季節は、秋になった。



 中学校生活最後の夏休みも終わってしまったし、文化祭も終わった。次に控えているのは大嫌いな定期テストで、浮かれた雰囲気はどこかに消えた。後輩たちは新人戦への熱い想いで盛り上がっていたけれど、三年生の私たちには何の関係もない。

 午後の授業は、弛緩した空気が漂っていた。明日からテスト2週間前だぞー、なんて言われても気を引き締めることなどできるはずもなく、窓ガラスの向こう側から入り込んでくる太陽の光を浴びながら、ぼんやりと教室を見渡した。退屈な英語の授業中、眠いわけではないけれど、やる気もない。どうして、こんなにも脱力感が付き纏うのだろう、と考えて、行き着く答えはいつも一つ。



 夏が、終わったからだ。



 部活動は、特殊な空間だな、と思う。運動部だろうと文化部だろうと、熱い想いがあればそこは仲間たちだけにしかわからない、不思議なコミュニティが出来上がる。
 私は運動部だったから、吹奏楽部とか音楽部がどうやってあの連帯感を生み出すのかはわからないけれど、きっと同じなんだろう。
 つらい練習を乗り越えて泣きながら走ったりして時には罵声だって飛んだりして。笑って楽しくて毎日全力で駆け抜けて、そこが、居場所になる。










「あれ、、まだ残ってたの?練習?」

 夏休みに入ったばかりのころ、体育館の入り口で火照った体を休めながら寝転がっていると、どこから現れたのか、ジャージ姿の幸村が、そう話しかけてきた。同じクラスではあるけれど、特別親しいわけではなかったから、私は驚いて、返事をするのを忘れていた。

?生きてる?」
「・・・・え、ああ、うん。幸村こそ、練習?今日テニス部休みじゃなかったっけ?」
「自主練。休みだけど、どうせあいつらだってどっかでテニスやってるだろうし」

 だらしなく寝転がる私の側に腰掛けると、幸村は長くゆっくりと息を吐いた。

 幸村精市という男は恐ろしく人気がある。そもそも我が立海大付属中では、テニス部レギュラーという地位を持っているだけで人気が高いのだけれど、それに加えて何故かイケメンの揃った今年の三年は、類稀なる人気っぷりだった。その頂点に君臨する男、幸村精市。猛者だなんてそんな言葉だけでは足りないくらいの勢い集団男子テニス部部長。

 何の因果か席も近いし、それなりに顔を見る機会はあるけれど、きちんと見たのは何だか初めてのような気がする。さらさらと前髪が風に攫われていくのを、鬱陶しそうに目を細めながらも、掻き払うことはしない。

「・・・・部長、大変そうだね」

 呟くと、幸村は理解不能と言いたげな目で、私を見る。

だって部長だろ」
「だって男テニって全国区じゃん。大変そう」
「女バスだって全国出場って聞いたけど」
「そう。初出場。常連の君たちとは、違うよ」

 もともとそんなに弱い方ではなかったけれど、全国大会にはおろか、関東にだって出場したことがなかった。快挙中の快挙で、それこそ本当に底辺からの追い上げ。私たちは、全部を投げ打って、バスケに賭けた。

 夕日は既に沈み始め、藍色が世界を侵食している。熱気で包まれた空間は、気だるさと、それから少しの興奮を含んでいた。



 幸村と、私は、決して特別に仲が良いわけでは、ない。



 ただ、多分、どこかに、同属意識はあった。



 立場とか、部活への執着とか、そういうもの。



、全国出場おめでとう」
「幸村、全国出場おめでとう」
「夏だな」
「夏だね」



 始まった夏に、怯えていたのは、私だけではなかった。



 あと、一ヶ月で、夏が終わる。
 私の、全てが、終わる。










 チャイムが鳴って、授業の終わりを告げた。きりーつれーい、伸びた声で日直が号令をかけると、ざわざわと教室に喧騒が生まれ、私はもたげていた頭を上げた。斜め前に座る幸村の背中が、視界に飛び込んでくる。じっとそこに座ったまま、彼は動かない。

 ほとんどの生徒がそのまま高等部に持ち上がるため、受験生特有のピリピリした空気などどこにもなく、思い思いの放課後に、クラスメートたちがざわめいている。追われていた文化祭準備もない、部活にも行かなくていい、戸惑いもあるけれど、嬉しさもあるようだ。
 カラオケ行かない?と声をかけてくれた友だちに、用事があるからと断わった。用事なんて特になかったけれど、どうしてもそういう気分にはなれない。1・2年生の時に比べるとゆっくりとした速度で出て行く生徒を、教室の一番後ろから見守りながら、手を振って挨拶する。

