今月25日は郭の誕生日だった。 ユースやら選抜やら生徒会やらなんやらでなかなか郭との予定が合わず、やっと二人の予定があったのが30日。合ったと行っても郭は午後からユースの練習に行ってしまうから、午前中だけなのだけれど。 ピピピ、という何のひねりもない電子音では目を覚ました。昨日しっかりと閉めることをしなかったらしい、カーテンの僅かな隙間から光が零れている。覚醒し切れていない頭でどうにかアラームを止めると再び布団に潜り込む。一月末ともなれば朝の冷え込みは容赦無い。部屋が暖房で暖まるまでの短い間、首を出すことさえ億劫だった。 暖かい布団の中で丸まっていると段々と脳が覚醒していくのがわかる。久々の、所謂デートというやつに、は少なからずドキドキしていた。私服の郭は、まだなんだか見慣れなくて、ひどく緊張する。いつの日か慣れる日が来るのだろうかと不思議に思うが、一向に慣れる気配はない。 右手を伸ばして布団の外の温度を確かめると、もう大分暖まっていることが判明した。一度布団の中で気合いを入れて、それから勢い良く立ち上がろうと意気込んだその矢先、ブーッ、と携帯電話のバイブが振動した。英士かな、そんな期待を抱きつつ受信ボックスを開く。 生徒会長からだった。 嫌な予感がまったくなかったかと言うと嘘になる。 たちの学年に代替りをして早三ヶ月。始めは三年生のいなくなったことに不安を感じていたものの、もう大分仕事にも新しいメンバーにも慣れ、ようやく軌道に乗ってきたところだった。 役職毎にやるべき仕事も把握できていたし、先生との連絡もスムーズにいくようになった。新生徒会メンバーとして生徒たちにも認識されつつあり、部活動や委員会との初会合も終え、全てが順調だった。 だからこそ、少し、気が緩んでいたような気がしたのだ。 そうしたら、案の定。 『あの書類、先生の印鑑忘れてんだけど』 一言、それだけ。一瞬にして目が覚めた。血の気が引くとはこういうことを言うのかと、そんなことを思う。 三月に行われる各部活の部長及び生徒会役員での合宿の許可を出してもらうための書類だった。学校外にて行われるこの合宿は、校長の許可や、また施設の局長の許可も必要なため、どうしても書類の検査が厳しくなる。 つまるところ、の起こした印鑑一つのミスは、かなり大きなものだった。 小さく一つため息ついて携帯電話を掴む。 着信履歴の一番上、生徒会長。電話口に出た彼女のは、むしろ楽しそうだった。 『で、その書類を受け取って印鑑をもらわなきゃいけなくなったわけだ?』 受話器を通して響く郭の声は、怒っているのか呆れているのか、判別の付かない声をしていた。朝早くに電話をすることを、は一応躊躇ったけれど、そもそも集合時間が朝の10時だったので、きっともう起きているのだろうと思ったのだ。そして案の定、電話口に出た郭は、特に寝起きというわけでもなさそうだった。が「あのね・・・」と切り出すと、郭はすぐさま『あぁ、用事が出来ちゃった?』とあっさりそう言った。言葉に詰まったが何も言えずに焦っているのに対し、郭はひどく冷静に状況説明を求めた、『ほら、理由は?』こんな具合で。 が自分の失態を伝えたところで、郭は一人納得した。 「・・・・おっしゃるとおりです」 小さく、消え入りそうな声では言う。正座したフローリングから足に伝わる温度は冷たいはずなのに、どこか気持ちがいい。それはおそらく、がひどく緊張しているがために、体温が上がっているからだろう。 『つまり?』 「・・・・本日の予定をキャンセルせざるを得ないということです」 『ふぅん?』 「ごめんて!ごめん英士!これはあたしが全面的に悪いから!今度何か奢らせて!」 これが普通のデートならば、多分にこんなに罪悪感は生まれなかったのだろう。ただ、忙しい郭との予定が何とか合い、かつ郭の誕生祝を兼ねたものだったから、どうしても今日だけは外せなかったのだ。しかしここでが生徒会の仕事をさぼってしまえば、かなりの人数に迷惑がかかることになる。生徒会長は残念ながら代わりに仕事をしてくれるとか、そんな優しい人ではないのだ。 『別に奢れとは言わないけどね。次、いつ暇なの?』 言われては、机の上に無造作に放り投げてある手帳を引き寄せる。母と渋谷に出かけた時に一目ぼれして買ったその手帳には、びっしりと予定が書き込まれていた。あれあたしってそんなに忙しい人間だったっけ、考えて合宿が近いからだということに気づいた。さらに、2月は三年生を送る会の準備にも追われる羽目になる。しばらく手帳とにらみ合いをして、は口を開いた。 「んー、来週の日曜なら空いてるけど」 『来週?来週は無理だな。ほら、韓国遠征行くって言ったでしょ?その最後の練習があるから、多分終わった後も何かしらあると思うんだよね』 中学生でも海外チームと戦ったりするのかとは驚いたことを思い出す。クラスメイトのサッカー部にそれを伝えたら、「それは郭みたいに一部の人間だけ!」と言われた。が思っている以上に郭の実力は上ということだ。 『さぼれって言われればミーティングさぼって帰ってくるけど』 「・・・・言わないことわかってて言ってるでしょ」 は郭のサッカーを取り上げる気はない。むしろサッカーよりも自分を優先されたら彼を叱咤するだろう。郭がサッカーに向ける想いが、生半可なものではないことくらい、わかっているつもりだった。 それにそもそもが郭に惚れたきっかけは、自主練をする彼を見かけたからだったりするのだ。 『ねぇ、学校には、何時に行くの?』 突如、郭はそんなことを聞いた。 「えー、と。先生が来るのが10時半だから、それくらい、かな?」 『じゃぁ、20分くらいならあるってことだよね』 何が、とが問えば、暇が、と郭。 2人の家の距離は、学区内では恐らく最大の遠さだ。学校を中心として、の家は南に約1キロ、郭の家は北に約0.8キロだった。わざわざ20分たかだかのために出向くのは、なんだか少し無駄なような気もして、はぽかんと口をあける。 「え、いいよそんな!だって英士、午後からユースでしょ?うちは駅から正反対じゃん!」 『だからなに?』 そう言われてしまうと、反論することはできない。 『今から行くから、準備しておいて』 少しでもに会えればそれでいいよ、そう言い残して郭は電話を切った。 どうしてこんなにも嬉しいことを言ってくれるのだろう、は部屋の中で一人ぼんやりと天井を見上げた。 |
written by 夜桜ココ 090208
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