しゃきん、しゃきん。



一定の間隔でそんな音が響く。神田は目を通していた資料から顔を上げた。音のする、神田から見て右側には細長く暗い廊下が続いている。相当離れているはずなのに、その濃厚な闇の向こうから聞こえる音は他に奏でられる音がないせいか、耳ざわりなほどに響いていた。
神田がコムイから呼び出しをくらってこの場を離れたのが三時間前。説明を受けてから資料だけひったくるように奪って戻ってきたのが二時間前。コムイの元に行く前はあんな音がしていた記憶はないから、おそらく神田がこの場を離れてから戻ってくるまでの一時間の間に、誰かがやってきたのだろう。あそこへは神田のいる広間を通らなければ行かれない。
いい加減うっとうしくなってきた神田は大きく舌打ちをすると音のする方へと足を進めた。気を付けなければ転んでしまいそうな、息が詰まるくらいの闇を進んでいく。かつかつとブーツの音をさせながら半分ほど進んだところで、その先から香ってきた甘い香に眉をひそめた。もわりとした、肌で感じることができるのではないかと思ってしまうほどの、まとわりつくような感覚。
勢い良く開けた場所へ足を踏み入れるとそこは真っ赤な薔薇で埋め尽くされていた。



しゃきん、しゃきん。



音が響く。

「何してんだテメェ」

神田が低く唸ると、その薔薇の中心にいた人物はややゆっくりとした速度で顔を上げた。

「薔薇の刺は危ないから」

真顔で彼は言う。

「何する気なんだよ」
「埋める」
「あ?何を」
「アレンを」

土より花の方が似合ってね?ブックマンJr.はさも当たり前かのように言う。神田はさらに顔をしかめた。四角い箱のようなこのスペースは完全に薔薇の花に覆われていて、血の海の中に身を沈めているような感覚に襲われる。嗅覚も視覚もおかしくなってしまいそうだ。神田が入り口にもたれかかるようにしてラビを半ば睨んでいることなどお構いなしにブックマン後継者は次々に薔薇の刺を落としていく。

「なんでんなことしようと思ったんだよ」
「だってアレンが、僕が死んだらカソーしてくださいねって言うから」
「そりゃ火葬だろ、火で焼く方だ」
「違う、花だよ。花葬」

言葉を発しながらもラビの手は動きを止めない。神田が呆れ返りながら足下の花を一つ拾い上げると花びらが散った。

「そもそもあいつは死んでねぇだろが」
「これから、死ぬんさ」
「なんで」
「『ラビ』が死ぬから」



しゃきん。



「・・・明日か」
「そ、明日」



しゃきん。



「俺はラビというエクソシストの名を捨ててブックマンになる」



しゃきん。



「だからついでに俺のことが大好きなアレンさんもいなくなってもらおーかと思いまして」



アホか、神田がそう吐き捨てるとラビが知ってるよと笑った。
一つ二つと薔薇から刺が削がれていく。
いっそ茎ごと切ったらどうだと神田は言いたくなったが、ラビの言う花葬に賛同するようで癪だったため、意味もなく息を吐き出した。
高い位置にある唯一の小さな窓から西日が差し込み、部屋全体がさらに赤みを帯びた。ラビのその橙の色が燃えているように見える。ひんやりと冷えているはずのこの部屋の温度が、一面の赤と、粘り気を帯びたような甘ったるい匂いで、常温辺りまで上がっているように感じた。

「・・・そんなことする必要がどこにあんだよ」
「んー?」

だっておれはべつにあれんいなくてもいきていけるけど、あれんはらびがいなくちゃいきていけないから?

二人まとめて死ねばいい、神田は心の底から切に願った。
もう大分刺を取り終えたらしい。バケツの中は半分以上が埋まっている。
流れ作業のように次から次へと切り落としていくラビを見て、彼はこんなにも小さかったかと神田は驚いた。

あれんはおれがいなくちゃいきていけないから

むしろそれはお前だろう、と神田はラビに向かって言いたかった。

『ブックマン』はアレンなどいらないけれど『ラビ』には必要だった。
すなわちアレンがいなくなれば、『ラビ』には何の未練もない。

「ただの責任転嫁じゃねぇかよ」

ボソリ、小さく呟く。

「なに?なんか言ったー?」
「別に」



しゃきん。



音が響く。
何かの終わりを告げる音。









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続くとか続かないとか。

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