1月1日

さよならの準備 12

   


 ボーン、とお腹に響くような重低音の鐘の音を聞きながら、今年もお世話になりました、と一先ず年越しの挨拶をお互い交わしていたら、いつの間にか年が明けていた。A HAPPY NEW YEAR!とやけに発音良く隣で騒ぐ高校生の一人が言って、それを追うように皆一様に叫んでいる。何となく出遅れてしまった私たちは、数秒お互い目を合わせて、それから苦笑とも取れる小さな笑いが起こる。

「・・・・とりあえず、今年もよろしく」
「うん、よろしく」

 寺で振る舞われた甘酒を手にした人々が、徐々に移動を始めている。どこに向かうのだろう、と耳をそばだてていると、どうやら近くに神社があるらしいことを知った。そこに向かうかどうか椎名と相談をしながら、私たちも甘酒を頂戴する。口に含むと、その甘さと温かさがじんわりと広がっていく。夜中ともなれば気温は相当に下がっていて、内側から温められたことで思わずほっと息をついた。
 甘酒を飲み干して、よし、と椎名が言う。

「とりあえずおみくじでも引きに行くか」
「そうだね。いやでも意外だわ、椎名っておみくじとか引くの?」
「引くよ、信じないけど」
「何で引くの!?」

 実に椎名らしい返答だ。くすくす笑いながら私は後をついていく。もう、手を差し出されたりはしなかった。それを断ることもきっと出来ないし、かと言って図々しくその手を取ることもできないだろうから、これでいい。寒い寒いと言いながら身を寄せ合う恋人たちを尻目に、私はただ椎名の横に並んで歩く。
 神社は思いの外近かった。小さな神社だが、初詣の参拝客で賑わっている。並ぶのが億劫で後ろからおざなりに拝んで私たちはすぐに神社を後にした。おみくじだけは引いていこうと思ったのだが、そこも人がごった返していたので早々に諦めた。
 神社や寺の周辺には屋台がいくつも並んでいて、そこで暖を取れるものを購入しつつ、見て回る。真夜中だと言うのに多くの人で賑わっていて、煌々と照らす街灯や提灯でかなり明るい。少しだけ異質なその空間に気圧されながらも、非日常にいることを楽しんでいると、ふいに椎名が「よかった」と呟いた。

「・・・・なに?」
「え、・・・・あ、いや、何でもない」

 聞こえていたけれど、敢えて聞き返す。椎名は返事を濁して黙ってしまう。無理に追及するつもりはないけれど、どうにも気になって私も無言でいると、観念したのか「が楽しそうだから」とどこか拗ねたように彼が言った。

「うん?そうだね、楽しいけど?」
「最初にあんなこと言っただろ、だから機嫌損ねたままだったらどうしようかと思ってた」
「・・・・」
「で、これを蒸し返したらせっかく楽しそうにしてたのにまた機嫌が下がるかなと思ったから言わないようにしてたのにさ、つい出ちゃったの!だから、聞かなかったことにしておきなよね」

 今言ったことは気にしない!と椎名が無理矢理話を終わらせて、「で、これからどうする?」と話題を変えた。

 私が黙ったのは、別に不機嫌になったからではない。そうやって私のことばかり考えている椎名に、もういい加減ほだされてしまってもいいだろうかと思っていたからだった。
 人から受け取った好意によってほだされるなんて、誠意に欠ける、と思っていたけれど、そうでもないような気がしている。応えないよりはよっぽど良い。
 そう、わかったつもりでいて、今まではどうにも踏ん切りがつかなかった。
 椎名が大切であることは間違いないから、出来る限り誠実であろうとする。そうすると、何かに雁字搦めになったように動けない。そしてすぐに頭は考えることを放棄してしまう。考えたって答えは出ない。これは本当にここ数か月で思い知った。恋って何だ、とずっと考えていた。ああ、椎名がくれるこれが恋だな、と思ったところまでは良い。でも結局、それを私が持っているのかと考え出すと途方もないような気がして、どこにも進めなくなるのだった。
 そうやって途方に暮れていたら、椎名がすっと手を引いてくれた。こっちだよ、と道を指示している。何も考えずについていくことは出来ない。ただ、その道と、向き合ってみようとは思う。
 それが、ほだされるということだと思った。
 どうせどうにも出来ないのなら、それが間違いだったとしても進んでみるのも、手なのかもしれない。

 私たちは、ひとまず車に戻ってきた。暖房を入れて暖まるのを待つ。下がりそうになる瞼をどうにか留めているのを見て、椎名が笑う。

「さすがに、ここで寝たりはしないわけだ」
「・・・・一応ね」
「大分その辺のガードが緩いから、寝るかと思ったけど」
「えっ緩いかな?」
「かなり。まず普通、そう簡単に車内で二人にはならないだろ。特に自分に好意寄せてる奴とはさ」
「・・・・椎名だし」
「言うと思った。それ、ホントどういう意味で言ってんだか」

