シャッ、とは勢い良く自室のカーテンを開けた。 朝日がたくさん降り注いで、その眩しさに思わず目を細めてしまう。 空には青色だけが広がっている。 見事な晴天だった。 去年買ってもらったばかりの白いクローゼットをゆっくりと開けて、は見慣れたセーラー服を取り出した。 着替えをすませて髪をまとめようと化粧台の前に座って初めて携帯電話が新着メールを告げていることに気付いた。受信ボックスを確認すれば、郭からで、は自然と口元を綻ばす。 『おはよう、よく眠れた?約束の時間にいつもの所で待ってる』 短めの文章で返信をして、髪をサイドにまとめると、良い匂いが立ちこめるリビングへと階段をくだる。トントンと包丁が俎板を叩く音がだんだんと近づいてきて、がひょいと台所へ顔を出すと、の母親がわかめを食べやすいおおきさに切っているところだった。 「おはよ」 「あら、早いじゃない。デート?」 「そんなとこかな。この豆腐、冷奴にするの?」 豆腐を2丁指差しながらが尋ねると、「半分はお味噌汁」、母親はそう言って包丁で切り込みを入れた。 レースのカーテンから透けて入ってくる暖かな春の日差しも焼き上がった魚の匂いも庭で鳴く鳥のさえずりも、全てがなんだか色付いて見えて、気分が良い。 「なーにったらにやにやしてー。これだから恋する乙女はー」 「いいじゃん、お母さんにもそういう時代くらいあったでしょ」 言いながら、確かに自分らしくないよなぁ、とは下を向いて笑った。 ゆっくりと桜並木を歩く。 2年間通ってきた道なのに、春の桜色に染められるこの時期だけは異空間のように感じてしまう。新しい何かが始まる気配がすぐそこまで迫っているからだろうか。 は呼吸を気持ちゆっくりと、そして大きく繰り返しながら目的地へと向かっていく。 ――って、いつもどこ見てるの? 教室の一番黒板寄りの窓から見える、中庭の一部分。校舎の関係上一日中影の当ることのないその空間は、多分あまり知られていない。加えて大きな桜の木が前にそびえ立つせいでよく見えない位置にあるのだ。 は、その桜の木の後ろにひっそりと立つ小さめに木の側が好きだった。 木の名前はわからない。1年生のころ美化委員の先生に聞いてみたのだけれど、彼でさえも知らなかった。 ――へぇ、そこ、俺も行っても良い? 2年生のころから、なんとなく1人になりたい気分の時はそこを訪れるようになっていた。誰かから隠れたい時や、他の人が側にいる時に近づくようなことはしない。他人に知られてしまうことが、ひどくもったいないような気がしていたからだ。 郭と付き合い始めたころ、言うべきかどうかは悩んでいた。わざわざ言うようなことでもない気もするし、けれど知って欲しいという気持ちが無いわけではない。そう考えていたからなのかはわからないが、なんとなく教室からその場所を眺めることが多くなっていたに、郭が声をかけてきたのは3学期が始まってすぐのことだった。 が窓の外を見ていることは日常茶飯事で、それは何も教室に限った話ではなく、生徒会室でも同じだった。「外ばっか見てないで手伝ってよ」と呆れ声で何度会長に言われたかわからない。 いつ頃から窓から外を眺めるのが好きなったのか覚えていない。 ただ、いつもきっかけをくれるのは窓の外の風景だった。 雪が降る季節を知ったのも、 父親が帰ってくる時間帯を知ったのも、 小学校の頃、初恋の男の子を見つけたのも、 郭に恋したのも、 全部、この四角く切り取られた空間から。 春休み中だというのに相変わらず校舎内からは色んな音が聞こえてくる。生徒たちが部活という名の青春を駆け巡る音なのだとは解釈した。 吹奏楽部の楽器の音、音楽部の歌声、バスケ部のボールの音、美術室から聞こえる笑い声、校庭に響く歓声。 少しだけ足を速めて校舎脇を通り抜けて、桜の花が咲き誇る裏庭へと出る。校舎側数えて3本目の桜の木の後ろに人影を見つけて、は駆け出した。 「郭!」 呼びかけると、いつも通り微笑む彼がそこにいた。 「走ってくれたんだ?」 嬉しそうにそんなことを言う郭に、もいつも通り返事に困ってしまう。こういう時に何て言葉を返せばいいのか、にはわからない。が何も言わなくても郭はただ笑うから、結局その術を身に付けることなくここまで来てしまったのだけれど。 「、どこかに行きたかった?」 「え?」 