お約束、果たしに参りました。










めふるよるのものがたり
  菊の花に誓う 後











月日は瞬く間に過ぎていく。

気付けば秋茜の飛びかう季節が訪れていて、耳を傾けると蛩の鳴く声を聞くことができる。家の近くの川辺ではすすきの穂がゆらゆらと風に揺れていた。
椎名翼は自室からぼんやりと街へと続く道を見やることが多くなっていた。同居人の黒川は、特に理由を問うたりなどせず、ただ傍らで読書などをしていることが多い。椎名が待ち人を待っていることは明白なのだけれど、それを指摘するとすこぶる彼の機嫌が悪くなるのだ、だから言えない。
日常生活は変わらないけれど、ただ家の中にぽつんと生けてある一輪の菊だけが別世界に咲いている何かのように違和感を感じさせた。



「来るかな」



ある日突然、まるで空から降る一滴の雨のように、椎名の呟きが落ちてきた。夕食の支度を始めていた黒川は、一瞬野菜を刻む手を止め、再び一定のリズムで刻みだした。「来るだろ。たぶん」、「マサキ、ほんとにそう思ってる?人の心は秋の空のように移ろいやすいって言う歌があるの、いくらお前でも知ってるだろ?」椎名は目を窓の外に向けたまま言う。忙しなく街道へ向かう旅人を見ると、どうしようもなく不安になるのだ。そんな椎名の姿を黒川は毎日物珍しげに眺めている。椎名にとって、話の合う人間などそうそういないから、当たり前といえば当たり前の反応なのかもしれないけれど、とにかくその椎名の姿が新鮮で、少しだけ愉快だった。そんなことを本人に言おうものなら家を追い出されかねないので黙っているけれど。

椎名たちの住む村から少し離れたところに関所がある。ここら一体に入るためにはその関所を通らなければならない。だから椎名の待ち人――もその関所を通らねば椎名の元へは来られない。関所の一人息子、藤代誠二にの特徴を伝え、通ったらすぐに連絡を、と頼んではあるものの、連絡が来る気配はまったくと言っていいほどなかった。
「椎名が人に興味持つなんて珍しいなー」藤代はそんな風に笑ったけれど約束を違えるような男ではないから間違いなくはまだこの故郷に来ていないのだろう。

晴れ渡った空を四角く切り取る窓と美しく咲く菊の花は驚くほど綺麗だった。待ち人を出迎えるには最高の演出のように思われるがしかしは現れない。出雲はここから遠く離れた西の国だからと黒川が言った言葉だけが虚しく響いた。

結局その日もは現れず、明日は朝早いからと先に寝床に入った黒川を見送りつつ、椎名はまたぼんやりと窓の外を眺めていた。山の端に月がかかり、今日はもう寝てしまおうと椎名は立ち上がりかけ、道の先に人影を見付け、がたりと窓に手を掛けた。暗くてその姿をはっきりと捉えるのに時間を要したが、それは間違いなく見覚えのある姿だった。

っ、」

窓から身を乗り出して椎名が叫ぶとはゆっくりと流れるような動作で顔をあげ、変わらぬ姿で微笑んだ。



まだ、菊は散っていなかった。











階段を駆けるようにして下った先の扉を開けると、そこにはが静かに立っていた。
、と椎名が呼びかけると、彼女は少しだけ首を傾げて笑う。部屋の中へ招きいれようと玄関先に火を灯しても、はそこから動かなかった。

「疲れただろ、ほら、中に入りなよ」

椎名が言っても微笑むだけで、は言葉さえ発しなかった。ひどく落ち着いたような空気が彼女を包んでいたが、それはきっと夜の闇のせいなのだろうと、椎名は気にしないことにする。もう一度中に入るよう椎名が促すと、黙ったまま彼の後には続いた。暗い廊下を蝋燭の明かりだけで静かに2人は進んでいく。もう大分前から毎日きちんと掃除をし続けてきた客室にを通すと、南の窓の下に彼女を案内した。昼間に用意した酒と魚をあたため直して前に並べても、は手をつけなかった。
「別に本人に聞いたわけじゃないけど、きっとマサキも楽しみにしてたと思うから、起こして来る」、無言でただ微笑むだけの彼女にどうしていいのかわからなくなった椎名はそう言って一旦中に入ろうとしたが、それもまた首を横に振ることで止められてしまった。どうしたの、そう聞いても悲しそうに笑うだけ。のためにマサキと作ったんだけど、椎名の言葉に少し目を見開いて、はまた困ったように微笑んだ。

静寂の時が流れていく。

椎名の家の周りにはほとんど何もない。人との交流を嫌った彼が、家を村の端に建てたのだ。そこで、ふと椎名は窓の外を見た。が通って来た道も、もちろん明かりとなるようなものは何もない。幸い、今日は月だ出ていて幾分か明るかったけれど、道の途中にある樹の茂みを抜けるのには、十分とは言えなかった。ゆっくりと、を見る。「ねえ、、どうやって、ここまで来たの」、椎名の問いは、宙に浮いたまま、しばらく消えなかった。

