自分の恋人である郭英士は年末年始にどうやら韓国に行くらしい。 がその情報を耳にしたのはクリスマスも過ぎた12月28日のことだった。突然家にかかってきた電話は若菜結人からのもので、伝言内容はそういうものだった。聞いてねえだろーなと思って、少しだけ躊躇いを含むようなその言葉に、は苦笑を返したのを覚えている。年末年始の予定を郭が聞いてこない時点できっと何か用事があるのだろうとは思っていたのだけれど、まさか日本国外に出ていくとは思わなくてさすがに驚いた。「でもどうして韓国なの?旅行?」がそう尋ねると、若菜はわずかに電話のむこう口で考え込んで、それから『それは英士本人に聞いた方がいいと思うけど』と短く言った。別に本人としては若菜から聞くことに抵抗はなかったのだけれど彼なりに気を遣ってくれたのだということくらいわかったので礼を告げて電話を切った。それが今から2日前のことで、若菜からの電話の直後郭にメールを送ってみたら、3秒後に電話が来た。『30日空けて』、はっきりとそう告げられて、は条件反射で返事をした。 そんなわけでほとんど人のいない学校では郭を待っているのであった。授業がある頃とは違ってストーブを焚いていない教室内は冷えきっていて吐く息はほんのり白くなる。どこか行きたいところはある?そう聞かれて咄嗟に思いついたのが学校だった。30日ともなれば活動している部活なんてないだろうと思ったのだ。実際に来てみると居たのは美術部だけで、しかも彼らはなぜか鍋を囲んでいた、「1年の締めはこれって決まってんのよ」、と比較的仲の良い美術部長が得意げに菜箸を持ち上げた。少しだけその鍋を頂戴してから教室に戻ると郭はまだ来ていなくて、は彼の席に腰掛けた。そういえば付き合いだして1ヵ月だな、ぼんやりとそんなことを思いながら窓の外を見やると、よく晴れた空を飛行機が横切っていくのが見えた。 「」 呼ばれて振り返ると郭英士が教室の扉に寄り掛かるようにして立っていた。そういえば郭に呼ばれて振り返るということが多々あるような気がして、は一人微笑んでしまう。呼ぶことよりも郭に呼ばれることの方がどちらかといえば好きなにとって、それは嬉しい出来事だった。 「英士、いつから居たの?」 「今さっきだよ、来たのに声掛けないわけないでしょ」 「嘘、英士いつも見てるだけで何も言わないじゃん」 少しむくれたようにが言うと、郭は見てるの好きだからと何の悪怯れもなしに言った。 「何で俺の席に座ってるの?」 「・・・それを、言わせるんですか」 終業式の日に大掃除をしたばかりの、綺麗に整えられた教室を、整然と並ぶ机の合間を縫うように郭はの側にやってきた。満足そうに微笑んでいるように見えるけれど、は悔しいのでそのことについては触れなかった。前の席にと向かい合うように腰掛ける。窓際の生徒の勉強に影響が出ないように設計したのだろうか、日が高く昇っても教室内に日光が届くことはなく、外の世界がやけに眩しく感じられた。 「韓国、いつから行くの?」 ぶらぶらと、足を意味もなく揺らしながらは言った。 「今日」 ぴたりと思わず動きを止めた。 「はっ?え、ちょ、こんなとこに居ていいの!?」 「平気、夕方頃に家出れば間に合うから」 にこりと微笑みながらそう返されればさらに言葉を続けることなど出来なくて、は仕方なしに開けた口を閉じる羽目になった。仮にも国境を越えるというのになんでもないことのように言ってのける郭を尊敬半分呆れ半分で見上げると、その視線をどう受けとめたのか、頭を撫でられた。 「そういえば何で韓国行くの?旅行?結人くんに聞いたら本人に聞けって言うから」 郭が心底驚いたような顔をした。 そんなに変なことを聞いたっけ、は自分の質問を一字一句間違えずに復唱してみたけれど、おかしなところは一つも見つからなかった。しばらく沈黙が続いて、聞いてはいけないことを聞いてしまったのではないかとが不安になってきたころ、郭が長く息を吐いて、それから呟いた。 「知ってると思ってた」 何を?言わずに目でが言うと、郭は笑う。 「俺の母親、韓国人なんだよ」 ぽかんと。 口を開けたまま、は動きを止めてしまった。 別に日本語が不自由だとか、名前が変わっているとか、そう言ったわかりやすい違いがなかったから、そんなことはまったく予想していなくて、どう反応を返せばいいのかよくわからなかったのだ。韓国人と日本人に見た目の違いなんて無いに等しいし、大体そういうの関係なしに郭は美しいから、まあどうでもいいと言えばどうでもいいのだけれど。 「じゃあ、親戚の方に会いに行くんだ?」 「そう。毎年ね、年末年始は向こうで過ごすんだ」 「そうなんだ、素敵だね。英士は日本と韓国両方の文化を知ってるんだね」 黙ってるつもりはなかったんだけど、郭が困ったように苦笑した。「知らないことがいっぱいだね」、は深呼吸を一つした。恋人同士だからと言って全てを知っているわけではないし、全てを知る必要はないとは思っている。相手が知ってほしいと思ったことを、自分が知りたいと思ったことを少しずつ知っていけばそれでいい。 誕生日とか血液型とか好きなものとか。 「しばらくは電話とか出来ないんだね」 「そうだね、悪いけど」 「約束して、帰ってきたら一番に電話頂戴、ね?」 小指を絡めて約束する。 久しぶりにしたゆびきりに、なんだか照れてしまったのは、きっとだけだった。 |
written by 夜桜ココ 081230
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