いつでも笑って。






Side ジャッカル桑原





 ブン太に貸した古語辞典を返してもらいにあいつの教室を訪れた昼休み。
 ただでさえおっかない見た目の相方はいつもよりも数倍機嫌が悪そうで、俺を見るなり舌打ちした、意味がわからない。辞書を返せと言えば当たり前かのように、んなもん赤也に貸した、と言われ、色々と言い返してやりたかったけれど触らぬブン太に祟りなし、おとなしく引き下がる。
 テニス部の後輩からの挨拶に適当に答えながら二年生の教室が並ぶ廊下を進んでいく。見慣れない人達に居心地の悪さを覚えながら歩いていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。



「桑原先輩?」



 赤也の教室を覗き込もうとしたところで名前を呼ばれ振り返ると、先日マネージャーとしてテニス部に入ったが不思議そうにこちらを見ていた。

「どうしてこの階に?あ、赤也くん?」

 確か話によれば赤也と彼女は同じクラスではなかったはずで、俺はどうしようか迷ってから用件を伝えることにした。

「ああ、古語辞典を返してもらおうかと思って」
「古語辞典ですか、ちょっと待ってくださいね」

 くるりと向きを変えるとは教室の中へ入って行った。自分のクラスではないだろうにまっすぐ赤也の元へ向かっていく。



 



 関東が終わるまでマネージャーを勤めると言って突然やってきた。正直マネージャーなんていらないと思っていたけれど、例えば休憩中に座っていればスポーツドリンクが出てきたり、ラリーを自分たちで数える必要がなかったり、外周の途中タイムを読み上げてくれたり、居て悪いものじゃない。
 立海大付属中学テニス部は、レギュラー以外は球拾いだとかそんな甘っちょろいところではない。全員が全員幸村という名の独裁者からとんでもなく過酷なメニューを与えられる。だから、始めのうちは脱落者も多い。レギュラーは確かに少し(いや、かなり)メニュー量が多いけれど、テニス部に所属している限り妥協は許されないのだ。他人に手を差し出す暇があれば己の身を可愛がる必要がある。他人が何かをやってくれることなどまずなかった。伊達に軍隊と呼ばれていない、心外だけど。俺立海だったらテニス部入らなかったと思う、と河村は言った。俺もよく入ったと思う。

 だからというか、なんというか。

 マネージャーの存在が、こうも有り難いとは思わなかった。居て悪いものじゃない、なんてレベルではない、絶対に口にはできないけど。

「なに、ジャッカルも忘れたの?」

 ひょこりと現れてそんなことを言いやがった赤也から辞書を受けとって、片手で頭をわし掴みにしながら「先輩」と低い声で言ってやる。ギブギブごめんなさいジャッカル先輩!と赤也が手足をばたばたさせながら言うのをが後ろからくすくすと笑った。

「大体、それ俺の。ブン太に貸してたんだよ」
「えっ、そうなんスか?あの人すげえ上から目線で有り難く使えとか言ってきたんスけど!」
「あいつが偉そうなのはいつもだろ」

 俺が赤也とそんなやりとりをしていると、さんが丸井先輩は偉いんですかなんて真顔で聞いてくるから二人して吹き出した。

「あいつは態度がでかいだけ」
「それ言ったら赤也くんもなんじゃない?」
「えー!ひどっ!俺のことそんな風に見てたわけ!?俺のは可愛いげがあんじゃん!丸井先輩なんてただの髪が赤い不良だから!」
「ブン太に言っとこ」
「すみませんほんと勘弁してくださいジャッカルさま」

 さんは側にいた女生徒に何か言うと俺の方へ向き直って「ところで先輩」と手に持った食券をひらひらさせながら言う。

「お昼、ご一緒しません?」










 貰い物ですので遠慮せずに何でもどうぞとは食券の束を広げたが、何となく気が引けて一番安いカレーを選ぶ。そんな俺を見てさすがですねとかなんとかいいながら赤也は一番高いスペシャルランチを選んだ。Aランチを選んだらしいと赤也とは違う列に並んでいると前の方に見覚えのある茶髪が見えて、珍しいなと思う。柳生はあまり学食には顔を出さない。対してよく見かけるのは柳生の相方の仁王なのだが、今日はどうやらいないらしかった。