ふう、と息を吐く音がする。
はそれを三度ほど繰り返して、それからようやく口を開けた。

「あなたに偽りの言葉を述べることなど、どうしてできましょうか。だから私がこれから話すことは、全て真実です、どうかどうか驚かずに聞いてください」

紡がれた言葉は椎名の想像を超えたもので、彼は遠慮なしに眉をひそめた。何言ってんの、喉まで出掛かった言葉をどうにかして飲み込んでも、の言葉をきちんと理解することはできない。の薄い唇が再び開かれるのを、椎名は恐ろしく冷めた気持ちで眺めていた。





「私は、この世のものではありません」





は言う。





「死霊となって、此の地まで、やって参りました」





馬鹿じゃないの、椎名の口をついて出そうになったのは、そんな言葉だった。驚きというよりも、どちらかと言えば不快な気分だったようだ。どうしてそんな事を言われなければならないのか理解できない、そういった口調だった。

、何わけわかんないこと言ってるわけ?僕は夢の中にいるつもりはないんだけど」
「あいかわらず、面白い方ですね、椎名さん。でも残念ながら、私は本気です」

は笑った。

「故郷へ帰りましたが、既に手遅れでした。手のひらを返したように敵勢に加担するものたちばかりで、かつての主君に仕えようとするものなど、ほんの一握りの状況だったのです。私も帰ると同時に、新しい主の元へと連れていかれました。彼は確かにずば抜けた武力の持ち主ですが、如何せん智に対して疑い深い性格だったようです、あまり心から尽くす家臣というものが見当たりませんでした」

淡々と語るその口調や表情から彼女の考えていることを読み取るのはかなり難しいものだった。無表情、というわけではないのに、何故か掴みづらいのだ。椎名は口を挟むこともなく、ただがぽつりぽつりと呟くのを見守っている。話の入りがあんな内容だったからだろうか、普段は飲み込みが早すぎるというほど早い椎名であるが、一向に理解できずにいた。否、どちらかと言えばこの先にある、おそらくはあまり好ましいとは言えない結末を知るのが嫌で、無意識のうちに拒否しているのかもしれなかった。

「私はもともと頭脳戦を得意とする身ですから、このままここに居ても意味がないと思い、城を出る決心をしました。ところがそんな私の様子が気に入らなかったのでしょう、監禁されることとなってしまったのです」
「はぁ?監禁?」

それまで黙っていた椎名もさすがに声をあげずにはいられなかったらしい、片方の眉を吊り上げながら言った。

「はい。そうして拘束されているうちにとうとう前日にまでなってしまったのです」

の声は室内によく響いた。
何故だろうか、椎名は段々との話は本当に偽りのないもののように思えてきた。それがどうしてなのか、彼にもさっぱりわからなかったけれど、の語るその言葉が呪文のように椎名の身体を通り抜けると、その出来事が何故か本当のことに思えてくるのだ。
しかし、それを鵜呑みにするわけにはいかなかった。

せっかく見つけた、友と呼べる相手が、まさかそんな、





生きて、
       いない な んて  。





おそらくそんな椎名の思いが伝わったのだろう、は悲しげに目を細めた。部屋を照らす月明かりが、今のこの瞬間を夢の中のように見せかけているけれど、これはどうやら現実の世界らしい、椎名は無意識のうちに唇をかみ締めていた。
は、ゆっくりとさらに続ける。

「約束を、違えたらあなたは悲しむだろうと思いました。しかし出て行くことも出来ない。そんなとき、何かの書物で読んだ言葉を思い出したのです」

ひゅう、とが息を吸い込む音がした。










「人一日に千里をゆくことあたはず。魂よく一日に千里をもゆく」










人間は一日に千里の道を行くことはできない、しかし魂は一日に千里行く。



椎名は全身から血の気が引いていくのがわかった。



つまるところ、は、椎名との約束を守るために、自らの命を絶ったのだ。
魂となって、この地を訪れるために。

「―――っ、だったら、冬にでも、いや春だっていい、それから来ればいいだけの話だろ!?」
「私は、秋には参ると誓いましたから」

は部屋の隅で揺れる、菊の花をいとおしげに見ると、ゆっくりと立ち上がった。「ああよかった、まだ立派に咲いていますね、間に合った」、月明かりに照らされた白い菊の花の花弁は、溢れんばかりに咲き乱れている。
俯いて顔を上げない椎名に、は手を添えた。

感覚は、ない。

「お願いですからお顔をあげてくださいませ。今宵はるばる遠方から風と共に菊の花に誓った約束を果たすため、こうして参った私の気持ちを、どうかどうか、」

汲み取ってくださいとは笑う。





「ここで永遠に左様なら、椎名さん、私はあなたに会えたことを、誇りに思います」





ふわり、と温かな風が吹いた。





そこに少女はいなかった。










揺れて咲いた菊の花から、小さな花弁が一枚、散った。











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元ネタ『雨月物語―菊花の約―』
長々とお付き合いくださってありがとうございました。

丈部左門:椎名翼
赤穴宗右衛門:
左門の母:黒川柾輝
左門と同じ里の人:佐藤成樹

でした。
母ポジションにマサキが来たのは翼とお母様という組み合わせが想像できなかったため。笑 
原作読んだことのある人はわかると思いますが、原作はここで終わってません。まだ続きがありますが、悲しすぎるのでカットしました。興味ある方は読んでみてくださいな、翼のその後の行動がわかります。
まだまだこのシリーズはぐだぐだと続けていく予定なので、気が向いたらまた覗いてくださいな!

08年09月29日 夜桜ココ

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