青白く月に照らされた君はまるで水面に咲く睡蓮のようだった。

何を伝えようとしていたのか、今となってはわからないけれど。

紡ぎだされた言葉はおろか、その時の君の唇の動きさえ覚えていない。










タースイート










「もう精市には会えない。」

突然そんなことを告げられた。
正直、別に彼女とは付き合っていたわけでもないし、一体何が言いたいのか、理解に苦しんだ。
彼の感覚が常人と同じであるならば、告げられた言葉の意味は、別れよう、という恋人同士で生まれる言葉であるはずで。

まったく持って理解のできなかった少年は目の前の少女に対して、

「は?」

という間抜けな一文字しか返せなかった。
かなり失礼な返事だったはずなのに、少女は悲しそうに小さく笑ってごめんね、とさらに言った。
いよいよ機能を停止し始めた脳を最低限の所で稼働させて理解しようと少年は試みた。しかしどんなに頑張っても彼に少女を理解することはできなかった。何言ってんの、そう顔に表してみても少女はやはり同じ顔で笑っているだけ。

「あたしは精市が好きだよ?だからもう会えない。」

不意打たれた、突然の告白と、二度目となる別れの言葉。はぁ?と先程より少し語尾を伸ばして少年が言えば、少女はくすくすと笑った。悲しそうな顔のまま。
じゃぁ、そう言って少女はくるりと踵を返して少年に背を向け、その場から去って行く。

「っ――!!」

名前を呼ばれて振り返った少女が何かを言った。
わからなかったけれど。











リリリリリリ!聞き慣れた電子音で幸村精市は珍しく目を覚ました。最近では聞き慣れたせいなのか、この、一個目の目覚ましで目を覚ますことはほとんどない。
上についた、赤いスイッチを切って音を止める。途端に訪れた静寂に、何となく嫌な印象を受け、急いでカーテンを開けた。

―懐かしい夢だ・・・。―

寝起きの割に頭はやけにはっきりと冴えている。太陽の光に反射して、机の上の写真立てがきらりと輝いた。
眩しそうに目を細めて幸村はそれをそっと手に取る。

―目が覚めたのは、あいつの夢を見たからかな。―

つ、と写真の中で笑う少女をなぞる。

―・・・俺には、1番のもの以外のものの守り方なんて、わからない。―


―今、笑ってる?。―










幸村精市とはいわゆる幼なじみというものだった。
ただ単に家が近かったから、幼いころから一緒に過ごしてきたという、ただそれだけのこと。
補足しておくと、の方が幸村よりも一つ年下で、彼は妹のようにを可愛がってきた。
中学が立海大付属に決まった時も、誰よりも先にに報告をした。

口に出したことはなかったけれど、可愛くて大切で誰よりも心愛しい、幼なじみだった。
は中学は幸村とは違う私立に進学した。だから当然、会える時間はぐっと減る。さらに幸か不幸か幸村ももお互い運動部期待の星だった。帰宅するころには頭上に綺麗な星がまたたいていて、もれなく小学生は就寝しようという時間帯。
それでもとにかく、土日にには必ずなんとなくどちらかがどちらかの家を訪ねていたし、夕飯にちゃっかりお邪魔するなんで日常茶飯事だった。

二人の間を言い表わせるような言葉はない。
一番近い言葉は兄妹、なのかもしれない。

幸村精市にとっては絶対不可欠の存在だったし、にとって幸村精市は絶対不可欠の存在だった。

お互いで確かめ合う必要なんてどこにもないくらい明白なことだ。
決して幸村が思い上がっていたわけではなかったのに。


半年前、会えない、と宣言された。


そして言葉通り、家が近いというのに二人はその後、一度も会っていない。


あの時はちょうど、全国予選の地区大会が始まろうとしていた頃だった。










「精市、明日、空いてる?」

突然金曜日の夜十時に、は何の前触れもなく幸村家にやってきた。幸村母と軽く話し込んだ後に幼なじみの部屋へと向かう。
コンコン、と控えめなノック音が部屋に響き、続いてガチャリとドアが開いた。

?久しぶり。」

にこりと笑顔で幸村はへ振り返る。ベッドの上には使い古されたテニス道具が無造作に散らばっていた。
学校の話や昨日見たくだらないバラエティ番組など、他愛もない話をした後に、は幸村に明日の予定を、本当に軽い感じで訪ねてきた。んー、と幸村は首を右に傾げながらそれに答える。

