目の前を、すい、と朱が流れていった。跡部はその朱の流れそのままに目線を動かし、それを追った。ひら、と風に身を任せるように流れていくそれが、金魚だと気付いたのは、目で追い始めてからしばらく経ってからだった。坂道をゆらゆらと下っていく。無意識のうちに、跡部はそれを追った。思っていたよりも早い、小走りになっているというのに、なかなか追いつかない。さてどうしたものか、と跡部は立ち止まった。すると10mほど先を行くそれも、ぴたりと止まった。ゆらゆら、留まったまま風に揺られている。あれ、と思った跡部は再び歩き始めた。しかし跡部が歩を進めると、その朱も再び流れていくのだった。そういえば何故追っているのだろう?唐突にその行為に疑問を持ち、跡部は追うのをやめた。くるりと踵を返して元来た道を辿っていく。ふいに気になって後ろを振り返った。ゆらゆら。10m先に、やはりその朱はいた。不思議に思いながら、坂を登る。振り返る。10m先に、浮かぶ朱。そうか今度はついてきているのか、と気づく。10mもあれば、どんなに手を伸ばしたって掴めやしない。けれど、確実に視界には入る距離。追えば逃げる、立ち止まれば留まる、背を向ければ追って来る。「・・・・お前」、パチン、言うや否や、それは弾けた。





「おはよう跡部くん、随分よく眠ってたねえ」

 目を覚ますとそんな間延びした声が上から降ってきた。跡部は何度か瞬きをして、それから影の方へと向き直る。朱だ、と反射的に思ったその色は、朱色よりも橙に近い。それでも、朝日を浴びていつもより鮮明に見えた。起き上がってその朱に手を伸ばす。ぐい、と引き寄せると、「え?なになに?何かついてる?」と見当違いなことを千石は言った。

「・・・・お前、これ地毛?」
「なわけないでしょ、跡部くんと違って俺純日本人だもん、地毛は真っ黒よ」

 確かに、触れるそれは幾分か痛んでいるようにも感じた。
 手を離すと「寝ぼけてる?」と千石が言った。そうかもしれない、と思う。夢で見た朱が瞼の裏側に焼き付いて離れない。目をつぶれば夢の中の朱が浮かんでくるし、目を開ければ目の前に似たような色が広がる。今日午後練なんでしょ?言いながら何やらガチャガチャと朝食の準備を始めた千石を後目に、跡部はふとサイドテーブルの上にある雑誌に目を遣った。

「・・・・千石、お前引っ越すのか?」
「ん?うーん、悩み中だけどね、ほら、この辺だったら学校にも近いし」

 追って来たのか?とは言わなかった。



正夢

夢か現か、幻か。




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