「せっかくの休みだし、もしかしたらどこか行きたかったのかなって」 「ううん、別に特にそうは思ってないよ、あたしここ好きだし」 「そっか。俺はが居ればどこでも良いんだけど」 歯の浮くような台詞、という言葉があるけれど、郭にはどうもそれが似合わない。彼ならどんな台詞でもきちんと決めてくれるような気がしてしまうのは何故なのだろう。そもそもが郭に恋している時点で色々と負けなような気もするけれどそこは気にしたら終わりだ。 「綺麗だね」 たちが居る場所は校舎の影になっているけれど、そこから覗く中庭は、陽の光が綺麗に差し込んでいる。まだ散るには早い桜が、見事なまでに咲き誇っていて、圧倒される。けれども、圧迫感は無い。 芝生の上に座る二人の距離はたぶん1センチ。たまに触れたり、離れたり。 ふいに郭が上を見上げるような仕草をして、は郭の方へ顔を向けた。 「校庭のライン引き」 郭は突然そんなことを言った。予想外すぎたその言葉にもちろんは反応することができなくて、目だけを何度もぱちぱちと瞬きさせる。「はい?」、しばらくして出てきた言葉もそんなもので。「ライン引きって・・・・あの、石灰でライン引いていくあれのこと?」、訝しげに郭を覗き込むようにしてが尋ねると、郭は振り返って笑った。「そうだよ」、そう言われてもには何のことだかさっぱりわからない。 「体育祭の予行の時さ、実行委員が指示出してる中、生徒会はテントから見てるでしょ。この暑い中俺たちは労働してんのに、って隣のやつが文句言いながら生徒会のテント指差したんだよね、で、そしたらその先にが居た」 2年生の時は救護班に配属されていたから、はその時は保健室近くに待機していた。皆がライン引きをしている中、体調が悪くなった生徒を保健室に連れて行ったり、そういう役割だった。 「そしたら、、すごく楽しそうに笑ってたんだよね。俺たちを馬鹿にしてるとかそういうんじゃなくて、ただ、その空間を楽しんでるように見えた。変な人って思ったけど、同時に羨ましいなとも思った。ああさんは学校が好きなんだなって」 1年生の時、は本部テントで指示を出す先輩の側で書類整理をする係だった。つまり、そういうこと。 郭が見たは、まだ生徒会に入りたてのころの、1年生の。 「それからなんとなくのこと目で追うようになって。だから、が生徒会室からいつも校庭見てること、知ってたんだよ」 俺がを見てたからね、郭はそう言って、固まったまま動かないに、1つだけキスを落とす。 「ありがとう、今隣に居てくれて」 桜並木が風に揺れる。 生徒たちの歓声は、ただのノイズと化していて、聞き取れない。 「あたし、は、学校が好きだったけど、ねえ英士は知らないよね、色を増やしてくれたのは英士だったよ」 真っ赤になって俯いてつぶやくの額に郭はまたキスを落とす。びっくりしたみたいに肩を揺らしたに、郭はまた微笑んだ、「それ、俺も同じ」。 貴方に出会う前の世界がモノクロだったなんて言わない。 色はついていたし、あたしは世界が大好きだった。 だけど、原色しか知らないあたしに、色の作り方を教えてくれたのは貴方で。 世界が、きらきらして見えた。 その中心じゃなくてもいい。 どこかにあなたがいるんだって、そう思うだけで、もっときらきらする。 永遠に一緒に居ようなんて、そんなことは思わないけれど、 でもせめて、いつまでも笑っていられるように、 貴方と出会えたことを誇りに思えるように、 笑って、あたしの子どもに貴方のことを話せるように、 今はこうして2人で笑っていよう。 「英士、大好き」 |
written by 夜桜ココ 090415 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。 こうして素敵な企画を立ち上げてくださったはやさんに感謝と愛を込めて。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ お読みくださりありがとうございます。このお話は、笛!10周年記念企画『ようこそ輝く時間へ』に投稿させていただいていたものです。月に一度のペースで同じヒロインのものを書いていました。 とても楽しかったです。うっかり英士好きになりました。英士☆マジックや(笑)はやさんには本当に感謝しています。ありがとうございました! 09年12月27日 HP収録 |