校舎裏での出来事
   




 12時35分の鐘の音と共に、今日も三階の廊下に勢いよく二つの扉が開く音が響く。
 A組から飛び出した影はそのまま目の前の階段へ消え、E組の扉から飛び出した影はその影を追うように廊下の右端から左端へと急ぐ。
 はお弁当を片手に目の前の階段を出来うる限りの速さで駆け下りていた。もはや昼の恒例行事となったこの追いかけっこには多数の野次馬がついていて、冷やかしや応援の声があちこちから聞こえてくるが、おちおち構っていられる余裕もない。
 一階に降り立ったは家庭科室の前を通り抜け、その隣の保健室の戸の中に静かに滑り込むといつものように養護教諭に視線で挨拶をし、窓から外へ飛び出した。その場にしゃがみこんで息を整えていると、背後の校舎内から聞きなれた叫び声。


ー!くっそこんにゃろどこ行ったー?!」


 彼が自分を見失ったことを示すこの台詞を聞き、は窓から頭が見えないように身体を屈めながらいつもの場所へと向かった。
 どうやら彼にとって女子高生が逃げ落ちる場として屋外は盲点らしく、いつも手を変え品を変えいろいろな教室に隠れているものと思っているらしい。彼の目が屋外に及ぶことがないお陰で、いつも同じ場所へ身を隠しているのだが未だ発見・捕獲(?)されるという事態は避けることが出来、安心して昼食に手をつけている。

 この追いかけっこが始まってからもう1ヶ月になる。
 たまたまそれが始まったのが中間テストの結果発表の翌日だったというだけで実はテストの結果とは何も関係ないのだけれど、総合1位だったは、周囲の友達には


『勉強を手伝ってほしいというお願いを断ったら追いかけられるようになってしまった』


 と言って信じさせている。
 まさか、言える訳がない。学年一の人気者と言っても過言ではないあの若菜結人に告白されて、しかも毎日その返事をこんなみんなの目に見える形で迫られているだなんて。
 しかし正直なところ、告白は罰ゲームかなにかの冗談で、それを訂正するために追いかけられているのではないかと踏んでいる。


 訂正されるのが恐くて、逃げている。


 もしかしたらそうかもしれない。でも、自分の気持ちもよくわからなくて、気づいたら後戻りどころか前に突っ走るしかできない状況が出来上がっていた。





 定位置である校舎裏の死角に辿り着くと、綺麗に畳んでおいたビニールシートを敷いて腰を下ろす。
 さすがに日の当たらない校舎裏の地面に制服のまま座り込むわけにもいかず、初日は仕方なく立ったまま過ごしたが、翌日からは家からビニールシートを持ち出してそこに置いておいたのだ。
 まあよく独りでこんなところでご飯が食べられるものだ、と自分でも少しばかり関心してしまう。
 最近はこの現状を憐れんだ友達が、教室からメールだけではなく電話なんかもくれるようになったから寂しさも紛らわすことが出来ているけれども、まさかこんなバカなことを卒業まで続けるわけにもいかない。
 打開策は向き合うことしかない…だから今は、わかっていても同じ毎日を繰り返すしかなかった。


 教室に戻るときが一番危険だ。
 授業に遅れないように、かつ早く着き過ぎないようにしなければならないし、校舎裏から教室まで戻るところで見つかってもいけない。
 今日E組は次の授業が移動教室だった筈なので教室の前で待ち伏せはないだろうけれど、油断は禁物。
 無事に教室に入って自分の席に戻ったときには、安堵の溜め息が漏れた。
 

も頑なだよねー。あれだけの熱意を持ってるんだから付き合ってあげればいいのに」


 前の席に座る友人からの冗談半分の声に肝を冷やす。勿論彼女は”勉強に”というニュアンスで言っているわけだが、どうも紛らわしくて緊張してしまう。


「だって、私教えるの下手だもん」


 これももうお決まりのやり取りだった。
 


 翌日、おきまりのコースを辿ってお昼を済ませて参考書を広げていると、不意に近くで人の気配を感じた。息を潜ませて辺りを調べると、そこには男女2人がどこか気まずそうに対峙している。どうやら女が告白されているらしい。
 男女とも違う学年であることを靴に入ったラインの色で確認したところで、男と一瞬目があったが、気づかなかったふりを装って再び定位置に戻る。無粋なまねをするつもりはないが、ここから離れるつもりもない。後からやってきたのは向こうだし、もし何か言われたらその時はその時で大人しく去ればいい。

