吐く息が白くなってきた。 は冷えきった手を温めるために一つ呼吸をしてみたけれど、あまり意味は成さなかった。11月も終わりとなれば最高気温は15度を切るくらいまで下がり、冬が街全体を包むようになる。目の前を過ぎていく人たちの格好も一月前とは大分違い、モノクロカラーのコートが目立った。 がその背を壁に預けるようにして立っている東京メトロ半蔵門線の清澄白河駅はそれほど大きな駅ではない。電車到着後に人が流れるように改札を抜けていくだけで、それ以外の時間はぱらぱらと利用者が見られる程度だった。 少し早すぎたよね、そう思いつつため息を一つ吐く。待ち人との約束の時間まであと20分もあった。特にすることも見当たらなかったので来るときに電車の中で読んでいた文庫本の続きを読もうと鞄からそれを取り出した。 遡ること三日前。 すっかり必需品となってしまった、誕生日に友達からもらった青いギンガムチェックのブランケットに包まりながら、は換気のために開け放たれた窓から身を乗り出していた。その日の風は北東からの冷たい風で、正午過ぎとは言ってもそれは変わらなかった。それでも授業中に変に火照ってしまった頬を撫でていく風はむしろ気持ちが良く、はそこに10分ほど留まっていた。目を瞑って視界を閉じ、風と教室の喧騒だけを感じていたら、ふいに自分の名前を呼ばれてゆっくりと目を開けた。 「随分集中してたね。寒くないの?」 郭の、凛とした声が響く。 「・・・寒くは、ない、かな。ストーブで体温まってたし」 首だけを回すようには郭を振り返る。 窓側の前から3番目が郭の席で、彼はその自分の席に腰掛けて頬杖をつく形でを見て微笑んでいた。 「見てたなら、声かけてくれれば良かったのに」 「だから今、かけたでしょ。それまでは鑑賞会」 さらりとそんなことを言ってのけた郭にはどう反応を返せばいいのかわからなくて、結局また窓の外へと視線を戻してしまった。 2週間ぶりくらいに交わした会話を噛み締めるように愛おしみながらは言葉を一つ一つ慎重に選んでいく。いくらか言葉を交わしたところで、郭がふいに立ち上がっての隣へとやってきた。 どきりとしてが身構えたことなど、きっと彼にはわからなかっただろう。 「って、風景好き?」 「うん、好き」 短くがそう答えると、郭は満足気に微笑んで、 「明々後日、暇?」 2枚のチケットを取り出してそう言った。 結局文庫本に集中できなくて、は8ページほど読んだところで閉じてしまう。時計を確認するとまだ時間まで10分ちょっとあって、乱雑に鞄へ本をしまい込むと、再び改札口へと視線を向けた。また電車が到着したのか人が流れてくる。郭の性格からしてそろそろ来るかもしれないと思うと緊張して、思わず背筋を伸ばしてしまった。 そうして予想通り見知らぬ人に紛れて目に飛び込んで来たのは待ち人で、普段の制服姿とは違う私服姿でも彼をすぐに見つけることの出来た自分に一人勝手に満足した。 郭は改札を通る前にの存在に気付いたようだった。小走りに、改札口を抜ける。 「ごめん、待った?」 少しだけ焦ったような郭の声にはめずらしいなぁなんてどこか間抜けな考えを巡らしながら、「ううん、全然」とお決まりの返事をする。嘘ばっかり、と信じてはもらえなかったけれど。 下町のような雰囲気のある住宅街と商店街を二人並んで歩いていく。どこか落ち着いた雰囲気の場所なようだけれど、はっきり言ってにとってそんなのはどうでもいいことだった。学校の帰り道でもなんでもなく郭の隣を歩くのは久々すぎて、心臓がどくどくと波打っているのがわかる。このまましばらくこの状態が続くと考えると、どうも耐えられなさそうな気がしてきた。 は郭が好きだ。 それは、本人が一番自覚をしているし、多分郭にだってわかっていることなのではないかと思う。4月以降段々と仲がよくなってきたとは思っているものの、しかし郭が何を考えているのかいまいちわからない。嫌われてはいないだろうし、先月に至ってはむしろ好かれているんじゃないかとは少し思ったけれど、結局その後何も無く、現在まで至る。 は隣を歩く郭を見る。 今から行く美術展について何か説明をしているようだったけれど、の耳には入ってこなかった。相変わらずの綺麗な顔立ちに、ああやっぱりあたしは郭が好きだ、とは改めて思い直した。 言ってしまおうか、そんなことを思う。 今ならクラスメイトも部活仲間も郭のサッカー友達だっていない。2人しかいない空間に沿う簡単に巡りあえるとも思えない。 並木道で木漏れ日に当たる郭を見て、深呼吸を1つして、手を伸ばす、 「、だめだよ」 ふいに郭が振り向いて、その右手をの口元に当てた。名前を呼ぼうと開けた口を、どうにか閉じて言葉を飲み込んでからは戸惑ったように郭を見上げた。 郭にはどうやらの行動が読まれていたらしい。にしても、だめ、の意味がわからなくて、の思考は一気にスピードをあげていく。 やっぱり、迷惑だったということなのだろうか。 そう思っては思わず下を向く。郭に何を言われたわけでもないのに、自分でそう思っただけで涙がこみ上げそうになって慌てて瞬きをした。 「ちょっと、何考えてんのか知らないけど、下向かないでよ」 両頬に手を添えられて、結局また郭へと向き直させられた。にはそのまま彼の顔を直視することはできなくて、視線を泳がせてしまう。 じゃあ何がだめだったんだろう、再びが思考を巡らせ始めた時。 「それ、俺が言うべきでしょ」 落ちて来た言葉に、思考回路停止。 ゆっくりと、たっぷり5秒の間隔を開けてからは郭を見上げた。逆光でよく見えなかったけれど笑っているのだということだけはわかる。 まばらに通り過ぎて行く人々の視線も、側にある和風小物のお店の主人の視線も、普段のなら気にするところだけど、今はそれさえも気づかない。「どういう、」意味、と後に続けるつもりだったのに、何故か続けることはできなかった。 「が好きだよ」 もしもパリにある大きなホールでオペラを聞いたなら、こんな風に聞こえるのだろうか。はぼんやりとそんなことを思った。 体中に、声が響いていく。 郭の言葉を全身で受け止めて噛み締めて、それから理解して、 「あたし、も、英士、が、好き」 小さく呟いた言葉はぶつ切りで不恰好だったけれど、それでも郭は笑っての頭を撫でてくれた。ざわざわと、音が戻ってくる。照れてしまってどうも上手く郭と視線を合わせられない自分を彼はどう思っているのだろう、とは頭の隅でそんなことを考えた。 「、おいで」 差し出された手をおそるおそる握ると、郭はゆっくりと進み出す。 貴方が隣にいる。 世界が色を増したような錯覚。 こんなにも、綺麗。 |
written by 夜桜ココ 081204 |