『サッカー』をしている郭をが見たのはこれが初めてだった。

一つ一つの彼のプレーに、あっという間に魅せられてしまった。魅せられる、というのがどういうことなのか、身をもって経験した。



いつもよりも、鋭く光る眼。

不敵に笑う口元。

華麗なる技を繰り出す足。



全てが全て、の知らない郭英士だった。



体育の時間や休み時間にクラスの男子と楽しげにサッカーをしているのを見たことはあるけれど、それはどうやら彼にとってほんの戯れにすぎなかったらしいことをは学んだ。ここで郭が見せたプレーは、全身から伝えられるメッセージだった。










『30日、空いてる?』

受話器を通して、少しだけ変わった郭の声を聞いたのはほんの2〜3日前のことだ。は手に持っていた真っ白なシャープペンを物の見事に落下させ、数秒間を空けてから慌てて受話器を握り直した。
しかし言葉が上手く出てこない。
?そう尋ねてきた郭の聞き慣れたけれど緊張してしまう声を受けてなんとか肯定の返事をしたのだった。最も、仮に予定があったとしてもその予定を無理にでも無しにしただろうけれど。

『サッカー、見に来ない?』

一瞬、サッカーの試合を一緒に見に行こうと誘われたのかと思ったが、見に来ない?という誘い方に違和感を覚えた。郭のサッカーを見に行くってこと?が聞くと、郭から帰ってきた答えは、『そうだね』。
もちろんが断るはずがない。










そんなこんなで郭に連れてこられた東京都選抜練習所。
グラウンド内のベンチで見れば?と郭に誘われたけれど、それは何となく気が引けて、少し離れたフェンス越しから彼を見守ることに決めた。その日のメニューは紅白戦で、だからこそ郭はを誘ったのかもしれない。

正直、試合の様子や試合の結果は、あまり覚えていなかった。
ただ郭をひたすら目で追って、僅かな表情の変化を見つめていたら、あっという間に試合が終わってしまったのだ。郭だけに、色がある。昔友人に、好きな人ができるとその人だけが鮮やかに見えるの、と言われたことを、は思い出した。あの頃はそんなことあるはずがないと笑ったけれど、どうやら本当のことだったらしい。

クールダウンを始めた少年たちがジョギングをしながらぞろぞろとがいる方向へ向かってくる。何をしたわけでもないのだけれど、何となくそのまま対峙するわけにもいかなくて、は大きな木の後ろへと回る。そっとグラウンドを覗くと郭だけがのいる方へ顔を向けて、静かに笑っていた。近くにいる誰かに二言三言何かを告げると、その群れから離れて郭はまっすぐへと向かってくる。フェンスを隔てて存在する郭の顔は、いつのまにかの知っている彼に戻っていた。



少しだけ、残念だった。





郭に呼ばれて樹の影から姿を現す。肩で息をする郭がなんだか新鮮で、樹の横から動けなかった。「なんで離れてるの、こっち、来てよ」、かしゃんと音を立てて郭の手がフェンスを掴む。はその手に自分の手を重ねたい衝動を駆られたけれど、それを行動に移す勇気はない。
足を踏み出して、2人の距離、およそ50センチ。間を隔てるフェンスが透明なガラスのような気がしてくるのは、おそらく昨日読んだ純愛小説のせいだとは思った。病院のガラス越しに笑う、恋人たちがいたような気がするのだが、よく覚えていない。

、最後まで居たんだね。見てて楽しかった?」
「うん、サッカーはよく知らないけど、皆楽しそうだった。だから、楽しかったよ」
「ほんとは人が好きだよね。いつも、見てる」
「今日は郭ばっかり目で追ってたけどね」
「あたりまえでしょ」

ここが、郭のお気に入りの空間なの?、はグラウンドに目を向けた。先ほどすぐ近くを駆けていった少年たちは、反対側の芝生の上でストレッチをしていた。

「まぁ一応ね。特別なのはとある2人といる空間なんだけど、3人じゃサッカーできないし。サッカー、知ってほしかったから」

郭がのお気に入りの場所、中央図書館のとある場所に訪れてきたのは、今からちょうど一ヵ月前のことだ。特に大したことをしたわけでもなんでもないのだけれど、その時話の流れで今度は郭がをお気に入りの場所に呼ぶということになったのだ。しばらく郭から何も連絡が来なかったため、は半ば諦めていたのだが。



今日、こうして晴れてその約束が実現されたのだ。



「本当にサッカー好きだよね」
「知らなかったとか言わないよね」
「言うよ」

呆れながらそう言う
笑いながら下を向いたら、そのまま郭の顔を見上げることができなくなって、気づけばシャツの裾を握っていた。晴れ渡った空の太陽が照らす舗装されたコンクリートの道が、真っ白に輝いている。そこに映る、の影に、重なるようにもう1つの影。

視線を下に落として郭は微かに呟いた。

風と、グラウンドの端から郭を呼ぶ声に邪魔されてはっきりと聞き取ることはできなかった。

けれど、それは聞こえなかったわけではない。





完全にフリーズしたにフェンスを隔てた0センチに縮まった距離から、降るように。





、来てくれてありがとう。紹介したい友人がいるから、あと少し待ってて」





すぐ行くよ。





郭を好きだということは自覚していただけれど、まさかこんなにも好きだったなんて知らなくて。






――俺はのこと、それなりに知ってるつもりだけどね






もう多分、この恋は止まらない。








30.August









written by 夜桜ココ 080831