 せっかくだから海に行こう、と椎名は言い、既にアクセルを踏んでいた。真っ暗な道を進みだす。ここがどこなのかも私はわかっていないけれど、椎名はナビも使うことなく大通りへ出ると、真っ直ぐ車を走らせていく。
 車内は終始無言だった。話していなければ眠ってしまうと思ったけれど、案外そんなこともなく、何故か冴えてしまった目を私はただひたすら窓の外に向けていた。
 昨日家を出てから椎名に会うまでずっと在ったもやもやとした塊はいつの間にか無くなっていて、それは自分がどうするか決心したからなのだろう。黙ったままの私に椎名も何か感じたのか、一言も話しかけてこない。
 そうしてどれくらい走ったのか、気が付けば海辺へたどり着いていた。日の出までまだ少しある。

「・・・・さすがに眠いね。寝る?」
「さっきあんなこと言っといてそれ言います?」
「いやー、でも僕が限界だから間違いは起こらないだろうし」
「・・・・」
「冗談だよ」

 椎名は携帯電話を操作して、アラームをセットしたようだった。も眠いだろ、ほら!とひざ掛けを投げられる。一瞬だけ躊躇って、けれど襲ってくる眠気には勝てず、私はすぐに眠りの世界に引きずり込まれた。





 次に気が付いたのは、日が昇るよ、という椎名の声がかかった時だった。アラームの音では起きなかったのだろうか、と運転席に座る椎名を見遣ると、ライトを点けて小説を読んでいる。もしや、と意識は微睡の中にありつつも、「・・・・寝なかったんだ」と確信する。椎名はそれには答えずに微かに微笑んだだけだった。
 ひざ掛けに包まったままぼうっとしていると、椎名は読んでいた小説をぱたりと閉じて先に車を出た。回り込んで扉を開けてくれる。そうして少し手を差し出したような気がしたけれど、結局彼はその手を引っ込めた。私はその動作に気付かなかったフリをして、少し勢いをつけて地に足をつける。「・・・・さっむ!」色々なものを紛らわせるために大げさに言った。

「ひざ掛け持ってけば?」
「うう・・・・そうする・・・・寝起きには暴力的な寒さですよこれ」

 砂浜をそろりそろりと歩いて行く。よく見れば他にも初日の出を見に来たらしい人たちが結構いた。身軽な格好の人が多く、家族連れもいる。地元の人たちのようだ。
 水平線と空の境界は、既に白んでいた。絵具を水で溶いたような、薄い綺麗なブルーのグラデーションだ。てっぺんはまだ濃い色をしている。
 じっと待っていると、徐々に太陽が姿を現した。別に毎日起きている光景のはずなのに、新年最初というだけで特別な気がしてくるのだから不思議である。強烈な光を放つ太陽に目を細めながら、その姿が完全に見えるまで、私と椎名は何も言わなかった。

「こういう特別な瞬間を、一緒に見たいと思う」

 ぽつりと呟いた椎名の言葉が、するすると私の中に入り込んでくる。

「誰と行ったって、きっと楽しいし、嫌じゃないんだろうけど、でも、やっぱりがいいなって思うわけ」
「・・・・うん」
「だから、のことは特別だなって思うし、好きだなって思う」

 太陽に照らされた椎名の顔はきらきらしていた。長い睫の先に宝石の粒がついたみたいに、瞬きをするたびにカチカチと光を放つ。綺麗だなあ、と単純に思う。そういう、美しい人が、今自分を好きだと言ったことが、夢みたいに現実味が無かった。そして多分、私がそう思っていることはバレていて、椎名はゆっくりと振り返ると、手を差し出してきた。
 私がその手を取ることを躊躇っていると、彼はその手を引っ込めようとする。

「・・・・あ、」

 反射だった、としか言い様がない。離れていくその手を見たら、考えるよりも先に、手を取っていた。やってしまった、とばかりに呆然とする私に、椎名は明らかに笑いを堪えている。恥ずかしさのあまり、私は膝に顔を埋めた。

「・・・・はははっ」
「〜〜っわ、らうこと、ないじゃん!」
「ははっ」
「・・・・・ひどい」

 それから椎名は一通り笑ってみせ、あまつさえ滲み出た涙を拭うと、もう一方の手を自身の膝に置き、その上に頬を乗せて私を見上げた。

「諦めなよ」
「・・・・何を」
「もういいじゃん、流されても。僕はこんなにのことが好きだし、は別に僕のこと嫌いじゃないんだろ」

 こうやって手を取っちゃうくらいにはさ、と言う椎名の表情は、今までで見たどんな彼より優しい顔をしていた。多分、優しいだけなら、私はまだそれを突っぱねることも出来たのだ。だけどそこに、私が持っていない、あるいは自覚していない愛があるような気がしたから、無下に突き返すことは出来なかった。



「ねえ、付き合ってよ」



 私は動けなかった。
 この期に及んで頷くことが出来ず、かと言ってこの温もりを手放すことも出来ず。受け入れてしまおうと決心したはずなのに、昨日今日のこの二日間だけで結論を出すことに、今更怯えたのだ。
 一向に返事を返さない私に、椎名はまたあの困ったような笑顔をした。

「もう答えなんて出てるんじゃないの?は、何を躊躇ってるの」
「・・・・」
「僕が、ひとり、特別になってしまうことが、そんなに嫌なの」



 手を振りほどけないまま、私はまた、何も答えられなくなったのだった。





 




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