いつも不思議に思っていた。










ころ










「食べてみたい」

唐突に、本当になんの前触れもなく、柳生の目の前で日誌を書いている少女は言った。あまりにも急すぎたために、返事をし損なった柳生は怪訝そうに顔を上げた。

「食べてみたい」

もう一度、はっきりと少女は言う。
わけのわからないことを述べる彼女を正直放っておいてしまいたかったが、目の前で言われてしまってはそうもいかない。

「・・・何を?」

無難な返答で聞いてみた。

「人を」

無難ではない答えが返ってきた。

「ああ、ごめん間違えた、人のこころを」
「それも十分間違いだと思いますけどね」

今度は少しの間もなく切り返す。柳生の答えが不満だったらしい少女は、えー、と可愛くない声を出した。

「なんでよ、柳生も思うでしょ?」
「思いません思いたくもありません」

馬鹿なこと言ってないでさっさと日誌書いてください、びしっと少女の前に広げられたほぼ白紙状態の学級日誌を指差す。書かれているのは柳生・という名前と天気だけ。

「柳生は夢がないなァ。そんなんだから彼女ができないんだよこのエセ紳士めが」
こそそんな変な誰も理解できないような夢持っているから彼氏ができないんですよ」
「うわ、うちら二人とも独り身じゃん!じゃあ付き合おうか」
「お断わりします」

だらだらと続くくだらない会話に終止符を打つように柳生はざくりと切り捨てると、一向に進まない日誌を奪い取って、今日の時間割りを書き込み始めた。
教室に残っているのは柳生と少女―を含めた数人だけで、閑散とした、少し淋しい空気が漂っている。夏休みが終って既に一ヵ月以上経っており、ほとんどの人たちが最後の大会を終えて部活動を引退していた。とは言っても、たちが通う立海大付属は、そのままエスカレーター式に上に上がることができるので、引退後もなんとなく部活に顔を出す者が多い。そうじゃない人たちも、さっさと帰ってしまうため、放課後の教室はいつもすぐにがらがらになってしまうのだ。
柳生が日誌を書き、が花瓶の水を取り替えている間にも(ちなみに花瓶の水替えは日直の仕事ではない)、ぽつりぽつりと人が消え、気が付けば柳生との二人だけになっていた。
日誌を全て書き終えた柳生は、辺りをぐるりと見渡した。机の上に、見慣れたテニスバッグが一つ。ということはまだこのバッグの持ち主は帰っていないと言うわけで。
窓に近づいて下方に広がる緑のコートを見下ろすと、案の定そこには同じクラスで、あのカバンの持ち主である真田弦一郎が顧問と何か話しているのが目に入った。

「柳生ー日誌書いてくれたぁー?って何見てんの?」

ひょいとが柳生の隣から顔を出す。彼の視線の先にある人影に、真田じゃん、と少し驚いたように声を上げた。

「めっずらしー・・・ジャージじゃないじゃん。今日は帰るのかなぁ?」

制服姿で顧問と話をしている真田に、は不思議そうに首をかしげながらそう言う。別に毎日部活に顔を出してるわけじゃないですよ、と呆れ声で言うと、はふうん、と小さく呟いた。
日誌をさっさと提出してしまおうと柳生が教室から出ていこうとすると、無言でもついてきた。

「書いていただきましたから、お持ちいたしますよ。手ぶらでついてきてください」
「・・・代わりに持っていきますとか言えないんですか」
「紳士はそこで自分が持っていきますのでどうぞ休んでてくださいとか言うべきです」
「じゃあ後はまかせましたから」
「え!ちょっとそれ無理だから待ってついてきて!」

必死にそういうがなんだかおかしくて柳生は苦笑しながら、結局ついていってしまう。つくづく、この少女に弱いなぁ、と思わず笑みが出た。

は元立海大付属中男子テニス部のマネージャーだ。見た目も全然体育会系ではないし、性格も恐ろしいほどテキトーなので、ほとんどの人間が、彼女に全国レベルの男子テニス部のマネージャーなんてできているのだろうかと疑問に思っているに違いない。
しかし、実際はマネージャーとして、これほど最適な人はいないんじゃないかと思うほど、彼女の働きぶりには目を見張るものがあった。

少年漫画にありがちな可愛らしいマネージャーとは程遠かったため、始めは不満を言っていたテニス部員も引退時には、がいなければやっていけなかったよな、などと言っていた。ちなみに彼女の名誉のために言っておくと、欠けていた可愛らしさとは容姿の話ではなく、雰囲気の話だ。

いつのまにか差が開いていたらしい。
職員室の扉の前で柳生を待つの元へ彼は少し足早に歩いていく。













「あれ?幸村だ」

学級日誌を担任に届け、教室に戻ってきたは、中にいる意外な人物に驚きの表情を見せた。続いてやってきた柳生も教室を覗き込んで少しだけ目を見開く。

「やあ」

読んでいる本から目を離さずに幸村は短く挨拶した。
相変わらずこの人は悠然と自分を確立させる男だなぁ、とは関心半分、呆れ半分にそう思う。悪く言えば自己中心的とも言えるのに、それでいて、ちっとも腹が立たないのだから不思議だ。
太陽の沈んでいく方向から、オレンジ色の西日が入り込む。それに背を向ける形で幸村は本を読んでいる。光があたるせいで輪郭がぼやけ、一見すればまるで薄幸の佳人のように見えるのに、