「明日?うーん、練習がいつ終わるかわかんないけど用があんなら急いで帰ってくるよ。」

のためにと頭をくしゃくしゃと撫でまわす。
セットがくずれるー!とが叫べば、いいじゃんどうせもう今日は俺以外と会わないだろ?と幸村は笑った。

「あ、むしろ、今は?明日ほんと何時になるかわかんないよ?」
「ダーメ。とにかく明日。何時になってもいいから。」

そう言われてしまえば他に返せる言葉もない。多少の疑問を残しながら幸村は、わかった、とそう答えた。











今、思い返してみても、あの時のにおかしな所は何もなかったと思う。あえて言うなら次の日にこだわった所が不自然といえば不自然だが、そこまで気にするようなことでもない。
だから幸村は驚いた。まさか会えないと言われるとは思ってもみなかったのだ。
納得がいかなくて、彼は何度もに会おうと試みたが、会えなかった。会えない、と言われたのに家に行くのは憚られて、部屋からの帰ってくるタイミングを見計らってみたりしたが上手くいかなかった。
仕方がないので手紙を書く、なんていう古典的な手段に出てみたりもしたが一ヵ月以上経っても返事は来ない。こんなことするなんて自分らしくないな、なんて冷静に思いながらも毎日ポストを開ける。しかし、入っているのは望まないものばかり。
幸村も諦め始めた時だった。

真っ白な封筒がポストに投函されていた。

今でもその手紙を見ると、喜びと、驚きと、それからこれが本当に最後かもしれないという不安とが入り交じった、変な気持ちが込み上げてきたのを思い出す。机の引き出しから手紙を久しぶりに取り出して、そっと開いた。










精市へ

これが最初で最後の手紙です。
確かにあんな風に言っただけじゃぁ、納得なんかいかないよね。
だけど私はあれしか言うことができません。
理由を言ったらきっと精市は怒るから。
でも間違えないで。精市が悪いわけじゃない。全て私の我儘なの。

私は精市が大好きだよ。

精市も私が大好きでしょう?

だから、もう、会えません。

あえて理由を言うのなら、欲張りな私に耐えられないから。
私は、精市に一番好きなことを思いっきりやって欲しい、そう思っていたいの。
そう思える自分でいたいの。

我儘言ってごめんなさい。
ありがとう。











読んだ当時は本当にが何を言いたいのかわからなくて、ひたすら悩んだ記憶がある。もういっそ家に押し掛けてしまおうかとも思った。けれど、それはできなかった。何故かはわからない。何かが壊れてしまう気がした。

ショックだった。

わからなかった。

だけど。

―今なら、その意味が少しだけならわかる気がするよ。―

今更わかったところで、どうにかなることでもないけれど。

目覚まし時計とはまた違う聞き慣れた電子音が鳴り響き、新着メールが届いたことを告げる。病院内でのメールは禁止だと何度も看護婦に注意を受けたが彼は決して携帯電話を手放さなかった。彼にとって名前も知らない他人なんてどうでもいいという思いもあったのかもしれない。
けれど。

『次は決勝だよん♪元気かー?』

差出人を見なくてもすぐにわかった。風船ガムを膨らませる赤毛の同級生が目に浮かぶ。元気じゃないと答えたらどうなるんだろう、そんなことを考えてメールを作成しかけて削除した。

また、メール。

あぁ、せめてマナーモードにしよう。

『まあわかりきったことだとは思うが、次は決勝だ。幸村がいなくとも俺たちは勝つ。』

副部長か、と面倒くさそうに呟いた。
こんな、まるで部長はいらない、とでも取れそうな文体。もちろんそんな意味があるわけではないことくらい、幸村にもわかっている。
ぱたむ、と携帯を閉じて引き出しにしまった。どうせまだしばらくはメールラッシュが続くだろう。