 安い上に種類も豊富なので、いつも長蛇の列ができるのはカレーと丼物のカウンターだ。ちまちまと進んでいく列で辛抱強く待っているとようやく自分の番になる。相変わらず威勢のいいおばちゃんにコロッケカレーを頼むとすぐにお目当ての品をゲット。水とスプーンもトレーに乗せて二人の待つ席へ向かうと、何故か自分の席にはサラダとプリンが置いてあった。

「・・・・・これ、」
「奥ゆかしい桑原先輩にはこちらもプレゼントです」
やっさしー!」
「なんか、悪いな」

 礼を言うとは笑った。
 なんだかいつも笑っている気がするのは気のせいだろうか。がやがやと賑わう食堂で、そんなことを思いながらカレーを口へ運ぶ。引っ切り無しには誰かに声をかけられていて、友達が多いんだなということを知った。赤也にも引けを取らないくらいで、この二人は似ているなと思う。赤也やブン太が友達が多いのはきっとあの明るい性格のせいだろうが(ただしブン太を明るいの一言で済ませていいかどうかは微妙)、彼女の場合はその人柄の良さが原因なのだろう。

「この食券、なんでもらったんだ?」
「生徒会に知り合いが多くて、仕事手伝ったらくれたんです」
「球技大会のスケジュールとか組んだのなんスよ!めっちゃ頼りになる良い子なの、すごいっしょ!」
「お前はすごくないけど」

 そう言ってやると、俺のテニス見てそれ言ってくださいと自信満々に赤也は言った。まったく頼もしい限りだ。

 神の子がいて悪魔がいるとか、一体どんな部活だ、俺だったら絶対当たりたくない。

「そういえば、部長の幸村先輩の容態はなんでしょう」
「今のところは安定してるよ。手術までは安心できないけどな」
「あ、俺明日部長のお見舞い行くよ?も行く?」

 明日は用事があるとは赤也の誘いを断った。もっと凹むかと思っていた赤也は意外にも普通で、じゃあまた今度なと言うと食事を再開した。

「あ、柳生先輩、こんにちは」
「こんにちは、さん・・・・・って、これはまた不思議な組み合わせですね」

 トレーを下げるところだったらしい柳生はに呼び止められて足を止め、俺達を見て少し驚いてみせた。説明するのが面倒で俺が黙っていると赤也がこれまた嘘も良いところ、ってくらい違うことを言った。柳生は何とも要領を得ない返事をしていて、赤也の話を本当だと受け止めて信じられないと思っているか、始めから赤也の話なんか信じていないかどちらかなのだろう。おそらく後者だ、でなければ仁王とパートナーなど組めるわけがない。

「そういえばさん、練習試合のデータのフィードバックはいつしますか?仁王くんは早めに伝えておかないと捕まらないですよ」
「そうなんですか?困ったな、明日の昼休みにしようと思ってたんですが、柳生先輩でも捕まらない?」
「大丈夫だよ、柳生にかかれば仁王くらい数分で見つけられる」
「・・・・・他人事みたいにおっしゃいますけどね、仁王くんを数分で見つけられるのなんて幸村くんくらいですよ」
「そうなんスか?柳生先輩いつも一番に見つけてくるじゃん」
「幸村くんがいなくなってからです。幸村くんと比べると全然遅いですよ、早くとも20分はかかります」

 柳生はため息をついて、にまた何か言うと、それでは、と立ち去って行った。
 なんとなく三人揃ってその後ろ姿を眺めていると、ふいに赤也が「フィードバックって?」と言った。

「いつも練習試合や試合のデータを分析して幸村が解説してただろ、あれだよ」
「解説なんて生易しいもんじゃなかったですけどね!?でもあれをやるとか大変じゃねえ?」
「やだなー、赤也くん私を誰だと思ってんの?」

 まかせなさいよとは言って、それから幸村先輩には敵わないだろうけどと付け足した。
 確かに幸村レベルは無理だとしても、それに近いことをならできるのではないかと思う。幸村の代わりを真田が担うようになって、やはり幸村はすごい男だったということを痛感した。柳と仕事を分担していると言っても、あいつ一人に敵わない。真田と柳二人でも手の回らなかったことを、がやるようになってやっと幸村に追いついたように思う。

 そう考えるとやはりの存在は大きかった。

 そういえば何でマネージャーをやろうと思ったんだろうと、ふと疑問に思ってと呼んだところで予鈴が鳴る。

「はい、なんでしょう」

 ぱっちりの目を俺にむけて首を傾げた彼女に、聞くかどうか悩んで、結局ご馳走様と言った。



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ジャッカルとタカさんはお友だちだと思う。

09年10月04日


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