藤代は無言だった。
久しぶりに帰国したから、と家に来る旨のメールを受け取って数十分。まさかそんなに早く来るだなんて思っていなくて、私はすっぴんにキャミソールとショートパンツという完全にオフモードだった。インターホンがついているのにドアをノックしてくるのは相変わらずで、私は外に立つ人物の姿を確認せずに扉を開けた。そうしてそこに立っていたのは、想像した通り藤代で、いらっしゃいと出迎えた。
暑かったでしょう、と何か飲み物を出そうと冷蔵庫を開けて、ソファに向かうまで、藤代が無言であることは気にならなかった。向かい合って初めて、そう言えば一言もしゃべってない、ということに気付く。なにどうしたの、言いながら彼を見遣るけれど、やはり何も返事はない。
けれどそこに可笑しな様子はなくて、むしろいつもの彼だった。いつもの彼、というよりは、見慣れているという印象が強かった。何故だろう、私はしばらく思考を巡らせて、ああそうか試合中の彼だ、と思い当る。でも何故?何故今、そんなことを思うのだろう、私も無言で彼をじっと眺めてみる。
非常に長い間、そうしてお互い無言で見つめ合っていたように思う。思うだけで、多分実際には3分にも満たない。ふいに藤代の手が伸びてきて、私の髪に触れた。不思議そうな顔をするから、「切ったのよ」と言うと、ゆっくりと破顔した、くしゃりと笑う彼の表情に、今更どくりと心臓が波打つ。
「ゆき」
呼んだのが、合図だった。するりとソファとテーブルの間をすり抜けると、藤代の横に腰かける。肩に頭を預ける、ゆっくりと、髪を梳く感触。何となく、膝の上に置かれた反対側の彼の手に触れたくなって、右手を伸ばす。
「ちょーだい」
降ってきた言葉に、何を、だなんてそんなことを返すほど私は子供でもなくて。けれど自分から動けるほど大人にもなりきれていなくて、少しだけ顔をあげれば、そのままゆっくりと口づけられた。
離れて、目の前で目が合う。あれ、やっぱり試合中の顔だ、と思って、そこで初めて目が試合中のそれと同じだということに気が付いた。「・・・・本気、ってことでいいのかしら」思ったことをそのまま口に出してみる。「なに?」藤代が、きょとんとした表情で問うてきた。何でもないわ、そう応えて、身体の力を抜いて、全身を彼に委ねた。