※零崎人識の人間関係の『若干の』ネタバレあります。



















汀目俊希はお世辞にもクラスに溶け込んでいるとは言えない生徒だった。

クラスの誰もが彼に注目しておきながら、しかし遠ざけてしまうタイプ。
決して、受験生にとって最も重要であるテストを休んだところとか、ある時ちょっとした噂――確か彼は実は殺人鬼だとかなんとかそういう類の噂だった。しかも割と根拠ある話だったような気がする。もう忘れた――があるところだとか、整った綺麗な顔に施された大きな刺青のせいだとか、そんなことで注目を集めているわけではない(いや、半分くらいの生徒はそういうところに注目しているのかもしれないけれど)。
とにかくなんだかんだで最も注目を集めている生徒だった。よく彼におせっかいを焼く学級委員の榛名春香の話によると「彼だってほんとは皆の輪のなかに入りたいのよ、絶対そうよ」だそうだが私、は、断固としてそれを信じない。例えそれを信じなければ世界が終わると言われても信じないだろう、いや、さすがにこれは少し大袈裟だけれど。
どちらかと言えば人と関わることを放棄しているように見える彼に私が興味を持ったのは、本当にただの偶然だった。
空気とまでは言うことができないけれど、それでも彼がようやくクラスに溶け込んできた頃。たまたま家庭科の授業で同じ班になった私は、その一風変わった、だけど特に問題を起こすわけでもない少年を、なんとなく遠巻きに見ていた。「なぁ、そこのあんた」、だから話し掛けられた時は何かの間違いではないのかと思ったほどだ。ぽかんと口を開けて停止する私を、汀目くんは心底不思議そうな顔をしてみていた。といっても、もし仮に私以外の生徒が彼に話し掛けられたとしても同じ反応を返していたと思うのだ。それくらい、異常事態だった。汀目くん自身、それをよくわかっているらしい、「俺だって人に話し掛けたりくらいするっつの」。あぁごめんそういうんじゃなくてええと何かな!私は慌てて訂正したけれど、おそらくほとんど意味を成さなかった。汀目くんは既に違う方向を見ていたのだ。
後にも先にも結局私が汀目くんと接点らしい接点を持ったのはこの時だけだった。例えばプリントを回収する時とか、朝礼で隣に並んでいる時とか、私が汀目くんの側にいることは幾度となくあったけれど、彼が私に話し掛けてくることはなかったし、私が彼に話し掛けることもなかった。ただ、どうしても気になってしまうのだ。

「恋なんじゃない?」

おせっかいクラス委員長の榛名春香はそう言った。天と地が引っ繰り返ってもそれはないと思うよという私の思考は彼女には届かなかったらしい、淡々と続けた。「汀目くん、顔立ちはいいわけだし」、顔面にあんな大きな刺青をしている時点で色んな物が意味を成さなくなると思う、そう言ったら「さん、それは差別よ」、と言われた。なんだかもうどうでもよくなった。

ともかく。

私が汀目俊希に興味を持ったのは決して恋なんかではなく。



『俺だって人に話し掛けたりくらいするっつの』



呆れながら彼が言ったこの言葉に、興味を持ったのだった。
別に人嫌いだとか極力関わりたくないとかそういう感情があるわけではないのだと知り、少なからず驚いた。だからと言ってその一風変わった少年に声をかけられるほど私は積極的でもなければ不思議ちゃんでもない。その他大勢の生徒同様、見ていることしかできなかったのだけれど、それでも彼に視線を向ける時間が格段に増えた。相手を知るには、まず相手を観察すればいいらしいことを学ぶ。意外にも真面目に授業を受けていることとか、たまに憔悴しきった顔でぼんやりしていると大抵クラスの男子の誰かが様子を伺いに現れることとか、榛名春香は本当にしょっちゅうおせっかいを焼くこととか、日常における本当に些細なことをたくさん見つけた。

なんというか、彼も中学生なんだ、と何故か嬉しかった。

愛着が湧いた、とでも言えばいいのだろうか、とにかく彼のことがなんとなく気に掛かり始めてから数か月。特に変化のなかった彼の日常に突然ぱっと華やいだような何かが飛び込んできた。
榛名春香がいつものように汀目くんに近づいていった。ああ今度は一体なんの用事だろう、私は彼女の後を目で追った。彼女は少しばかりとまどったような表情を見せ、それからゆっくりと教室に取り付けられた木製の扉を指差した。否、正確にはそのように見えたのだ。例えば榛名春香が他のクラスメイトに同じような行動を取ったのならば、私はすぐに誰かが会いにきたのだろうことくらい、予想できた。だけれど友達という友達を見たことがない汀目俊希に対しては、まったくそんなことを思わなかったのだ。

だから、扉の横に佇む少年―長すぎる髪が印象的だった―を見て彼が心底驚いた顔をしたのだから、私まで驚いてしまったのだ。加えて面倒臭そうに向かっていった彼に対して髪の長い少年は「久しぶりとっしー」、などと言った。とっしーとは何なのか数秒真剣に考えた後に、どうにか俊希のとっしーなのだと理解した。さらに汀目くんは少年を親しげに「いずむん」、と呼んだ。友達らしい。あんな汀目くんに引けを取らないくらい目立つ少年がうちの学校にいただろうかとも思ったが、私は人の顔と名前を覚えるのが破滅的に苦手なので、きっといるのだろうと判断した。

なにはともあれ。

汀目くんに友達がいることが、無償に嬉しかった。

それが例えとても普通の子とは言えないような子だとしても、だ(だって仕方がない、類は友を呼ぶのだから)。

別に私自身、汀目くんと仲が良いわけでもなんでもないけれど、汀目くんをよろしくね、なんて思ってしまった。彼の友達について詮索するつもりなんてまったくなかったので、結局その変わった少年が誰なのかわからなかった。けれどとにかく雰囲気からして奇抜であったその友達のことを忘れるなどということができるはずもない。どちらかと言えば忘れてしまうことの方が覚えておくことよりも難しい。

だから再びその少年が教室の扉の側に立っていた時は心底驚いた。

しかも前と違って学ランに身を包んでいるわけではなかった。女の子?、と私が首をかしげたと同時に、





赤。





目の前いっぱいに、赤。





びちゃり、と何かが張りつく音と感触がしたけれど私にはそれが何なのか、理解することができなかった。
目の前の赤の他には汀目くんの友達が一人。手に何か丸いものをかかえているようだった。

「そこのおまえ、聞きたいことがあんだけど」

彼は言った。

「人識の机、どこ?」

ひとしき、わたしは口のなかでつぶやいたけれどそれは知らない単ごだった。だけどなぜか汀目くんのことを言っているのだとかく信できて、わたしはやたらとゆったりとしたうごきでみぎわめくんのつくえをさす、ありがとう、かれはいった。そしてそのしょうねんは、



なきそうだ、とおもった。



けれどえがおだった。
しょうねんはゆっくりとみぎわめくんのつくえに近づいて、そっとそのつくえをなでた。



みぎわめくん、いいともだちをもったんだね。



最後の記憶は赤




   


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