 どれくらい、そうしていただろう。多分、40分くらいだ。

 気づいたら、教室には、私と幸村だけになっていた。
 相変わらず、あいつは席に座ったまま動かない。

 教室に入り込む太陽の光は、当たり前だけれど夏の日差しではなかった。気温も夏との違いを知らせてくれるけれど、季節の移り変わりを一番顕著に告げてくるのは、光だと思う。段々と高くなる空と、角度が変わる日差しに、いつも驚かされる。

 机に突っ伏して世界を遮断する。
 目を閉じて聞えてくるのは、野球部の掛け声、陸上部の集合の声、音楽部の発生練習、吹奏楽部の音合わせ、体育館のボールの音。放課後の、音。

 いっそ外部受験をすればよかった、とさえ思った。
 そうすれば、受験勉強に追われてしまい、他のことに構っている余裕はない。今の私みたいに、夏の余韻に取り残されることさえ、ないのだろう。打ち込んできたものが、突然のあの日を境にぷっつりと切れて、伸ばした手は空を彷徨うばかりだった。







 ふいに、名前を呼ばれる。けれども、顔をあげる気にはなれなくて、そのまま動かない。久々に聞いた、私の名を呼ぶ幸村の声は、夏の日を思い出させて、無性に泣きたくなった。

「いつまで、そこにいるつもりなの、お前」

 声が近くなる。
 私の机のすぐ目の前に、幸村はいるのだろう。真上から降ってくる声は、いつも通りの彼の声で、そこに感情を読み取ることはできない。
 私はゆっくりと上体を起こす。顔をあげて、幸村と目が合う。無表情だった。

「・・・・幸村だって、完全には抜け出せてないじゃん」
「そうだね、でもほどじゃないよ。いつまでも幻影追ってたって、次には行けないし、現実に向き直らないと、腐るよ?」
「・・・・腐るのは嫌だなあ。でも、なんかもう溶けてしまいたいとは思うよね」
「ふうん、じゃあ、溶けてみる?」

 絶対に馬鹿にされると思っていたのに、あっさりとそんな言葉が帰ってきて、私は驚いて何度も瞬いた。
 どういうこと、といい終わる前に、幸村が、私の右手を取る。視線だけは私の目を見たまま、幸村は手の甲に口付けた。

 スローモーションのように見えたその動きは、多分一瞬だった。





 幸村も、間違いなく夏に取り残されてる一人だった。
 私みたいにうじうじと取り残されているわけではないだろうけれど、あの夏の幻影に追われて追っているのは、確かだった。それを、次へ進むエネルギーに変換しようとしているのはわかったから、声はかけられなかった。

 永遠に、そこに取り残されることができるのなら、それでいいと思う。

 けれど、残酷なことに時は進むから、私たちはいつか必ず立ち上がって離れなくてはならない。余韻がまとわりついて来るのではない、私が、余韻に、すがり付いているのだ。





「・・・・幸村」
「何」
「・・・・今日で、終わりにするから、」
「いいよ」

 最後まで言い終わる前に、幸村が頷いて、小さく笑った。
 頬に伸びてきた手が、私に触れる。手を伸ばす。しがみ付く。

 私は泣いた。



 ただ、ただ、声も出さずに、泣いた。










 遅刻するわよ!という母の声で飛び起きると、いつも家を出る時間だった。妹が焼いたトーストを頬張りながら髪をセットする。きらきらとした太陽の光を存分に浴びて、目を細めながら伸びをした。壁にかけてる制服は、昨日までとは違う。

 今日から、冬服だ。

 クリーニングに出してぱりっとしたブレザーはどこかぎこちない。バタバタと走り回って支度を済ませると、玄関から飛び出した。後ろから母親が何か怒鳴っているのが聞えたけれど、聞えなかった振りをして、そのまま角を曲がった。

 通学路を走っていると、同じく遅刻しそうな生徒に会う。おはよー!と元気よく声をかけてきたのは、親友兼元女バス副部長のちぃちゃんだった。おはようやばい遅刻する!と私が叫ぶのと「今日駄菓子屋の前のカラオケ集合ね!」とちぃちゃんが言うのはほぼ同時だった。ガタガタとうるさい鞄の中の筆箱にぶつかる筆記用具の音に負けないように私は「楽しみだー!」と叫んだ。

 チャイムが鳴る直前に教室に滑り込む。
 着席とほぼ同時に、朝のチャイムが鳴り響いた。

「おはよー。珍しいな、寝坊?」
「はいうっさい、幸村前を向く!」

 けらけらと、可笑しそうに幸村が笑った。何事もなかったかのように。



 秋が、始まった。






っと雰囲気に酔っただけ





 
END
++++++++++++++++++++++++++++++++
庭球王子夢企画「あいかわらず」提出
幸村は人一倍夏に取り残されてるイメージです。でも、次に進もうとする。

主催の請阿さんに感謝を込めて。

11年03月05日 HP再録 夜桜ココ