手席に座らせてイオンまでドライブだなんて」 「そこじゃないよ!あんたがそうやってシャットアウトするところが!」 「・・・・何度言えばわかるかなあ、違うんだって。大体、私が男だったら、私みたいな女に魅力なんて感じないもん」 また始まった、とゆっちゃんの声に呆れとほんの少し怒りが込められた。 どんなに言われたって、私は私の女の部分に自信が無いので、恋愛をする気になどなれない。 だから、恋愛をしようとする男性には、近づかない。または、恋愛させない。 恋愛経験などないに等しい私でも、恋愛したい相手の気持ちに気付かないほどには鈍くない。 椎名は知り合った当時彼女がいたし、何より彼の理想と私は真逆にいた。綺麗めな女性が好みだという彼の当時の恋人は、確かに美人で、清楚な雰囲気の女性だった。パーカーとジーパンがいつもの服装で、おしゃれなカフェにいく時くらいしかワンピースを着ない私とは大違いである。一応自分のために弁解しておくと、おしゃれに興味がないわけじゃない。ただ、いつもおしゃれでいるのはしんどいだけだ。 そんな適当な女に、世の男性陣が興味を抱くとも思えなかった。 だから、皆友達で終わる。そして私はそれに満足している。キスやセックスなどしたくない。ご飯を食べて笑って映画見て。それで十分だ。 十分だったのに。 ピロリン、何だか間抜けな音で、メールが入ったことを告げられる。辺りを見回すと、丁度ゆっちゃんの後ろにある棚の上で携帯が光っていた。読んでー、と言うと、彼女はのろのろとそれを取り上げる。 「・・・・?ゆっちゃん?」 画面を見て固まったままの友人を、私は訝しんで声をかけた。それからまた一拍空けて、ほら言ったじゃない!とゆっちゃんが携帯を誇らしげに差し出す。 何の話だろうと思いながらも携帯の画面を見下ろした。差出人は、サークルの先輩。 「『最近出来たカフェのチーズケーキ食べに行かない?さすがに俺一人じゃ入りにくいから』、ってこれつまりそういうことでしょ!椎名さんだけじゃなく、ほらね、ちゃんとのこと好きな人も世の中にはいるんだから、自信持ちなさい!」 「嬉しそうなところ申し訳ないけどこれは他意はないと思うなあ・・・・私もこの先輩もチーズケーキめっちゃ好きだし、担当の係が一緒でよくご飯行ったりしてたもん」 「いーや、あんたがどう思ってようとこの人に他意はあるね!いやー報告楽しみにしてるから!」 勝手に盛り上がる彼女とは対照的に、私の気持ちは下がる一方だ。 こういう、面倒事には巻き込まないで欲しい。 こんな風に、こういう人の好意(かどうか微妙だけれど)をこうして面倒だと感じてしまうような女に、どうして興味を抱くのか、不思議でならない。 でも、と気を取り直す。 何もまだ、相手がそういう意味で私に好意を寄せているとは限らないのだ。本当にこの先輩にはよくしてもらっていて、きっと今回も他意などない。 私は携帯を閉じると、まだ盛り上がっているゆっちゃんを連れて、夕飯の買い出しへと出かける準備をする。 ピロリン、携帯がまた鳴った。「先輩!?」と興奮状態のまま詰め寄って来るゆっちゃんに「残念でした椎名です」と携帯の画面を突き付けた。 『質問』という素っ気ない題名に、続く本文。『11日空いてる?』本文も随分と短く、簡潔だ。 「お誘いメールがまた来てるじゃん!」 「だーかーらー。もー、大体今日ほんとは椎名と飲む予定だったのにゆっちゃんが泊まりに来たから無くなったの!その代わり!」 「あら、それはごめん。でも泊めて」 彼女は悪びれもせずにそう言った。明日始発の新幹線で大阪に向かうらしい。神奈川の郊外に住む彼女の家からでは、間に合わないのだ。 「でもそうかあ、そうだよねえ、は椎名さんと私を天秤にかけて、あっさり私選んじゃうんだもんなあ」 「時と場合によるけど」 「恋する乙女の場合は時と場合など関係ないのだよ君。はあ、もったいない」 大げさに肩を落として見せて、それから彼女はこの話題を諦めたのか、さー買い出し!と意気込んで立ち上がった。 何食べる?と話題を切り替えてきた彼女に安堵して、私は玄関の扉を開ける。もう日が落ちているというのに随分と蒸し暑い。夏は全てが面倒になってしまうから、いけない。 けれど今の私は、その暑さを理由に、考えることを停止させてしまいたかった。 恋なんて、大嫌いだ。 |