まるで岩壁に咲く花のようで。













壁の花














その日私は家に引きこもって、昨日撮っておいた映画を一人、広いリビングを占領して、
買い替えたばかりの大画面テレビで心行くまで楽しむ予定だった。
短縮授業で早めに学校が終わり、友達のお誘いも丁重にお断わりし、さぁ、いざ帰るぞ、と意気込んだら、
机の上で珍しくバイブ設定にしていた携帯が鳴りだした。

新着メール:幸村精市

滅多に連絡を寄越さない、私の幼なじみからメールがきていた。



























足早に、先程のメールに示されていた病院へと向かう。メールはいたって簡潔で病院の住所が書いてあるだけ。
件名にはただ一言、暇、と書いてある。
私はまず呆れて、その後にびっくりした。
何故病院の住所が書いてあるんだろう。暇ということはおそらく。
ということはこの病室番号は。

映画どころじゃなかった。入院したらしい幼なじみの元へ。
いつも本当に連絡をくれないから、正直普通に驚いた。
それでも少なくとも久しぶりに彼に会えることに関しては素直に嬉しいと思っていたから、赤色の光を放つ信号を生まれて初めて憎いと思った。
青になるまでの時間がまるで一人切り取られた空間の中に突然入れられたような、変な感じがした。
青になったと同時に走りだす。
自分の心音が聞こえるほど緊張しているはずなのに、どこか恐ろしいほど冷静な私もいた。彼が入院したのはまるで起こるべく事態だというような。

いつもかまってくれない彼への負け惜しみなのか。

そう思って一人自嘲した。















それから10分ほど歩いて(疲れたので走ることは放棄)ようやく白い大きな建物が見えてきた。
どうして病院は白いんだろう。昔伯母に聞いたことがあるけど確かとても納得のいかない理由だった。
中に入るとあの病院特有の鼻につく臭いが一気に押し寄せてきた。
小さいころからこの臭いが大嫌いで、病院でマスクをしている人が多いのはそのせいだと、本気で思っていた。
受付であきらかに造り笑いを浮かべた三十歳くらいの女性から部屋番号をきき、言われた通りエレベーターで上へ上がる。
病室へ向かう途中で、点滴を嫌がり泣き喚く子供を見て、あの冷徹男も点滴や注射を嫌がったりするのだろうか、
そう考えてその様子があまりにも滑稽だということに気付き、すぐにその考えを打ち消した。






彼の名前の書かれた病室に辿り着いた。何度見ても表札は奴の名前しかなく。個室かよ、と本気で羨んだ。

私が入院した時は六人部屋だったのに!

ちょっとむかついた私は彼の病室にノックなしで入った。
驚いた顔をするかな、と思ったら奴はベッドで爆睡していて。
多少なりとも緊張していた私は拍子抜けした。
何もすることのない私は黙ってベッドの隣に一つ、ぽつんと置いてある椅子に腰かけて、彼の寝顔を何をするわけでもなくただ見つめた。
いつもいつも追い掛けて行った、小さな頃を思い出す。
どんなことも真似てきたのに、彼がテニスを始めた時だけはどうしてもやる気にならなくて。
結局今まで一度もラケットを握ったことがない。それどころか彼の試合すらも見に行ったことがない。
小さな頃からその才能を開花させ、どんどん高みに近づいていることは知っていたけれどどうしてもテニスコートを舞う、彼の姿は見たくなかった。
たぶん、認めたくなかっただけ。








「いらっしゃい。」








突然、眠っていたと思っていた目の前の人からそんな声がして、私はびくりと反応した。
顔を上げれば何年ぶりかに会う幼なじみが微笑むでもなく、ただこちらを見ていた。
私はこの顔が大嫌いだ。

「何してんの。」
「見ての通り、入院。」

ふうん、と私は言っただけ。
もちろんあんな答えに納得したわけではないけれど、これ以上は何を聞いても無駄な気がして聞くことすら億劫になったから。
病室を見渡して、ドラマにでも出てきそうな部屋だな、と思った。
本当にただの白一色。真っ白なベッドに真っ白な椅子に真っ白な飾り棚。
棚の中にはテニス関係の本や雑誌が無造作に積み重ねられていた。
そのうちの一冊を手に取って見てみたけれど、ちっとも楽しくなくて、すぐに閉じた。

