「だーかーら! 何であたしがそんなことしないといけないのよ!」


 授業が終わり、ざわざわとした教室。あたしの上げた声は、どれだけの人に届いているのだろうか。まあ、別に不特定多数の人に呼び掛けているわけではなくて、目の前のたれ目な人に伝われば十分なのだけれど。机の上にどさりと乗せられたプリントの束を指さしてキッと睨みつける。向かいに座る水野は、あたしと同じように声を荒げるわけでもなく、椅子に姿勢良く腰かけたまま落ち着いた表情で淡々と返事を返してきた。


「しょうがないだろ、頼まれたんだから」
「引き受けたのは水野でしょ? あたしはそんなの引き受けた覚えないんだけど」
「も日直だろ?」
「知らない! あたしは黒板消しと日誌だけやります。そんな仕事は知りません」
「……お前なあ」


 はあ、と呆れたように溜息を吐く水野。そんな風にあからさまに溜息つかないでよ、と頬杖をついて言えば、水野は誰のせいだよ、とまた溜息を一つ落とす。そんな姿を見て眉を顰めてしまうあたしは決して悪くない、と思いたい。あたしが不機嫌な理由は簡単だ。日直という仕事の順番が回ってきただけでも面倒なのに、担任が忙しいからと理由をつけて、授業で使用する問題プリントの冊子を作るように頼んできたのだ。とはいえ、あたしが頼まれたわけではなくて、あたしがいない間に水野が頼まれて引き受けてしまったらしい。「日直2人ですれば早いだろう?」と有無を言わさない笑みと一緒に。中学で先輩に啖呵きって部長の座を奪ったらしい水野も、高校に入ってからは随分大人しく過ごしているようで、先生から頼まれた雑用を断れなかったのだろう。まあ、あたしがその場にいたとしても断れなかっただろうから、きっと結果は同じだっただろうけど。あたしだって、できることなら高校生活を穏便に過ごしたいのだ。下手なことを言って教師に目をつけられてしまったのでは、息が詰まってしまう。つまり、まとめてしまえばただのあたしの八当たりというわけで。伝えられない教師への文句を、目の前にいる水野にぶつけているわけだ。頭では分かっているけれど、言い始めてしまった言葉を簡単に取り消せるほど人間は素直にできてない。中にはそういう人もいるのかもしれないけれど、あたしはできない方に分類される人間だ。沸々と思いが高まっていく。その最中ふと上から影が落ちてきて、顔を上げてみれば少し顔を顰めてあたしを見る笠井が立っていた。


「、うるさいんだけど」
「……だ、だってさー、笠井! 水野が面倒事引き受けてきちゃったんだもん」
「こ、断れなかったんだよ」
「まあいいんじゃない。どうせ暇なんだろ」
「……笠井くん、それはあたしに喧嘩を売っているのかな。買うよ?」
「悪いけど、俺は竜也ほど優しくないし暇でもないから」


 エナメルを肩にかけて、部活に行く準備万端な笠井。あたしの言葉にも特に大きく反応を見せる素振りはない。まして、水野の方へと味方につきそうな勢いだ。あたしの方が付き合い長いじゃん! と思わず言ってしまいたくなったけれど、それを理由に笠井が考えを変えるとも思えない。中等部からの付き合いだけれど、こう掴みどころがないというかなんというか。悪い奴ではない、と信じたい。だけど、たまにあたしの扱いがひどい気がする。……たまにじゃなくて、いつも、かもしれないけど。だって、藤代と同じような扱いなんだもん。まあ、女の子扱いしてほしいってわけでもないんだけど。


「水野サッカー部員でしょ? 遅れちゃってもいいのかなーいいのかなー」
「え、何それ。ああもしかして全部日直引き受けてくれんの? ありがとう」


 やんわりと微笑まれて、言葉に詰まる。水野にも、ここにはいないけれどいつも笠井にくっついている藤代にも真似できない表情だろう。強豪と言われて名が知られているだけに、練習も厳しいサッカー部。練習が厳しいだけでなく、監督や先輩も厳しいらしい。そんなサッカー部への皮肉も込めて言葉を発した。けれど、それは笠井に打撃を与えることもなく華麗にかわされてしまったようだ。
 む、むかつく……! くそう、これじゃあ日直が水野と一緒でよかったと思うしかないじゃん。笠井となったら、ほんとに全部押しつけられちゃいそう。それでも何とか言葉を返そうと口を開いたけれど、それは水野の言葉によって遮られてしまった。