 最近の中学生は随分お盛んなことだ、と自分のことを棚に上げながら考えていると、いきなり聞き覚えのある明るい声が響いてきて、息を飲んだ。


「俺、付いてきた意味あった?お前チキンすぎだろー!」


 間違いない、若菜結人の声だった。
 彼の交友関係や顔の広さが学年内だけに収まっていなかったとは、大きな誤算だった。
 ぼそぼそと何かを話す声が薄っすら聞こえた。
 


 マズイ。



 私の体内のいろいろな部分が警笛を一斉に鳴らし始めている。上手くいったらしい男女。告白された男と目があった私。告白された男となにやら親しい関係にある若菜結人。
 急いで荷物をまとめて反対方向へ歩き出したところで、マジかよ!とまた一回り大きな声が聞こえてきた。
 ああ、マズイ。

 残りの逃げ場所の候補は女子更衣室。そこへ行くためには校舎に入ることが必要だけれど、まさか保健室の窓から戻るわけにもいかないから校舎を半周まわって昇降口から中に入らなければならなかった。もうなりふり構わず、後ろを振り返ることもせずに一直線に昇降口を目指す。
 それが、浅はかだった。
 昇降口には今まで正面突破しか仕掛けてこなかった猪突猛進男が、反対側から昇降口に周りこんで私を待ち受けていたのだった。
 いつものにっこり顔の仮面を外して、どこか険しい感じの表情をしている。
 …正直に言うと、若菜結人の顔をまともに見たのは一ヶ月以上ぶりになるのだけど。


「…


 そのしかめっ面のままの若菜結人が一歩歩み出たところで、私は全力で来た道を引き返した。
 しかしA組とE組の距離が今まで私を助けてくれていたわけで、ハンデのない状態で若菜結人の足に敵うはずもない。手を捕まれても引きずるように逃げ切ろうと思っていたが、ついにいつもの定位置の少し手前まで来て、カンペキに引き止められてしまった。


、もしかして…いつもここにいたのか」


 そこにあるビニールシートに目をやった若菜結人が少し驚いたように目を見開いていた。その声がいつも聞いているものよりも随分低い。
 よくわからないけれど既に泣きそうになっている私は、仕方なしに俯きながらもひとつ頷いた。


「っごめん!!」


 きつく握られていた腕を離されたと思ったら若菜結人はそのまま勢いよく土下座をしてしまって、逃げることなんて出来なかった。


「え…っちょ、ちょっとヤダ、やめてよ」


 慌てて起こそうとするけど、頭を地面につけたまま動かない。そもそも謝罪されている理由が、告白の取り消しなのか何なのかよくわからない。

 ――ああ、そっか、取り消しか。

 告白の取り消し以外に何を謝ることがあるものか。これでお昼の逃亡生活も終わり。何の接点もなかった若菜結人との関わり合いも、寂しい昼食も全部、終わり。
 

「……」


 胸が締め付けられて、自然と涙が零れた。
 ただ逃げて寂しくご飯を食べることを強いられていただけの筈なのに、悲しい気持ちになるなんて、自分でも驚いた。


…俺、…ってえ、何、ちょ、なんで泣いてんの?!」
「……う…」
 

 一度溢れ出したらなかなか止まらない。
 何も言えずにただ涙を拭っていたら、その拭う腕をまた引き寄せられた。抱きしめられてる――というよりは、顔を肩に押し付けられているような感じだった。


「あの、何で泣いてんのかよくわかんねーけど…ごめん、俺のせいでいつもこんなところでご飯食べてたんだよな…」
「…え?」
「え?」
「そのこと…って、わぁ!」


 若菜結人の方を向くと、思いもよらなかった顔の近さに驚いて涙も引っ込んでしまった。身を離そうとしたけれど、背中にまわり込んでいた手がそれを阻止してしまう。


、そのこと、って何?何のことだと思った?」


 頑張って背筋を反らせて出来る限り離れようと試みてみるけれど、その分若菜結人は近づいてくるので意味を成さない。
 視線を逸らすと、ともどかしそうな声と共に背中を軽く叩かれる。


「念の為言っとくけど、俺はをこんなところへいつも追いやってたことに謝ってるわけで、告白したこととか毎日追いかけてたことは後悔してないよ。

 俺、のこと好きだから」


 恥ずかしげもなく言い放つ若菜結人。
 抱きしめられる私。
 昼休みが終わることを告げるチャイムの鳴り響く校舎裏での、出来事。






お題なんとか9月中にいっこ完成させることができた…!
本当よかった…!

09年09月26日 癒衣


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