『年末年始帰るから、空けとけよ』 と、通話ボタンを押すと同時くらいのタイミングでそう言われた。は?と聞き返してしまった私は悪くない。 『その耳は飾り?年末年始、帰るから、空けとけよ、って言ったの』 「はあ?」 わざわざ一言ずつ区切って発音する椎名の言葉をもう一度聞いたところで私の感想は変わらない。視線を壁掛けカレンダーに向けて日付を確かめる。既に師走を迎えているわけだから、彼の言う年末まであと一か月も無かった。 「え、本気?」 『本気って何。当たり前だろ』 「飛行機は?」 『もう取った』 スペインのプロサッカーリーグがどういうスケジュールで動いているのかなんて、私にはさっぱり見当もつかないけれど、さすがに仕事を放り投げて来るわけではないのだろう。何しに来るの、とか、何で空けとかなきゃいけないの、とか聞きたいことはいくつかあったけれど、どうせ押し問答になって終わることが目に見えているので尋ねない。 先月一方的に電話を切ってしまってから、どうにも気まずい心持ちがして、あれから電話をかけることはしなかった。椎名が何を思っているのかわからないけれど、彼からも一度もかかってきていない。ひと月ぶりに聞く彼の声は、変わったような、いつもと変わらないような。私にはよくわからなかった。ただ、低すぎない彼の声が、心地よく耳に響く。電気代節約のためと暖房はまだ入れていないから、随分と冷え切っていた部屋の中で、私の握る携帯電話だけが熱を持っている。だから別に、椎名の声が暖かいから耳をそばだてているわけではないのだ、と自分に言い聞かせた。 「・・・・この間、切ってごめん」 気まずいままは嫌だった。私はぶっきらぼうに謝罪の言葉を口にする。そうすることでひと月前の感情が呼び起こされるようだった。人恋しい、と言う、あの感情。寒さはぐっと増して本格的に冬になった。そのせいもあって、あの時の気持ちよりももっと大きいような気がした。 嫌だ。 同時にまた、暗い感情が頭をもたげてくる。全部を認めるのが恐ろしく、私は湧き上がる二つの感情に上から蓋をする。必然的に意識は耳元に集中して、椎名の声がよりクリアになっていく。 『今更謝るくらいなら切らなきゃ良かったのに』 「うるさいなあ」 『何かお気に召さないことでもありましたか』 恭しく尋ねてくる椎名は、きっともう私の気まぐれなど気にも留めていないのだろう。別に、とこの話題を強制的に終わらせる。電話口から一瞬何か言いかけた椎名の息だけが聞こえてきたけれど、どうやら諦めたらしかった。『とにかくさ』と仕切り直すように椎名は言う。 『年末年始は絶対帰るから。会ってくれるだろ?』 ずるい、と思う。卑怯だ。 空けとけよ、と上から物を言うのならば、私にも反論の余地があるけれど、こうやってお願いされてしまえば私が断ることは出来ないのを、多分彼は知っているのだ。 前に帰国した時のような、軽い誘い方じゃないことくらい、私にも伝わっている。何だかわからないけれど、きっと彼は心の中で何かを決めているのだ。そうして、何かを終わらそうとしている。大方、予想は付くけれど。 「・・・・うん、待ってる」 変わりたくないのは、多分私だけなのだ。 椎名の想いに気付いた時から、正しくは椎名の想いに気付いていることを認めた時から、多分私たちは少しずつ変わっていった。 後戻りはできないのだ。 通話終了の文字が光る携帯電話は、いつの間にか冷たくなっていた。 |