きぃん、何かの音が鳴る。



季節はすっかり春らしくなり、若葉が青々と繁っている。何もかもが新しくなる季節になってからもうすぐで一ヶ月。緊張感が少しだけ緩み、それでいてどこかテンションの高めなこの季節が、は一番好きだった。



窓からぼんやりと誰もいない校庭を眺める。
朝一番の学校はしんと静まり返っていて、なんだかとても非日常な感じがした。
流れ込む太陽の光が眩しい。
目を細めて校庭の端を見下ろしていると、ふと影が動いたような気がした。



もしかして、と身を乗り出す。



なかなか、影は現れない。
しばらく動かずにじっと見つめていると、おおきなけやきの木の後ろから、ひょっこりと姿を現した。





郭英士。





ちょっぴりミステリアスな、クラスメイト。
足元には、いつも通り白黒の丸。サッカーのクラブユースに入っていると、この間風の噂で聞いた。サッカー部には所属していないのは、そのせいなのかもしれない。
トン、トン、トン、と一定のリズムで球が浮く。

始まった、とは気づけば微笑んでいた。

朝6時半。
誰もいない校庭で、リフティング。タイムリミットは朝7時。朝練のある生徒が登校してくる時間帯。





郭英士が1人でこうしてサッカーをしているのを初めてが見かけたのは、まだ吐く息が白い季節だった。
生徒会で任されていた仕事がなかなか終わらずに、朝早くから何日も学校へ来ていた時のこと。校舎とは別の建物の中にある生徒会室で、カチカチとキーボードを打っていたの耳に、ポーン、という音が届いた。びくりと肩を震わせて、ドキドキしながらもそうっとカーテンの外を見れば、ゆらりと動く影。
一瞬驚いてカーテンを思いっきり閉めてから、もう一度そろりと顔を出したの視界に飛び込んできたのは、ボールを追いかける少年。一度も話したことがない、クラスメイトだった。
も彼も、決しておしゃべりなタイプではなかったから、お互いの存在は知っていても、直接話したことがなかったのだ。事務的な連絡ならしたことがあったかもしれないけれど、覚えていない。
朝練かな、なんて思いながらその時は大して興味を示さずにすぐにまた仕事へと戻ったのだけれど。
次の日もまた次の日も1人でボールを蹴り続ける彼に、だんだんと違和感を感じ始めた。
いつも、7時前には切り上げてしまうのだ。
たったの、30分足らず。




まるで人目を避けるように、ひっそりと。





ポーン、高く蹴り上げられたボールを目で追いながら、ふぅ、と短く息を吐く。
きっと彼は、がいつも見ていることなど、知っているはずもなく。
なんだかそれが安心するような、それでもやっぱり寂しいような、そんな気がした。





郭英士とは、中1で同じクラスになり、中2でもまた、何の因果か同じクラスになった。
2年生になってから3日目の朝、教室に入ろうとしたは、自分の名前が聞こえてきてぴたりと動きを止めた。「なぁ、郭、お前1年ん時だれと一緒だった?」「4〜5人いるよ。さんとか」何故自分の名前が出されたのか、には皆目見当がつかなかった。郭の言う4〜5人の中には、比較的クラスでも人気者だった男子とか、活発な女の子とかいたのにも関わらず、出されたのは自分の名前。驚いて、頭の中で、何かがはじけた。





物思いにふけっていると、気づけば校庭には誰もいなくなっていた。時計の針は7時5分前を指している。もう、切り上げてしまったらしい。ちらほらと、まだ真新しい制服に身を包んだ新入生らしき人たちが登校しはじめている。先輩よりも早く行かなくちゃ、なんて考えなのだろう。
は椅子から立ち上がると、生徒会室を後にした。

長く冷たい、だけど嫌ではない雰囲気の廊下を歩いていく。連絡通路を辿って教室へ。
春の少しだけいつもとは違う、走り出したくなるような雰囲気に便乗して、今日は思い切って声をかけてみようかな、なんて思った。





おそらくはきっと、教室で1人、読書をしているであろう少年に。





おはよう郭くん、今日、朝練してたでしょう?





そう言えば、驚くだろうか。
自然と小走りになる自分の足取りに苦笑しながら、は階段を駆け上がった。








30.April









written by 夜桜ココ 080427