「ほんとに来てくれるとは思わなかったな。」
「何で?」
「もうずっと会ってなかったし。メールが送れた時点で来るだろうな、とは思ったけど。」

アドレスを消去されてると思ってたから、と彼はさらに続けた。
それはこっちの台詞だよ、と私は心の中で思う。
だけど思い返してみれば、私から彼に送ったことなどない気がした。半ば意地になっていたからだと思う。

「治るの?」
「それをいきなり直球で聞くかな。まぁいいんだけど。あぁ、で、うん、治ることは治るよ。手術するけど。」
「じゃぁテニスに支障はないんだね?」
「大有りだよ。どんだけ練習しないと思ってんの。」

その声が本気で呆れてる様だったので、ちょっと傷ついた。
私は運動部に所属したことがないからそれがどれくらい大変なことなのかわからないけど、
彼の表情から、笑い事ではないんだな、というのはわかった。

「部活の皆はよくお見舞いに来るの?」
「来ないからに暇ってメールしたんだよ。」
「忙しいんだ?」
「勝ち続けるらしいからね。」

そう言った彼は興味がなさそうに見せかけて、奥に何だか優しいものが見えていた。
立海テニス部が大好きなんだなぁ、と思う。
私は実際に会ったことがないからどういう人たちなのかは知らないけれど。

「幸村が必死なのってさぁ、彼らのためなの?」
「必死に見える?」
「うん、ある程度は。」

正しくは、私は表面の彼をよく知らないから、水面下しかわからない。
人間は誰でも水面下でもがいている、という言葉を何かの本で読んだ気がする。

「何それ。」
「愛ゆえ。」

彼が小さく笑った。この顔も私は嫌いだ。

「幸村って強がりだよね。」
もね。」
「うっさいよ。」
「そして下手。」
「あんたが上手すぎなの!」

何が上手いとか下手かというと、強いフリが。
私も彼も、結局は弱い人間だ。どっちが弱くてどっちが強いか決められないくらい、同じくらい、信じられないほど。
二人とも自分がよくわかっている。
お菓子でできた家みたいな幻想的な
弱さじゃなくて、耐震工事を忘れた高層ビルのような現実的な弱さ。

「手術、怖いんでしょ。」
「テニスができなくなることなんかよりずっとましだよ。」

こうやって、強がるのが、とても上手い。私だったらきっと、全然、と言うだろう。
明らかな強がり。
私も彼もただ自分のために強がっているだけなのに、どうしてこう違うのだろう。
私のそれを例えるのなら誰かの鉢植えに無理矢理咲く雑草の強さで、ただがむしゃらに咲いてるだけ。誰も望みはしないのに。
対して彼のそれは例えていうなら岩壁の花。
明らかに悪い条件をまるでものともしないかのように咲き誇る。それがどれだけ大変なのか、かけらも出さないで、ただじっと。
誰もが一度目を止める。








美しい花。









「私もう帰るわ。映画見たいし。」
「あーやっぱりがダントツ最低だ。」
「何が?」
「見舞いに来た人が居た時間。」
「だってあんた元気じゃん。」

そう言って私は椅子から立ち上がった。彼を振り返れば先程と同じようにただ私を見ているだけ。
大嫌いだ。

「また。」
「気が向いたらね。」

パタン、と静かにドアを閉めた。













岩壁に咲く花を見ようとこれ以上身を乗り出したら自分が落ちてしまうから。

美しい花は時に他人に残酷になる。

無意識に。















魅せられた私はその時点でゲームオーバーだ。




END
++++++++++++++++++++++++++
耐震工事を忘れた高層ビルのような弱さ・は友人が実際に使った言葉。
姉歯問題について話してた時に(笑)
何でだったかな・・・・。

06年2月9日


back