「――久しぶりだね、

顔を上げてそういう彼には、微塵もその面影は残っていない。こういう所に引かれて、彼の周りには強さを求める猛者たちが集まるのかとはよく思っていた。

「・・・久しぶり。何してんの?」

と柳生は怪訝そうな顔をして彼に近づいていく。

「真田を待っているんだよ。今日、ちょっと用事があってね」

ぺらり、雑誌のページを一枚めくって彼は言う。
用事?とが聞き返すと、すぐ読みおわるから待って、と返される。と柳生は顔を見合わせて肩を竦めた。

「あー、お腹空いた。柳生なんか持ってない?」
「ポッキーならありますが」
「うわっ似合わなっ!!」
「・・・・・・」

まさかそんなものが目の前の柳生比呂士の口から出てくるとは思わなかった。不意打ちをくらって、、200のダメージ。

「いらないなら出しませんけど」
「あぁー嘘です嘘です大好きですポッキー!」

そうだよねポッキーには罪はないよね、とやたらと首を縦に振りながらは一人納得したように呟いた。柳生に差し出された赤い箱を受け取り、乱暴に開ける。
開けた口からチョコレートの匂いがふわりと漂う。改めて、似合わないと思った。口には出さないけれど。

「・・・やっぱ食べてみたいわ」

ぽきりと食べかけのチョコレート菓子を歯と右手で二つに折りながらは言う。柳生は一瞬、思考が停止しかけたが、すぐに先程のこころ云々の話をしているのだと思い当たった。しかし面倒なので放置しておく。

「何を?」

柳生の思いを知る由もない幸村が、読み終えたらしい雑誌をカバンに詰めながらの言葉に反応した。
幸村から返事が来るとは思ってなかったは咄嗟に反応ができず、少し間をおいて返事をする。

「ん、人のこころを」

目の前で柳生があからさまにため息をつく。は、む、とした表情を見せたが、すぐに幸村の方へ向き直った。

「それはあれかな?」

にこりと微笑みながら幸村は言う。

「国民的アニメの青狸が使うインチキ道具と同じ感覚なのかな?暗記パン的な」

さらりと毒を吐かれた。

「・・・うん、まぁ確かに暗記パンの回をこの間見て思いついたんだけど。だからってその言い方はどうかと思うんだ。その綺麗な笑顔で今の言葉は最悪だよ」
「仕方ないだろ。俺はあのアニメが大嫌いなんだから」

そういう問題じゃないと思うんですけど。
そう内心思うものの、何故か言い返せない。勝手なことを言って勝手にポッキーを拝借する彼をはどうすることもできずにまじまじと見つめていた。

「まあ、確かにあれはインチキくさいですが」
「黙れインチキ眼鏡」
「・・・・・・・・・。」

食い付くポイントを間違えた柳生の言葉を一蹴する。幸村がおかしそうにくすくすと笑った。
そういえば俺じゃがりこ持ってるよ食べる?
がさがさと音を立ててカバンの中から両手で包むには少し大きいくらいのそれを取り出した。は無言でそれを受け取ってポッキーの横に開けて置く。

「で?何でそんなこと思ったの?」

まだまだ色々あるんだった、言いながら幸村はさらにカバンからプリッツを取り出す。

「んー、なんていうか、この3年間で、まったく少しもほんのちょっとだって理解できなかった人がいるから」

じゃがりこに手を延ばす。まだチョコレートの残っている口内にチーズの味が広がって、不思議な味になった。

「へえ。まったく?それは大変だね」

続いて幸村はカラムーチョを取り出して、柳生に渡す。彼は眉をかすかに上げてからそれを受け取り袋を開けた。

「でしょ?某幸村くんとか某柳生くんとか某幸村くんとか?どうでもいいけど何で棒状のものばっかなの?」
「食べやすいから。っていうか俺?心配しなくても俺ものことなんてこれっぽっちも理解してないから」

そもそもなんでこんなにお菓子が出てくるんだろう、はプリッツに手を伸ばしながら考えていた。受験生としてお菓子を持っていたっておかしくないと言えば確かにそうだが、そもそもこの男はそのまま立海の高等部に上がるはずだ。
それにしても、幸村精市と言う男のカバンから、こうもたくさん菓子類が出てくるというのは、正直以外過ぎてできればこんな光景は見たくなかった。
怖いので言わないけれど。

「っつか柳生、何帰ろうとしてんの」

いつのまにやら帰り支度を終え、この間クラスの男子がふざけて体当たりしたせいで立て付けの悪くなった教室のドアに手をかけていた柳生に向かっては声をかけた。くるりと振り返った柳生は、何言ってんですか、とでも言いた気な顔でを見る。