―私は、精市に一番好きなことを思いっきりやって欲しい、そう思っていたいの。そう思える自分でいたいの。―





ソウ思エル自分デイタイノ。





何度も何度も、反芻する。何度も。

四角く切り取った青空を、幸村は見上げた。

彼らの晴舞台に相応しい、綺麗な青。

毎回毎回、勝ち進む毎にメールをくれる部活仲間。
試合前にも、短い文でメールをくれる。


―俺のことなんか、気に掛けなくていいのに。―


最近では、返信をするのも億劫になっていた。面倒くさい。
別に彼らだって、幸村からの返信を心待ちにしているとはとても思えないから、別に返信を返さなくたって、何の問題もないと言えばそれまでだ。





ソウ思エル自分デイタイノ。





は強いな。

そう思って、幸村は小さく笑う。

勝ち進んで欲しい。
この気持ちに偽りはないし、この先だってそうだろう。
だけど。





その未来図に、自分はどこから入ることができるのだろう。





いなくなるつもりなんてない。
部員たちだって、幸村精市という男の席を空けて待っている。
だけど。


明日、彼らの元に戻っても、歩んだ道は彼らと違う。

勝ち進み、前を見る。

その中で、自分は笑えない。


―何で、俺なんだろう。―





何で何で何で何で何で何で何で何デ何デ何デ何デ何デナンデナンデナンデナンデナンデナンデ、









アイツラト俺ノ何ガ違ッタ?










「・・・・最悪。」

黒く、確実に大きくなる感情。

いらない。

入院したばかりの頃みたいに、自分のことを応援してくれる彼らに、素直に応えて笑える自分のままでいたかった。
治らない病気じゃない。
彼らの元に戻れないわけじゃない。
わかっているし、知っている。
彼らの勝利を喜んでいたい。
そう思いたい。





そう思える自分でいたい。

『そう思える自分でいたいの。』





も、こんな風に、どろどろした自分と戦ったんだろうか?
何を思った?





「俺に、テニスに専念して欲しかったのか、。」





きっと心優しい彼女のことだから、幸村がテニスで忙しい合間に自分に会いに来てくれることがつらかったのだろう。
テニスを優先して、自分のことなんか気に掛けないで欲しいと思ったんだろう。
思っていたかったのだろう。
だけど。





きっとはそれ以上を望んでしまいそうになった。





テニスよりも自分を選んで欲しいと思うようになった。

会いたい。
あんな、ちょこっとだけの時間なんかじゃ、足りない。

だから彼女は、その気持ちが爆発してしまう前に、彼に別れを告げた。
彼がいなくなれば生きていけないかもしれないのに。

どろどろした感情が、彼に届いてしまう前に。


「・・・・でも、俺は、あいつらに別れは告げないよ。」

お前が俺に告げたようには、できない。

ズルズルと、壁に背をつけて座り込む。
彼らにも、この暗くて汚い感情は届いてしまうかもしれない。
それでも、いい。
幸村精市にとって、テニスは何よりも側になくてはならないものだ。


それはおそらく、大切な、心愛しい、幼なじみよりも。


自分でもわかっていた。
だから、全てを捨ててテニスにのめり込むことはできなかった。幼なじみが、一番だと、思っていたかったから。
虚構だとわかっていても、崩すことはできなかった。わからない。だから、彼にできたことは、彼女に会いに行くことだけ。2番目に、世界で大切な彼女の元へ。


テニスを選ぶ幸村精市のことが、世界で1番大切な、の元へ。


愛するものは一つだけ。
二つ同時じゃ守れなかった。壊したのは自分自身。
綺麗に積み上げた虚構は崩れた。砂でできた城は、もう二度と同じようには戻らない。
だから彼は例えどんなにつらくとも、自分が世界で1番大切な「モノ」を続けていく。
自分と、彼女のために。
彼女のいない朝と昼と夜と週末に何度も虚無感を覚えたけれど。
守れなかった自分に、彼女に笑いかけることはもうできない。





きっとはどこかで泣いているだろう。
もう自分に、慰める権利はないから、だからどうか優しい人、


彼女のために、側で笑ってあげてください。






END


++++++++++++++++++++++++++++++++++
もう何も言うまい。ごめんなさい、私の中でビタースイートはこんなんになってしまいました。
ちょっとイメージと違う・・・元々赤也のつもりで書いていたんですけど、あの子わからなくて結局いつもどおり幸村へ。
lovesick ster様参加作品。遅くなってごめんなさい。

07年05月15日 夜桜ココ


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