始まりの音


 仲良くなきゃいけないなんて決まりはない。



 幸村が呼んでる、とジャッカルに呼び出されて向かった先であいつは一言、「柳生と仁王でダブルスってどう思う?」、はあああああ?と俺は言ってから少しだけ考えて、「いいんじゃねえの、面白そうだし」と返した。まあ、一言目が全てを物語っているとは思うけど、実際俺は冗談半分で返事をした。だってまさかあんな見るからに気が合わなさそうな二人を本気でダブルス組ませるとは思わなかった。常に幸村くんは俺たちの思考の一歩先を、いやもう百歩くらい先を行く生き物だけど、いくらなんでもそれはないだろうと思ってた。それは多分ジャッカルだって同じだったはずだ。その証拠に俺たちはその日、その後に一度たりともその話題を出さなかった。綺麗さっぱり忘れていたからだ。
 だから数日後、部室でやたらと機嫌の悪い仁王と、何やら真面目な顔で話し合いをしている柳と幸村くんを見かけた時は、いやまさか有り得ないっしょ、と思いながらあのことを思い出して。機嫌の悪い仁王を放り出して幸村くんに駆け寄って見ればやっぱりあの話だった。おかしくてとりあえず爆笑した。何がおかしかったのかよくわからない、多分仁王が柳生と二人でいるところを想像してあまりにも在り得なくてそれがおかしかったんだと思われる。爆笑する俺を見て幸村くんがお前って馬鹿だよねと言った。何で。





 グダグダしながら部活へ向かう準備をしていると、視界の端を見慣れた銀髪が横切った。俺も人のこと言えない頭をしているけど、あいつの髪も相当目立つ。俺たちは二人揃ってブラックリスト入りを果たしていてしょっちゅう生活指導の体育教師に捕まるけど、そこはテニス部様々だ。ありがとう、俺。ありがとう、過去の先輩方。俺たちを筆頭に、学年全体が何となく校則が緩まっているような気がすると誰かが言っていた。それはかなり良い傾向だ。大体俺を取り締まる暇があったらあの銀髪で長髪の仁王とか、どっかの生き物みたいにうねうねした頭を持つ後輩を教育的指導するべきだと思う。

「におー」

 なるべく身体を廊下に近づけながら、とは言っても窓際の一番後ろが俺の席だからほとんど意味はないけど、とにかく後ろにのけ反って呼び掛ける。少し間があって視界から消えかけていた仁王がゆっくりと戻って来る。「んー」と言いながらズカズカと人の教室に入ってきて、俺のすぐ後ろのロッカーに寄り掛かって欠伸をした。よくよく見れば手ぶらで荷物を何一つ持っていない。

「鞄は?ラケットは?っつか部活道具は?」

 俺の言葉に仁王は少しだけ目を見開いて、開始三十分遅らすて昨日幸村が言うてたじゃろ、と呆れた顔をした。そうだっけと昨日の記憶を呼び起こして幸村くんが最後の集合の時に言っていた言葉を思い出す。言われてみればそんなことを言っていたような気もした。基本的に最後の話は身体が疲れきってそれどころではないから聞いていない。仁王は聞いていないようで実はそういうものを聞き逃したりはしない男だった。あまり人とつるまないはずなのに情報だけはやたらと持っていたりして、いつもこいつのこの情報源は一体どこなんだと疑わしく思っている。昔本人にそれを聞いたら「そんなんそこら中全部」と当たり前のような顔で返された。結局俺の頭では何で三十分遅らすと言ったのかは思い出せなかったけど、その情報だけで十分だ。

「・・・あー、あー言ってたわ。んだよ、呼び止めた意味ないじゃん」
「呼び止めといてそれかい。まあええけど」
「で、お前どこ行くつもりだったの?」
「購買。腹減った。来る?」

 特に腹が空いていたわけでもなかったので仁王の誘いを断ると、奴は即座に出て行こうとした。慌てて側にあった消しゴムをぶん投げると後頭部にヒットして、忌ま忌ましげに振り返る。口よりも先に手が出てしまうようになったのはいつからだっけと考えて、間違いなく幸村くんのせいだと思った。あの人を見ていると、それが一番最善の策だと思えてくるのだから恐ろしい。

