本棚の大群に囲まれる
   




 我輩は麻川満である。名前はさっき言った。満は“みつる”と読む。こんな名前でも一応女だ。『我輩は猫である』にもじったこの出だしに特に意味はない。

 図書室の一番奥の窓際は、放課後の私の指定席。そこから外を見下ろすと、眼前に広がる砂埃が飛び散るグラウンド。
 その中で一番目立つのはやっぱりキンパツのあいつ――佐藤成樹が最近ちょっと気になっている。
 気になっているといっては語弊がある。恋心を抱いているという意味ではない、断じて、決して。もう本当に。心から否定する。
 じゃあ何故気になっているのかというと、私の親友であるが彼と交際しているからだ。再三言わせて頂くけれど横恋慕という意味での気になっている、という意味でもない。彼には、いい噂を聞かないから。

 二股、三股は勿論のこと、暴走族とコネがあるだとか、関西の老舗旅館の若女将と不倫してるだとか、某AV女優(名前も聞いたけど忘れた)の息子だとか、深夜にコンビニでアルバイトしてるだとか、借金取りに追われてるだとか、ホストで働いてるだとか、信憑性云々はさておき、一人でこれだけの噂を背負う中学生…なかなか大したものだと思う。
 そんな話題に事欠かない佐藤成樹と、特に突出した美人であるわけでもなければギャルギャルした性格であるわけでもなければ天然夢子ちゃんでもない、まあ“普通の子”という単語が至極わかりやすく当てはまると付き合っているというのだ、親友として心配にならないというほうが可笑しい。

 馴れ初めを特に聞いたわけではない。私は本は好きだけどリアルな人の恋愛事情にさして興味があるわけではないし、自身もあまり話そうとはしないから。「昨日お好み焼きを食べた」とか「サッカー部の練習試合を見に行った」とか、そんな抽象的なことを聞いただけで、交際の進捗具合も私は知らない。
 クラスメイトというだけで接点がなく、情報といえば先述した噂ぐらいだったものだったから、当初少々佐藤成樹という人物を怪しんでいたけれども、佐藤成樹と遊びに出かけたとされる日の翌日のの顔を見ていると、そんな噂をあほらしく思うようになっていた。
 少なくとも今はそんな噂を諸ともしないほどには佐藤成樹を信頼していることは明白、佐藤成樹の方も今のところは夏子をぞんざいに扱う気もなさそうだ。

 だから噂についてはあほらしく思えても、今後が泣かされるのではないかと邪推してしまい、どうしても佐藤成樹を見つけると観察してしまう癖がすっかりついてしまった。
 窓の外の佐藤成樹はいかにも青春していますといった感じでサッカー部の練習に励んでいる。
 いつもならグラウンドの隅にの姿も見られるけれど、今日は保健委員の集会があるといっていたからいない。

 夏子と佐藤成樹が付き合い始めてからどうにもこうにもヤツが目に付いてしまい、放課後の楽しみであるはずの読書にまったく身が入らない。仕方なしにしおりも挟まずに本を閉じ、窓の外を見るべくため息と一緒に頬杖を付く。
 ――が、一瞬意識を逸らした隙に佐藤成樹は校庭から姿を消していた。
 他のサッカー部の面々らしき生徒は変わらず練習を続けているので、単独で休憩に行ったかサボり始めたか。

 気乗りしない、観察する対象もいなくなった――なら、帰ろうか。

 タイトルにだけどことなく興味を惹かれたその本をもとあったスペースに戻そうとしたところで、図書室の戸がゆっくりと開く音が聞こえた。ここから戸は丁度死角になっている。
 上履きのゴムの音が迷いなく進んできた。そして本棚を挟んで私の目の前らへんでその足音はピタリと止まる。
 
「みっちゃん、元気?」

 みっちゃん、はが使う私のあだ名だ。けれど、こんなちょっと変なイントネーションではない。

「何の遊びかな、佐藤成樹君」
「うわ、ほんまに俺のことフルネームで呼ぶんや、みっちゃん」
「なんでみっちゃんなの」
のがうつってしもた。あかん?」
「別にいいけど…」

 話の論点はそこではない。私に何の用、と正直に聞きたいけれど、用件なんてそれとなくわかってしまっている。だからこっちからは聞いてあげない。

「本、好きなんやって?」

 さりげない感じで会話を無理なく繋ぐのは佐藤成樹の得意技だ。社交性を感じるからO型なのかもしれない。

「…まあ、それなりに」
「でも最近は人間観察に必死みたいやんなあ」

 ぐ、どうやらバレバレ。

「どう、観察の結果は?いい成果でてるん?」
「お陰様で」
「そらよかった。ほんならそろそろ調査終了?」
「どうかな、八方美人だし、借りてきた猫被ってそうだし」
「手ごわいわあ」


 なんか楽しそうだな、こいつ。


がな、心配してるんやけど」
「…心配?自分と佐藤成樹の行く末を?」
「阿呆、ちゃうし、そもそも本人の前でいいなや。みっちゃんのことを、な」
「私?」

 せや、と小さくつぶやくように言った彼の声の向きが変わった。
 棚に背を預けたのかもしれない、姿勢を変えたみたいだ。

「正確にはみっちゃんと僕のことについて」
「(…僕、って)もともと佐藤成樹と関わりなんてなかったと思うけど」
「まあ、せやけど、親友と彼氏が犬猿の仲っぽかったらやっぱり気になるもんやろ」
「……」
「みっちゃんが付き合うの反対するの、って別れ話切り出されたらたまらんし」

 軽口で言ってるけど。

 これは、もしかして。


「…は、私と佐藤成樹、どっちをとるかな」
「残念ながら、今はみっちゃんだと思てしまうからこうやって裏で手ぇ回してん」


 図書室の窓から覗く私を目ざとく見つけて、


「…佐藤成樹って、変な噂が絶えないみたいだけど」
「噂は噂やん。否定して回った事はないけど肯定したこともないわ、あんなもん」


 練習を抜けてわざわざ話にきて、


「…信用すると泣かされちゃうのかなって、心配にもなるんだよね」
「傷つけたりせん自信はある。な、みっちゃん、せやから、僕らのこと認めてくれません?」


 ってこれじゃ、お父さんに結婚を認めてもらいにくるみたいでは…?
 足音に気を付けて、ゆっくりと歩みを進めて佐藤成樹の姿を捉えると、なんとヤツは本棚に向かって深々と頭を下げてるではないか。
 私の気配に気づいているのかいないのか、お辞儀した姿勢を崩さない。 

「これじゃ、…私がいじめっ子みたいじゃない?」

 そっと声をかけると、姿勢をそのままに顔だけこっちに向けてニヤリと笑った。

「少女マンガみたいな展開?」
「いやいや、彼女の親友に頭下げるヒーローが出てくる少女マンガも恋愛小説も見たことないわよ」
「んで、返事は?」

 そんな求め方では、私が告白されているみたいじゃないか。
 答えなんて、とっくに決まっているけれど。


 、彼氏のこと疑ってごめんね。
 素敵な彼氏みたい、意外だったけど。


 何だか気恥ずかしくて、私は返事の代わりに苦く笑って見せた。
 返ってきた彼のほっとしたような嬉しそうな笑みが、酷く印象的だった。






主人公本人が全く出てこないお話…。
こう、彼女が見てないところで彼氏が四苦八苦しちゃう感じ、青春ぽくないですか?
とりあえず関西弁難しい…。

09年11月29日 癒衣


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