「笠井、悪いけど遅れるって言っといて」
「ん、わかった」

 返す笠井の言葉はあたしとの会話よりも随分穏やかで。この違いはなんだと文句を言ってしまいたくなるけれど。そのまま部活の話を始める2人の会話を遮ることは、あたしにはできなかった。水野も残念だったと思っているかもしれない。きっと、日直の仕事なんかよりサッカーをしたいのは、水野だ。特に放課後忙しいわけではないあたしなんかよりずっと。もし、一緒に日直なのがあたしでなかったとしたら、今頃は笠井と一緒に部活を行くことだってできただろう。「水野くん、サッカー頑張ってね!」なんて、いかにも女の子というような振る舞いをして送り出してくれたかもしれない。まあ、水野がその厚意を素直に受け取って部活に行くのかどうかはまた別問題だけれど。水野は不器用、だと思う。まだ数か月しか同じ時間を過ごしてはいないけれど、水野はあんまり人に頼みごとをするのは得意ではないようだ。よくわからないけれど、少なくともあたしにはそう見えた。
 ……過ごした期間が短いのだから当然と言えば当然なのだけど、あたしってまだあんまり水野のこと知らないんだよなあ、とぼんやりと考える。クラスメイトと言ったって、教室でしか顔を合わせることはないし、部活も違う。正直言って水野との接点なんて全然ないのだ。けれど、何だかんだよく会話する方ではあると思う。どうして、だろうか。うーん、と頭を働かせてもこれといって納得のいく答えは出てこない。そんなゴールの見えない問題を考えていると、今の今まで水野と話をしていた笠井がくるりとあたしの方へと顔を向けた。



「じゃあ、俺行くけど。、なるべく早く竜也返してよ」
「な! あたしが引き止めてるわけじゃないでしょ!」


 そう叫んだあたしの言葉虚しく、笠井はひらひらと手を振って教室を出て行った。そんな間にも、クラスメイトは続々とそれぞれの放課後を堪能しに教室を後にしてしまったようで、随分と教室の人数は減っていた。視線を正面へと向けてみると、静かに日誌に文字を綴っている水野がいて。容姿も、書く文字もすごく綺麗だ。あたしが、丁寧に丁寧に書いたとしても決して真似できないような、そんな文字。書かれる文字を追って、その文を眺めていると突然ぴたりと水野の動く手が止まった。不思議に思って顔を上げると、水野と目が合って。あたしはそんなに気にしないのだけど、水野は気まずそうに視線を下げて、目をそらす。

「あのさ……」
「え、何?」
「悪かった、な」
「……何が?」

 話がつかめなくて、聞き返す。頭いいんだから主語述語ちゃんと使って話せばいいのに。返事を待っていると、わずかに間を空けて水野が答えた。


「面倒なこと引き受けて、巻き込んで」
「……いいよ、別に。ちょっと誰かに文句言いたかっただけだから」
「でも、」


 面倒事、という言葉が指すのは、担任が頼んだ雑用の件だろう。最初は本当に文句でいっぱいだったのだけれど、時間が経つにつれてそれも少しずつ納まって落ち着いている。そんな心境だから余計に、なのかもしれないけれど、水野が本当にすまなそうに話すから、何だかこっちが悪いことをしたような気分になってしまう。あたしの八当たり、で片付けてしまうことに関して少し腑に落ちない点はあるけれど、水野が申し訳なく思う必要もないわけで。誰が悪いかと言えば、仕事を押し付けた担任が悪いのだ。けれど、何を言ったとしても水野の反応は変わらなそうだ。不器用な上に、真面目な水野。こんなに器用貧乏という言葉は似合う人はいないのかもしれない。運動も勉強も一通りできるのに、人と付き合うのは下手で。そんな水野に目を向けたままくすり、と笑みを浮かべる。


「じゃあ、今度水野になんか奢ってもらおうかな」
「は?」
「だーって、どうしても何かお詫びをしたいみたいだし?」
「べ、別にそんなこと言ってないだろ!」
「ほらほら、早く始めないと終わんないよー」


 重ねられたプリントの束に手を伸ばして、冊子作りを始めようか。自分の言葉に耳を貸さないあたしに戸惑っているのか、水野は何かを言いたそうにしながらも、続いて言葉は出てこない。まあ、何かを言ったからといって作業を止めるわけではないけれど。口元に弧を描きながら、重ねたプリントをホッチキスで留めた。まだまだ終わりは見えてこないけれど、言葉を交わしながらすればあっという間だろう。せっかくの機会だから、色々尋ねてみようか、なんて思いを巡らせて。藤代や笠井のことを聞きだして、それをネタに二人をからかうのも面白いかもしれない、なんて。口には出さずに、思考だけを働かせて、プリントを重ねては留めるという作業を繰り返す。それを数回眺めていた水野は、再び日誌を書くことを始めたようだ。少しだけ視線を向けてみれば、先ほどよりも急いで書いているようにも見えて。文字が丁寧だけれど、走り書きのようになっている。もしかしたら、あたし一人で冊子作りをしていることに罪悪感を感じているのかもしれない。どこまでも、律儀な奴だなあ。とりあえず、話を始めるのは水野が日誌書き終わるのを待ってからにしよう。それまでは、この山のように重ねられたプリントの片付けに専念しようか。うん、そうしよう。一人頷いて、またプリントの山へと手を伸ばした。




 ティータイムを始めましょうか
(お前、ちゃんと角そろえろよ)(うるさいな、やってるでしょ)(ほら、ずれてる)(ああもう!)







星羅さんからいただきましたありがとうございます!