「あ、わり。でさ、聞きたいんだけど、ほんとにしゃーないとか思ってんの?」

 何を、とは言わない。今日、昼休みの屋上で話したことだというくらい、言わなくたって通じてるはずだ。その証拠に仁王はそれはもうあからさまに迷惑そうな顔をしていて、ああやっぱりあれでも多少真田たちに気を使っていたんだなと思う。気を使っていたというよりも、まだ警戒しているんだろう。一瞬凄まじいほどの嫌悪感を示していたけど、真田や柳に向かってそれを押し付けるようなことはしなかった。そう考えると俺は真田たちよりは気を許されているらしいことがわかる。
 全然嬉しくない、むしろ不愉快。

「・・・心配してる時点で、もうわかっとるくせに」

 仁王は最近よくする自嘲するみたいな口の端の上げ方をして、はっ、と馬鹿にするように短く息を吐き出した。続けて「性質悪」とどうやら俺に向かって呟いたらしい。放課後の教室特有の不思議な喧騒に紛れてほとんど聞き取れなかったけれど。

「まあ、気が合わないんだろうなとは思うけど。馬が合わないとは思ってねえよ」

 そう言うと仁王は心底驚いたみたいだった。

 確かに、仁王と柳生は尽く正反対の性質を持っていると思う。本当のところは、俺は残念ながら仁王じゃないし柳生でもないからわからないけど、少なくとも、外野から見ている俺にはそう見える。
 それこそ仁王が右と言ったら柳生は左と言いそうなくらい、わかりやすい。
 そんな二人の共通点と言ったら、立海テニス部で男で中学二年生だということを除けば、お互いがお互いを最も気の合わない奴だと思っていてそれは相手も同じだと気づいているところだと思う。



 それって、なかなか無いことだ。



 全部が全部、表裏一体みたいに背中合わせで、それに相手も気づいている、これほど楽な相手はいないんじゃないか、なんてそんなことを考える。つまりそれは嫌悪感を隠したりとか、笑顔を繕ったりする必要がないということだ。果たしてこれが友達の在り方として正しいかと言われると答えは否だけど、別にダブルスのパートナーとしては問題ないんじゃないか、なんて思う俺がおかしいのか。いや、多分おかしくはないはずだ、だってそれでダブルスは間違いなく成立する。そういうペアだっているはずだ、見たこと無いけど。



「いいじゃん、別に苦手なら苦手で。球打ち返すのに支障がなければ問題ねえよ。仕方ないとか、そういうのは、ダブルス組む以上、やっぱおかしいと思うわけよ」



 いつになく真面目に、というか仁王に対しては初めて真剣に意見してみる。普段はどちらかというとお互いどうでも良いようなくだらないことしか話さなくて、仲が良いというよりはただ単に根本的な部分がどこかしら似通っているから、必然的に一緒にいることが多くなるだけだ。たまにテニス部の中には俺と仁王は仲が良いと勘違いする奴がいるけど、それはやっぱりちょっと違うんじゃないかなと思う。 

 俺のその珍しいような言動を聞いても、黙ったまま動かない仁王に、言ってしまった今になって何かわけがわからないけど恥ずかしくなってきて「俺はこれでもダブルスにおいては先輩なので」と言って誤魔化す。突っ込んで欲しかったのに真顔でそうじゃなと返されて俺はいよいよ席を立ち上がった。
 ガタン、音を立てて椅子を元の位置に戻して、乱暴に鞄やら何やらを持ち上げる。テニスラケットに金属製の筆箱が当たっているらしく、ガチャガチャとうるさい音がした。俺が片付け終わるまで黙って見ていた仁王は、しばらくしてから、どこ行くん?なんてふざけたことを言い出して、「お前のいないとこだよ!」イライラしながら叫ぶ。一拍空けてから仁王はいつになく大きな声で笑って、ありがとう友達、と言った。

「うっせ黙れ若白髪!一瞬だけ!今のは間違い!」
「何が間違い?」
「友達みたいなアドバイスしちゃったことに決まってんだろぃ!」
「何、俺らって友達じゃないん?」
「友達だと思ってんの、お前。本気で?俺今までこんな友達持ったことないんだけど、え、何これって友達なの?いや違えだろ。こんな有難くも何とも無い存在、ただの部活仲間です」

 自論をテキトーに捲くし立てると、確かに、と仁王は笑いながらそれを肯定した。もうこれ以上会話を続けるのが面倒になって、俺は勢いよく教室の扉を閉めると一目散に廊下を駆け出した。



 なあ、仁王、お前のこと友達と思ったことはねえけど、仲間だとは思ってんだよ、だから、お前が嫌な思いすんのはやっぱ気分が良くなくて。

 本当に嫌ならやめればいいと思う。





 けどさ、お前、実は満更でもねえんだろ?





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