11月13日

さよならの準備 閑話2

   


 ガラにも無いことをした。
 好きな女性の心を試すため、友人を利用した。椎名の頼みを結局聞いてしまった友人――黒川柾輝も大概なのだけれど、そこは彼を責めても仕方がない。いかに椎名と親密であるといえども、後輩なのである。頼まれたらやるしかない。
 とにかくも、普段の椎名からはおよそ想像のつかないようなことをした。だから彼も大いに反省したわけだけれども、そうして自分のアイデンティティの崩壊につながりかねない危険を冒してまで得た情報を、無駄にするわけにもいかない。黒川からの報告を受けて、整理してみることにした。

 さっぱり、わからなかった。





 椎名翼は、他人の家にいた。適当にくつろいでて、という家主の言葉に甘えて、ソファに身を沈めつつ、外国語で捲し立てられるニュースに視線だけ向けている。家主の若菜結人はと言うと、奥の台所で昼食作りに勤しんでいた。
 所属チームの遠征ついでに、椎名は若菜の元へと寄ったのだった。連絡をしたのはたったの三日前だったけれど、人懐っこい若菜は二つ返事で了承した。

「でもさー、危うく藤代とかも呼んじゃうとこだったんだぜ」
「と、思ったからちゃんと用件連絡したろ」
「昨日じゃん!」

 あまりにもあっさりと宿泊することを了承した若菜は、椎名が訪ねようとしている理由など聞かなかった。これはもしかして、と不安を覚えた椎名は、遠征先から若菜に訪問の目的を告げたのだ、「明日僕はお前に相談があって行くから、間違っても誰か呼ぶなよ」と。そしてそれは正解だったわけである。何も知らない若菜は、大人数の方が楽しいだろうと数人に声をかけようとしていたのだ。

「でもそもそも前日に連絡したって空いてないと思うけど」
「仕方ねーだろー、思いついたの昨日なんだからさ。いや、それにしても椎名が相談なんて何事かと思ったわ。ほい、パスタ出来たから持ってってー」

 ミートソースの良い匂いが鼻をくすぐった。椎名は皿を二つ受け取って、ダイニングテーブルの上にそれを置く。同居人がいるわけでもないのにやけに立派なそれは、友人を家に招きたがる若菜の性格故に購入されたものだった。郭も真田も反対したと聞いたが、結局購入したらしい。
 いただきます、とどちらからともなく律儀に手を合わせる。市販のものだというミートソースは中々に美味だ。しばらくは無言で食事に専念し、三分の二ほど食べ終えたところで、若菜が口を開く。「考えてみたけどさあ、」と何か結論を出したようだ。

「あれじゃん、特別を作りたくないタイプなんじゃん?」
「・・・・何それ」
「えー、ほらたまにいるじゃん、皆から平等に好かれてないと不安になっちゃう人」
「・・・・は、そういう感じじゃないと思うけど」
「そう?話聞いてるとそんな気がしたけどなー」

 相談事、とはつまり、賢い椎名でさえ頭を悩ませていた恋愛についてだった。もっと詳しく言うならば、椎名の想い人であるが何を考えているのか、である。
 数か月前に好きだと告げたところで、どうにも彼女の心が揺れ動いたわけでは無さそうだと判断した椎名は、では一体が何を望んでいるのかと考える羽目になった。嫌われているとは思っていない。むしろ好かれているはずなのである。それでも椎名の「好き」には答えなかった。その理由を知りたい。けれど椎名の住まいはスペインで、は日本にいるのである。どうしたって物理的距離が邪魔をして、いまいち真剣にそれを問いただすことはできない。ゆさぶりをかけてみたところで、この距離がそれをすぐに曖昧にしてしまうのだ。
 だから、ガラにも無いことをした。
 黒川に、を試すようなことをしてもらったわけである。結果としてから返事はもらえなかったと聞いた。黒川が嘘をついているとは思えないので、きっと本当なのだろう。
 結局、何もわからないままだった。
 一人で悶々と考えてみたところで、何かわかるわけでもない。だから、うっかりこの間恋愛話をしてしまった友人に、再び相談してみようと思い立ったのだ。本来ならば黒川辺りにでもしたいところだが、残念ながら椎名はスペインにいるのである。そういうわけで近隣諸国で同じくサッカープレイヤーとして活躍している若菜に白羽の矢が立った。郭や真田も多少事情は知っているけれど、彼らではなく若菜を選らんだのは、一番まともな恋愛をしていそうだと思ったからだった。自分のことは棚に上げて失礼な理由だ。もちろん本人には言わない。

「八方美人とかじゃなくてさ、バランスを何よりも大事にするっていうか。ほら、英士もちょっと似てるけど。あいつは心を開けばまた別だからなー」
「バランス、って具体的に例えば?」
「これは飽くまで俺の考えだってわかってるよね?」
「ハイハイ大丈夫だって」
「んー、よくわかんないけど、そのって子はさ、椎名と関係崩したくないんじゃねえの?友達っていうカテゴリーから外すことを躊躇ってるみたいじゃん。たぶんさ、そういう人たちって、対象となってる誰かとの関係が変わることで、周囲との関係も全体的に変わってしまうことが嫌なんだと思う。黒川とかも知り合いなんだろ?恋愛する気がないから、まず異性と知り合ったなら、必ず共通の知人がいるわけだろ。そういう人たちと同列だったはずなのに、そこから一人突出してしまうのを嫌がるんじゃ?」
「・・・・・・・・お前、趣味は人間観察?」
「空気が読める男ってことー」

 若菜のコミュニケーション能力の高さは中学の頃から知っていたつもりだったけれど、思いの外鋭い観察眼を持っていたことを改めて知った。バランスを大切にするのは郭じゃなくてお前だろ、と喉元まで出かかった言葉を無理矢理飲み込んで、代わりにため息をひとつ。
 別に若菜の言葉を鵜呑みにするわけではないけれど、なるほどと納得してしまったのも事実である。必要以上に恋愛対象として椎名を見ることを拒んでいたのは、もしかしたらそういう理由なのかもしれなかった。真偽の程は本人に聞いてみなければわからないけれど。



 よし、と一つ決心をする。



「よくわかんないけど、つまり無理矢理変わってもらうしか方法は無いってことだね」
「まあ、そうだろうな、相手が変わるの待ってたら、きっとじいさんになっちまうぜー」

 ありがとう、と御礼を言って、椎名は食事を再開する。もう相談すべきことはない。若菜は歯を出して笑ってみせ、「報告はちゃんとしろよ」と何故か嬉しそうに言った。





 




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