「日直の仕事は終わったでしょう?帰って何がいけないんですか」
「わあ、ひどい!柳生も一緒にお菓子食べつつ雑談しようよ!なんか部活引退した生徒っぽいじゃん」
「どこがですか」

放課後教室でゆっくりしてる所が、そう言ってぽんぽんと自分の隣の席を叩く。木で出来たそれは、綺麗な音を出した。柳生がため息をついて顔を上げた時にはもう、は幸村との会話を開始していた。柳生が戻ってくるものと思っているらしい。
相変わらずだなと思いながらも椅子に向かって歩を進める自分自身も、人のことを言えた義理ではないかと柳生はもう一度ため息をついた。

「あ、でもさ、食べてる時って比較的心が通じあってるなー、て思わない?」

席についた柳生を無視して、会話は続けられていく。
話題は以前として変わっていないらしい。

「そう?じゃあ今は俺たちと心が通じてるなとか思ってるわけ?」

幸村が柳生にポッキーを差し出した。
これあなたのじゃないですけど、と思いつつも、反論するのも面倒なので柳生は黙ってそれを受け取る。

「うーん、言い方がまずかったかな。食事してる時って大体皆穏やかじゃん?だから、なんていうかよくしゃべるっつーかなんていうか」
「まあ、確かにそうですけど」
「でしょ?だから好きなんだー人と食べるの」

そう言うとはプリッツを同時に三本右手で掴んだ。
そんな一気に取らなくても減らないよ、とあきれ顔で幸村が笑う。柳生も隣で苦笑した。三本同時が一番おいしいんだよ、とふてくされた顔では言うと、空いている方の左手でそれぞれに右手のプリッツと同じ本数分を二人に渡す。

「でもさー、だからっていつも食べてるわけにいかないから、人のこころをぱくっと食べて覗けてしまえば楽なのにって思ったんだよ」
「俺はそんなこと思ったこともないけどね。他人の心なんて正直どうでもいいし」
「大体、そんな簡単に知っていいものじゃないでしょう」
「そーなんだけどさ、せめてどんな気分なのか知りたくない?幸村とか一緒に笑ってたってほんとに楽しいのかなって思っちゃうもん」

そう言うに、幸村は一瞬ぴくりと反応した。そんなことを思っていたのかと少し驚いたからだ。
心配しなくても興味ない話題はスルーだから、オレンジ色をした小さなスナック菓子を摘み上げながらそんなことを言う。
わかってるんだけどさ、大きな口を開けてじゃがりこを頂戴し、気管支に入ってむせたに、柳生は素早く水を渡した。しばらくゴホゴホとむせた後にその水を一気に飲み干した。
うあー、と可愛くない声を出しては机の上の元凶となった物体を睨みつける。
そよそよと窓から風が入って彼女の髪を後ろになびかせ、なんだか間抜けな光景だった。

その時。

「・・・・・・・・・・・・・・3人?」

低い声でそう聞こえてきた。
3人同時に振り返る。

「あー、真田」

やる気のない声でそう言ったのはもちろんで。
続いて柳生が頭を下げた。

「ちょうどよかった。帰ろうか」

幸村がそう言って立ち上がる。
何がちょうどいいんですか、と柳生は眼鏡を人差し指でくいとあげながら幸村と真田を交互に見た。



柳生の質問には答えずに幸村は言う。

「あい」

でろりとした動きでは視線を真田から幸村へと動かした。

「食べてる時はこころが通じてるんだろ?何でちょうどいいか、あててごらん」

にこりと邪気の含んだ笑顔で彼は言う。
は、んー、と気の無い返事をしてからこう言った。

「唯一甘いお菓子であるポッキーが無くなったのでそろそろ帰りたいと思っている」
「正解。余りは捨てるなりなんなり好きにしていいよ」

カバンは右肩にかけて幸村は椅子から立ち上がった。
真田1人が状況についていけていない。ぽかんとした顔で突っ立ったままの姿勢である彼がおかしくて、と柳生はくすくすと笑った。

「あ、そうだ」

教室から出掛かった幸村が思い出したようにそう言うとくるりとへ振り返った。
じゃがりこを頂戴しようと机に手を伸ばしていたはその姿勢のまま静止する。

「何?」






「こころなんて、わからなくていいと思うよ。そうじゃなかったら、、俺から離れて行くだろ?」






不敵に笑う彼を見て。

「・・・・・・・・・・・・・・・そうだね」

はそう答えるのが精一杯だった。
ひらひらと左手を振りながら今度こそ彼は夕日に染まった教室から去っていく。
柳生がの隣で、じゃなくたって離れて行きかねないですけどね、と小さく言った。

「・・・・やっぱ訂正。一緒に食べてもあいつだけはわかんないわ」
「わかってもどうかと思いますけどね」


END
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幸村は常に上に立つ人間で、何考えてるのかわからなければいいと思いました。

花よりだんご様提出作品。ありがとうございました!

07年06月29日 夜桜ココ


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