此れが譬え覬覦なのだとしても。
それでも、今はただ。


ラトリアム


冬が近づいていた。
空は日々果てしなく高くなっていき、透明度が増してくる。
下がった気温に応じて、鋭さを増す風。
その癖に太陽の光は慈悲を振りまいているといわんばかりに柔らかい。
落ち葉は巻き上げられ、赤や黄色が校庭に渦を描く。
景色は確かに移ろい時間は過ぎていく。
それでも変わらないものがあった。
春も秋も夏も、学年が変わってクラスが動いても。
それは、昼休みに屋上で食べる、昼食の習慣だ。

終業のチャイムが鳴り終わり喧騒の広がる校内。
委員会の仕事を片付け、机の中に乱雑に仕舞うと、机の横にかけておいたコンビニの袋を掴み、廊下に出る。
喧騒を抜け階段を上るごとにそれらからは遠のいていく。
屋上の厚い鋼鉄の扉を開け放てば、冷たい空気が顔を打ち付けた。
冬だからというのもあるだろう、閑散とした屋上。
タイルの隙間からはところどころ草が申し訳程度に生えていて、しかしそれらも総じて枯れかかっている。
そこに、いるのは、彼、一人。
灰色の髪。
華奢な体躯をしているが均整の取れた身体。
その身体に無駄なく筋肉が付いていることも知っている。
それは、「現実」のための手段ということも。
知っていた。

「あれ、ツナは?」
「十代目なら用事があって今日はいらっしゃらねえ」
「ふうん」

彼からそう離れていない所に座り、足を投げ出す。
フェンスに凭れかかり、もって来たパンの袋を破り、頬張る。
ゆっくりと焼きそばパンを咀嚼しながら、空を仰いだ。
頭上を鳥が飛んでいった気がした、その青い空は雲ひとつなく晴れている。
多分、これを「平和」と、そして「日常」とそう呼ぶのだろう。
痛みも、恐怖もない、ただ過ぎる時間。
途方もなく退屈で、それでも尊いその時間。

「そういや、もう、眼は良いのかよ」

早々に食べ終わったらしい、彼は背中を向けたままそう話しかける。
手元にはあの物騒な爆弾があり、それを彼は丁寧に並べていった。
その慣れた手付きを見て、彼はいつから「あちら側」にいるのだろうと、ふと思った。
眼を瞬いてみ、前と同じ景色が見えていることを、確かめる。
同じ空が、同じ屋上が、同じ学校があることを確かめる。
そして同じ背中が今眼の前に、この眼に映ることを、その範囲にいることを確かめた。
それはもう何度も何度も確かめたことだったが、何度確かめても足りない。

彼の不在をこんなにも恐れる自分に自嘲し、それを誤魔化すように牛乳のパックを開ける。
少し温くなったそれを喉に流し込みながら、飲み込む。

「あ〜うん、もう治った」
「そうかよ」

興味を失ったように、彼はまた手元の作業に没頭する。
一つ一つ丁寧に磨き上げられていくそれに、使う時は一瞬の癖に、と思う。
「忠誠心」
それに虜になる彼の後姿をなんとも無しに眺める。
その髪が、染まった夜を。
その指先が、汚れた夜を。
重なる姿に、恐怖を覚え、強く眼を閉じた。

と、彼が思い出したように付け加える。

「でもお前、次からは気を付けろよ、眼、潰されたら話になんねぇだろうが」
「うん?」
「十代目の足引っ張ってみろ、俺が殺してやる」

彼の鬼気迫った、腹から出したような低い声。
その語気の強さと、そして「現実」に、気が遠くなる。
しかしそれを笑みで消し、軽く笑って見せた。

「次?」

本当は。

「あ?」

判っていた。

「次なんてあんのかよ?」

この手で人を傷つけた。
眼が翳むほどの痛みも味わった。
眼が見えなく恐怖も、感じた。
薄く残る傷跡も、幻ではなく其処に。
目の前で人が死ぬのを見た。
夥しい血が、足元を、服を、顔を濡らすのも。

はっきりとした現実にある世界をまざまざと眼前に突きつけられても。


それでもただ。


「遊びだろ」


嘘を吐く。
眼を瞑る。
耳を塞ぐ。
口を閉ざす。
そう此れはただのゲームだと。
この世界はただの幻想だと。
嘯いて。

それでも。

「てめ・・・っ」

彼の目に捕捉されぬように、彼が振り向くその前に、背中から腕を回す。
見られるわけにはいかなかった。
いつものように、吐いたはずの言葉に、いつものような笑みを貼り付けられなかった、とても歪な表情を。
足があたり、まだ中身が残っていた牛乳パックが倒れる。
中身が屋上のタイルに沿って線を、幾何学模様を描く。
その隣に、自分の腕が同時に捕捉した彼の腕の先、手の中にあった彼の「武器」が。
静かに落ちる。
現実の象徴。
それから眼を逸らすように彼の肩口に顔を埋めた。
彼が抵抗するのを手の中に感じ、一層に力を込める。
彼の少し長い髪が、頬をくすぐった。
鼻になれた彼のタバコの匂いがする。
焦燥と、安堵で、脳の奥が小さく軋む音がした、気がした。

真剣の切っ先が眼の奥で閃く。
彼のタバコの匂いの向こうに生臭い血の匂いがある。
飲んだ牛乳の味の向こうに鉄の味がする。

「・・・んだよ」
「なんでもねーよ」

言葉の切実さに、彼が一瞬息を呑むのがわかった。
そして、一拍遅れて、わざとらしく吐き出されたため息に、彼の不器用な優しさを、見る。
もう抵抗する気もないのだろう、彼は手を落とし、体重を此方に掛けてきた。

支払猶予。
選択猶予。

認めたら選ばなくてはいけない。
あの、殺戮と暴力と血の匂いに満ちた世界か。
いま、自分が抱いている夢に続く世界か。
「友達」の、いる世界か。
「仲間」の、いる世界か。
「平和」が生きていることに変わる世界か。
「日常」が「平和」な世界か。
「日常」が「生死」に変わる世界か。

なにより彼の有無を。


だから。
今は。
許される今だけは。



「獄寺・・・」



嘘を重ねて。
現実を幻想に摩り替えて。



「遊びだろ・・・?」



ただ。








彼の隣に。




end…。


***********
お粗末さまでした。
桜が特に指定しなかったので勝手に私の妄想で書かせていただきました。笑
山本さんの天然はこういう理由だったら面白いなって言う・・・妄想でした。
どうもすいません。
また踏んでくださったら書くので、遠慮なくドウゾ!!

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